翁問答 / 下卷之本
論語に曰、仁者必有勇、勇者不必有仁と、この聖謨の心は、仁道をよくまなびて仁者の位にいたりぬれば、人欲きよくつきて天理流行し、なにほどすさまじき妖魔或は虎狼などにあひても、常の人の狗猫などに逢たるごとくに、心におどろきおそるゝ事すこしもなし、もとより百萬人の敵にあひ劍の中或は猛火のうちへ飛び入とても、平生の心もちにてすこしも違ふことなく、毛頭おどろきおそるゝ心なく、必ず十分無類のけなげあり、明徳あきらかになけれども、生れつきて勇なるを勇者と云、この勇者ももとより死をおそれず、物におびへおどろかざることは仁者の勇に似たれども、人欲のまよひ深き故に、明德の良知くらければ、不義無道のはたらき畜生にひとしく、天德の仁を失ふものなり
新字:論語に曰、仁者必有勇、勇者不必有仁と、この聖謨の心は、仁道をよくまなびて仁者の位にいたりぬれば、人欲きよくつきて天理流行し、なにほどすさまじき妖魔或は虎狼などにあひても、常の人の狗猫などに逢たるごとくに、心におどろきおそるゝ事すこしもなし、もとより百万人の敵にあひ剣の中或は猛火のうちへ飛び入とても、平生の心もちにてすこしも違ふことなく、毛頭おどろきおそるゝ心なく、必ず十分無類のけなげあり、明徳あきらかになけれども、生れつきて勇なるを勇者と云、この勇者ももとより死をおそれず、物におびへおどろかざることは仁者の勇に似たれども、人欲のまよひ深き故に、明徳の良知くらければ、不義無道のはたらき畜生にひとしく、天徳の仁を失ふものなり
書き下し
論語に曰、仁者は必ず勇有り、勇者は必ずしも仁有らずと、この聖謨の心は、仁道をよくまなびて仁者の位にいたりぬれば、人欲きよくつきて天理流行し、なにほどすさまじき妖魔或は虎狼などにあひても、常の人の狗猫などに逢たるごとくに、心におどろきおそるゝ事すこしもなし、もとより百万人の敵にあひ剣の中或は猛火のうちへ飛び入とても、平生の心もちにてすこしも違ふことなく、毛頭おどろきおそるゝ心なく、必ず十分無類のけなげあり、明徳あきらかになけれども、生れつきて勇なるを勇者と云、この勇者ももとより死をおそれず、物におびへおどろかざることは仁者の勇に似たれども、人欲のまよひ深き故に、明徳の良知くらければ、不義無道のはたらき畜生にひとしく、天徳の仁を失ふものなり
現代語訳
論語に「仁者は必ず勇有り、勇者は必ずしも仁有らず」とある。この聖人の教えの心は、仁の道をよく学んで仁者の位に至れば、人欲が清く尽きて天理が流行し、どれほど恐ろしい妖魔あるいは虎狼などに出会っても、常の人が犬や猫に出会ったときのように、心に驚き恐れることが少しもない。もとより百万人の敵に出会い、剣の中あるいは猛火の中へ飛び込むとしても、平生の心持ちと少しも違うことなく、毛ほども驚き恐れる心がなく、必ず十分に比類のない健気さがある。明徳は明らかでなくても、生まれつき勇ましい者を勇者という。この勇者ももとより死を恐れず、物に怯え驚かないことは仁者の勇に似ているが、人欲の迷いが深いために明徳の良知が暗いので、不義無道の働きは畜生に等しく、天の徳である仁を失うものである。
解説
この章句が説くこと
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒総シテ世ノ怯弱臆病ト云ハ。ミナ道ヲ心得ヌ者ノ類シヤ。若十善戒法ヲ真実ニ護持スル者有ハ。必勇猛剛强ノ徳ヲ長ス。儒書ニモ自ラ反フシテ縮カラスハ。褐寛博ト雖トモ我惴レサランヤ。自ラ反シテ縮クハ。千万人ト雖トモ我ユカント有ル。カウシヤ。直キ処カラ出タ勇カ誠ノ勇シヤ。又仁者ハ必勇アリ。勇者ハ必シモ仁アラストアル。カウシヤ。仁慈ノ余カラ出タ勇テナケレハ皆暴虎馮河ノ勇ト名クルシヤ。
