翁問答 / 下卷之本
うまれつき勇あるものは正眞の儒學をつとめて、其勇を仁義の勇となし、生れつき勇なきものも又正眞の儒學をつとめて本心に具有したる仁義の勇をあきらかにせよと敎たまふ義なり、此等の聖謨をよくよく體認して、武篇をたしなまんと思ふ士は、志しあるべき事なり、本來軍法軍禮武篇のたしなみ諸士の作法のおきてみな儒道の一色にして、聖人のさだめ給ふ天理なれば、士たるものが、儒道をそしり、儒學をするは士のわざならずなどいへるはまことに無下に無案內なることなれば、其はじをしるべし。
新字:うまれつき勇あるものは正真の儒学をつとめて、其勇を仁義の勇となし、生れつき勇なきものも又正真の儒学をつとめて本心に具有したる仁義の勇をあきらかにせよと教たまふ義なり、此等の聖謨をよくよく体認して、武篇をたしなまんと思ふ士は、志しあるべき事なり、本来軍法軍礼武篇のたしなみ諸士の作法のおきてみな儒道の一色にして、聖人のさだめ給ふ天理なれば、士たるものが、儒道をそしり、儒学をするは士のわざならずなどいへるはまことに無下に無案内なることなれば、其はじをしるべし。
書き下し
うまれつき勇あるものは正真の儒学をつとめて、其勇を仁義の勇となし、生れつき勇なきものも又正真の儒学をつとめて本心に具有したる仁義の勇をあきらかにせよと教たまふ義なり、此等の聖謨をよくよく体認して、武篇をたしなまんと思ふ士は、志しあるべき事なり、本来軍法軍礼武篇のたしなみ諸士の作法のおきてみな儒道の一色にして、聖人のさだめ給ふ天理なれば、士たるものが、儒道をそしり、儒学をするは士のわざならずなどいへるはまことに無下に無案内なることなれば、其はじをしるべし。
現代語訳
生まれつき勇のある者は正真の儒学を努めて、その勇を仁義の勇とし、生まれつき勇のない者もまた正真の儒学を努めて、本心に具わっている仁義の勇を明らかにせよと教えなさった意味である。これらの聖人の教えをよくよく体認して、武篇をたしなもうと思う武士は、志を持つべきことである。本来、軍法・軍礼・武篇のたしなみ・諸士の作法の掟はみな儒道の一色であって、聖人の定めなさった天理であるから、武士たる者が儒道をそしり、儒学をするのは武士のわざではないなどと言うのは、まことに無下に無案内なことであるから、その恥を知るべきである。
解説
この章句が説くこと
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『童子問』卷下問ふ、王陽明、徐成之に答ふる二書に自ら謂ふ、天下朱を是とし陸を非とすること、論定まること既に久し。一旦之に反するは難しと為す。姑く調停両可の説を為して、人をして自ら思うて之を得しむと。如何。曰く、夫れ勇は断に生じ、断は明に生じ、明は智に生じ、智は学を以て大なり。苟も之を知ること明らかならば、則ち是を是とし非を非とし、一刀両断にして、少しも仮借することを得ず。故に孟子曰く、予豈に弁を好まんや、予已むことを得ざるなりと。陽明の人と為りや、聡明絶倫にして、古今に縦にす。二公と雖も、及ばざること遠く甚だし。然れども学問空疎にして、磨励の功甚だ少なし。而して其の学本禅学に得て、孔孟の宗旨に於ては、実に数塵なり。故に其の書含糊衡決にして、二公の肯綮に中ること多きを得ず。朱門の為に廻護するに似たり。但書中の所謂重脊にして叛孔を厭はずといふ数句は、実に今の学者の真病に中る。
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『翁問答』下卷之本文盲に御自満のさぶらひ衆、せめて義経公弁慶などの爪のさき程なりとも真似をめされ候はゞ、其誉ある可し、たゞ文盲一偏の御自満にてはよも士とは云がたし、文盲なるものが必ず武篇よくば、田をうち草をかる田夫野人、薪とる山がつ、路頭にさすらふ乞食など、文盲第一のものどもなり、箇様の者どもみなよき武篇にてありなんや、箇様のたとへあまりけはしく聞へぬれとも、今時分此まよひふかく、大かたのたとへにては、心盲の眠りさめがたき故に、声をはげまして呼びさますなり、前かども論ずる如く、いかやうなる者が武篇よき、いかやうなる者が武篇あしきなどいへるは、皆得がたのひがこと、或は株を守る愚痴よりおこる迷ひなり、文芸ある人に義経公弁慶などの如き武篇よきもあり、又臆病なるもあり、文盲なる人に臆病なるもあるべし、またけなげなるもあらん、只勇あるものが武篇よきと知べし、むかし今のためしを能く考へて、学問が武篇のさまたげになるといへるきたなき心根を察すべし、
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『慎思録』巻之二多念多言多事、三者は最も学を為すを害す。蓋し専一ならざれば、則ち直遂すること能はず。故に学者須らく三省を守ることを要すべし。一に曰く念を省く、二に曰く言を省く、三に曰く事を省く。然れども三者は人事の当然なる者なり。豈に妄りに省き強ひて排すべけんや。只だ事の当に念ふべき所にして之を念へば、則ち其の念ふ所自ら寡し。是れ念を省くの道なり。言を省き事を省くも亦た然り。且つ多事は人の免れ難き所なり。但だ其の要約なる者を択ぶべし。事を好むを要せずして可なり。又逡巡退縮して事を畏れ、当に為すべくして為さざる者有り。此れ亦た勇無き者と謂ふべきなり。
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『童子問』卷下問ふ、曾子子襄に語りて曰く、自ら反みて縮ければ、千万人と雖も吾往かんと。夫子史魚を称して曰く、直なるかなと。亦前に論ずる所と相反す。如何。曰く、是れ勇の為なり。勇は義の発なり。義は聖人の大用なり。然れども義を好む者は必ず命を犯し、命を言ふ者は義を尽くさず。義命合一する、是れを君子の全徳と為す。大勇有り大義有りて、韜晦含蔵し、形跡を露さざる者に非ざれば、則ち与に君子の域に入るに足らず。是れ学問の準的と為す。区区たる諸生の能く識る所に非ざるなり。故に至道は竝び行はれて相悖らずして、学問の極功と為る。難いかな。
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『翁問答』下卷之本まへかどにも論ずる如く、正真の学問をよくつとめて悟りぬれば、仁義の勇あきらかになりて必分別よくなるなり、それも師匠と学問の仕様とによく吟味あるべき事なり、中庸に曰、人一たびして之を能くすれば己之を百たびし、人十たびして之を能くすれば己之を千たびす、果して此の道を能くせば、愚なりと雖も必ず明らかに、柔なりと雖も必ず強からん、この聖謨の意は篤く天地の神道に志し明徳をあきらかにする工夫をはげましつとめ行へば必さとりをひらき、うまれつき愚痴にして迷ひ深きものも、本心の良知あきらかになれり、生れつきぬるくにかたなる人も、必ず本心仁義の勇あきらかになりて、武篇よきとの義なり、
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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