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翁問答 / 下卷之本

就中これに似たる大きなる迷は仕合よく富貴になりぬれば、我智惠才覺にて此の如しと思ひ、又しあはせあしく、貧賤になりては、我業とは思はずして、親をかこち人をとがめ天を怨むること、人ごとの迷なり、仕合よく富貴になるも運命の生れつきにして、我力のなすところにあらず、仕合あしく貧賤になるも、運命の生れつきにして、親の各にもならず、人の爲すわざにもあらず、固より天道のあやまり給ふ所にもあらず、また藝あるも藝なきも、ぬるき見掛なるもいかつな見掛なるも、武篇するものにてはなく、只心のけなげが武篇するにて候へども、心まよひ暗き故に、藝あるものが武篇すれば、藝が武篇と思ひ藝なきものが武篇をすれば、無藝文盲が武篇すると思ひ、見掛ぬるきものが武篇すれば、ぬるきが武篇すると思ひ、とりさたさまざまなり、

新字:就中これに似たる大きなる迷は仕合よく富貴になりぬれば、我智恵才覚にて此の如しと思ひ、又しあはせあしく、貧賤になりては、我業とは思はずして、親をかこち人をとがめ天を怨むること、人ごとの迷なり、仕合よく富貴になるも運命の生れつきにして、我力のなすところにあらず、仕合あしく貧賤になるも、運命の生れつきにして、親の各にもならず、人の為すわざにもあらず、固より天道のあやまり給ふ所にもあらず、また芸あるも芸なきも、ぬるき見掛なるもいかつな見掛なるも、武篇するものにてはなく、只心のけなげが武篇するにて候へども、心まよひ暗き故に、芸あるものが武篇すれば、芸が武篇と思ひ芸なきものが武篇をすれば、無芸文盲が武篇すると思ひ、見掛ぬるきものが武篇すれば、ぬるきが武篇すると思ひ、とりさたさまざまなり、

書き下し

就中これに似たる大きなる迷は仕合よく富貴になりぬれば、我智恵才覚にて此の如しと思ひ、又しあはせあしく、貧賤になりては、我業とは思はずして、親をかこち人をとがめ天を怨むること、人ごとの迷なり、仕合よく富貴になるも運命の生れつきにして、我力のなすところにあらず、仕合あしく貧賤になるも、運命の生れつきにして、親の各にもならず、人の為すわざにもあらず、固より天道のあやまり給ふ所にもあらず、また芸あるも芸なきも、ぬるき見掛なるもいかつな見掛なるも、武篇するものにてはなく、只心のけなげが武篇するにて候へども、心まよひ暗き故に、芸あるものが武篇すれば、芸が武篇と思ひ芸なきものが武篇をすれば、無芸文盲が武篇すると思ひ、見掛ぬるきものが武篇すれば、ぬるきが武篇すると思ひ、とりさたさまざまなり、

現代語訳

とりわけこれに似た大きな迷いは、運よく富貴になれば、わが智恵才覚でこうなったと思い、また運悪く貧賤になると、わが業とは思わずに、親をかこち、人をとがめ、天を恨むことで、これは誰もが持つ迷いである。運よく富貴になるのも運命の生まれつきであって、わが力のなすところではない。運悪く貧賤になるのも運命の生まれつきであって、親のとがでもなく、人のするわざでもなく、もとより天道の誤りなさるところでもない。また芸のある者もない者も、ぬるい見かけの者も厳つい見かけの者も、それが武篇をするのではなく、ただ心の健気さが武篇をするのであるが、心が迷い暗いために、芸のある者が武篇をすれば芸が武篇をすると思い、芸のない者が武篇をすれば無芸文盲が武篇をすると思い、見かけのぬるい者が武篇をすれば、ぬるいのが武篇をすると思い、取り沙汰はさまざまである。

解説

成功すれば自分の才覚のおかげ、失敗すれば親や他人や天のせいにする。藤樹はこれを誰もが陥る株を守る迷いの代表として挙げる。上卷之末で論じた運命の議論を踏まえ、富貴も貧賤も生まれつきの運命の巡り合わせであって、自分の手柄でも他人の罪でもないとする。武勇についても、芸や見かけではなく心の健気さが働くのに、表面の特徴に原因を求めるので取り沙汰がばらばらになるという。成果の原因を見誤る誤りは、今も評価や振り返りの場でよく起きる。結果の背景を冷静に見分ける目を持ちたい。

この章句が説くこと

運命迷い富貴貧賤心武篇

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