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『五常訓』巻之二・仁之上顔色言語は、見事に聞事なれど、かざりて外をつとめ、内に実なければ、仁にあらず。此二章を以て、仁の理を知るべし。又曰く、仁者は必ず勇有りとは、仁者は心私にわづらはざる故、義を見ては必行ふ。内にかへりみるに疚しからず。故に事にのぞみて、うれへずおそれず、節義をかたく守りて、身に私せず。此故に、仁者は必勇あり。血気の勇者は、けなげにて身をすつれども、仁義なければ道理に当らず、捨てかひなし。勢により、節にのぞみては、身に私して、道理にそむき、節義をうしなふ。故に必仁あらず、其勇もたのみなし。子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り。仁に志ある人、仁ある人は、義の死すべき時節に、わが身に私せず、命生きん事をもとめて、わが心の道理を害せず。
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『大和俗訓』巻之一・為学上一凡君子の学問は、知仁勇の三徳を本とし、五倫をあつくするを道とす。知仁勇は五倫の道を行ふ心の徳なり。知は五倫の道をしり、仁は五倫の道を身にたもち行ひ、勇はつとめて知り、つとめて行ふ。知るも行ふも、勇を以てつとむ。君子の学問をするに、其心法とするは三徳なり。行ふべき道とするは五倫なり。三徳と五常とは理同じ。五常はむまれつきたる性なり。三徳は学問をする心法なり。五常をつづめていへり。
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『翁問答』下卷之本つねづねもの柔かにして、いかつにたけくうで立のたしなみなくても、孝忠の心だに真実なれば、必武篇つよき証拠は、むかし楊豊といへる人のむすめ、楊香とし十四の時、父にしたがひて山田を刈いける所へ虎ひとつ来りて、楊豊をくひ殺さんとせしを、楊香はしりかゝりて彼の虎の頸にいだきつきて、父の命を助けたり、此楊香は年十四になる女なれば、いかつたけく腕のたしなみなく、柔軟なる事勿論なり、しかれども虎を手打にしたるは、樊噲にもおとらぬ武篇なれば、いかつ腕立のたしなみはせんなくして、孝忠仁義のたしなみ簡要なる事をわきまへ知べし、されば楊香かくの如くの武勇は、只父を深く愛する一念の仁よりはたらく所なれば、孝行忠節の心だに真実なればだれ人も必武篇つよき理りあきらめ易し、是にて仁義の勇の端的をよく体認あるべし。
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『武士道』第十章 武士の教育・智仁勇は武士道の鼎足武士の教育に於て、最も重んずべきは、品性を確立するに在りて、細慮、知識、口弁の如き伎巧の才能は、適に其後へに雁行せり。抑も美的芸能は亦た武士教育上、枢要の地歩を占めて、文(教)ある士人に欠くべからざるものなりしと雖も、詮ずるに、其教育の要素に非らず、寧ろ却つて之れが附属物たるに過ぎざりき。学に秀づるは、固より其重んずる所なりしと雖も、所謂『智』とは、特に『智慧』を謂ふものにして、知識は但に其副位を占むるものとするに過ぎず。智仁勇の三徳は武士道を支持する鼎足なり。武士は要するに活動の人なり。学問は其活動の範囲外に在りて、唯だ其の武職に干与するの際に於て、之を利用するのみ。宗教と神学とは之を僧侶に委し、武士は唯だ勇気を養ふに補益する所あるに由つて、之れを採れり。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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