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翁問答 / 下卷之本

體充曰、株を守るとのたまふは、なにたる事にて候や。師の曰、道理の眞實をしらず、うはつら鼻の先ばかりなる目論、おろかに淺ましき思ひ入れを、株をまもると寓言のたとへなり、むかし山がつ山田をうちて居たる所へ、峯より兎一つはしり下り、かの山がつのいたるあたりの木の株にはなをつきて死したり、彼山がつこれを見て思ふやうにはさても稀代不思議なることかな、此木の株は兎とりの逸物なりと心得て、かの兎をとりかへたり、それより隙のおりおりには、かの木の株のもとに行きて、木の株のとりたる兎をひろはんと、終日まもりたるとなん、此山がつの迷ひに似たる事世間に多きによつて、寓言して凡夫の迷ひを笑ひはじしめたり、

新字:体充曰、株を守るとのたまふは、なにたる事にて候や。師の曰、道理の真実をしらず、うはつら鼻の先ばかりなる目論、おろかに浅ましき思ひ入れを、株をまもると寓言のたとへなり、むかし山がつ山田をうちて居たる所へ、峯より兎一つはしり下り、かの山がつのいたるあたりの木の株にはなをつきて死したり、彼山がつこれを見て思ふやうにはさても稀代不思議なることかな、此木の株は兎とりの逸物なりと心得て、かの兎をとりかへたり、それより隙のおりおりには、かの木の株のもとに行きて、木の株のとりたる兎をひろはんと、終日まもりたるとなん、此山がつの迷ひに似たる事世間に多きによつて、寓言して凡夫の迷ひを笑ひはじしめたり、

書き下し

体充曰、株を守るとのたまふは、なにたる事にて候や。師の曰、道理の真実をしらず、うはつら鼻の先ばかりなる目論、おろかに浅ましき思ひ入れを、株をまもると寓言のたとへなり、むかし山がつ山田をうちて居たる所へ、峯より兎一つはしり下り、かの山がつのいたるあたりの木の株にはなをつきて死したり、彼山がつこれを見て思ふやうにはさても稀代不思議なることかな、此木の株は兎とりの逸物なりと心得て、かの兎をとりかへたり、それより隙のおりおりには、かの木の株のもとに行きて、木の株のとりたる兎をひろはんと、終日まもりたるとなん、此山がつの迷ひに似たる事世間に多きによつて、寓言して凡夫の迷ひを笑ひはじしめたり、

現代語訳

體充が言う。「株を守るとおっしゃるのは、どういうことでございますか。」師は言う。「道理の真実を知らず、うわべの鼻の先ばかりの目論見、愚かで浅ましい思い込みを、株を守ると寓言でたとえたのである。昔、山人が山の田を耕していたところへ、峰から兎が一匹走り下りてきて、その山人のいたあたりの木の株に鼻をぶつけて死んだ。山人はこれを見て、さても稀代の不思議なことだ、この木の株は兎取りの逸物だと思い込んで、その兎を取って帰った。それからは暇のあるたびにその木の株のもとへ行って、木の株が取った兎を拾おうと、終日見守っていたという。この山人の迷いに似たことが世間に多いので、寓言にして凡夫の迷いを笑い辱めたのである。」

解説

株を守るの寓話は韓非子五蠹篇に見える守株待兎として知られ、偶然の幸運を必然と思い込み、同じことを待ち続ける愚かさを笑う話である。藤樹はこれを、道理の真実を知らず目先のことだけで判断する思い込み全般のたとえとして用いる。前の問答で武篇の善し悪しを学問の有無で決めつける迷いを株を守る愚痴と呼んだのは、この意味である。一度の成功体験をそのまま成功法則と信じて同じ手を繰り返すことは、変化の速い今の仕事でこそ陥りやすい罠であり、成功の本当の原因を問い直す習慣が要る。

この章句が説くこと

株を守る迷い道理寓言心韓非子

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