五常訓 / 巻之二・仁之上
顏色言語は、見事に聞事なれど、かざりて外をつとめ、内に實なければ、仁にあらず。此二章を以て、仁の理を知るべし。又曰、仁者必有勇とは、仁者は心私にわづらはざる故、義を見ては必行ふ。内にかへりみるに疚しからず。故に事にのぞみて、うれへずおそれず、節義をかたく守りて、身に私せず。此故に、仁者は必勇あり。血氣の勇者は、けなげにて身をすつれども、仁義なければ道理に當らず、捨てかひなし。勢により、節にのぞみては、身に私して、道理にそむき、節義をうしなふ。故に必仁あらず、其勇もたのみなし。子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。仁に志ある人、仁ある人は、義の死すべき時節に、わが身に私せず、命生きん事をもとめて、わが心の道理を害せず。
新字:顔色言語は、見事に聞事なれど、かざりて外をつとめ、内に実なければ、仁にあらず。此二章を以て、仁の理を知るべし。又曰、仁者必有勇とは、仁者は心私にわづらはざる故、義を見ては必行ふ。内にかへりみるに疚しからず。故に事にのぞみて、うれへずおそれず、節義をかたく守りて、身に私せず。此故に、仁者は必勇あり。血気の勇者は、けなげにて身をすつれども、仁義なければ道理に当らず、捨てかひなし。勢により、節にのぞみては、身に私して、道理にそむき、節義をうしなふ。故に必仁あらず、其勇もたのみなし。子曰、志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁。仁に志ある人、仁ある人は、義の死すべき時節に、わが身に私せず、命生きん事をもとめて、わが心の道理を害せず。
書き下し
顔色言語は、見事に聞事なれど、かざりて外をつとめ、内に実なければ、仁にあらず。此二章を以て、仁の理を知るべし。又曰く、仁者は必ず勇有りとは、仁者は心私にわづらはざる故、義を見ては必行ふ。内にかへりみるに疚しからず。故に事にのぞみて、うれへずおそれず、節義をかたく守りて、身に私せず。此故に、仁者は必勇あり。血気の勇者は、けなげにて身をすつれども、仁義なければ道理に当らず、捨てかひなし。勢により、節にのぞみては、身に私して、道理にそむき、節義をうしなふ。故に必仁あらず、其勇もたのみなし。子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り。仁に志ある人、仁ある人は、義の死すべき時節に、わが身に私せず、命生きん事をもとめて、わが心の道理を害せず。
現代語訳
顔色や言葉は、見た目にも聞いた目にも立派ですが、飾って外を務め、内に実がなければ仁ではありません。この二章によって仁の理を知るべきです。また孔子が「仁者には必ず勇がある」とおっしゃったのは、仁者は心が私にわずらわされないので、義を見れば必ず行います。内に省みてやましいところがありません。ゆえに事に臨んで、憂えず恐れず、節義をかたく守って、身を私しません。このゆえに、仁者には必ず勇があるのです。血気の勇者は、けなげに身を捨てても、仁義がなければ道理に当たらず、捨てたかいがありません。勢いにより、節目に臨んでは、身を私して道理にそむき、節義を失います。ゆえに必ずしも仁があるとはいえず、その勇も頼りになりません。孔子は「志士や仁人は、生きることを求めて仁をそこなうことはなく、身を殺して仁を成すことがある」とおっしゃいました。仁に志のある人、仁のある人は、義のために死ぬべきときに、自分の身を私せず、命が生きることを求めて自分の心の道理をそこなうことはしません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
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言志四録・言志耋録 第二百六十八条 訟を聴くの道訟を聴くの道は、仁以て体と為し、荘以て之に涖み、智以て之を察す。先づ其の言を聞きて情偽を攷へ、次に顔色を観て真贋を弁じ、或は寛、或は厳、以て之を抑揚す。然る後に義以て之を断じ、勇以て之を行ふ。大抵是くの如きのみ。
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『文武訓』武訓上一生れつきに勇怯あり。勇に血気の勇あり、義理の勇あり。血気の勇は、つよきをやぶりかたきをくだく事すぐれたり。されど気つよきのみにて義なければ、節を守らずたのもしげなし。義理の勇は、節義を守りて、大節にのぞみて義を変ぜず、たのもし。たとへば、犬にも勇犬あり義犬あり。勇犬はむかふ所はたらきつよし。されどもあら野猪出でいかれば、身を引きてのがる。義犬は、つねの時は悪性ならず、盗みせず、人をおそる。けものにむかひてはたらき勇大に及ばざれど、たけくいかれる猪にあひても逃げず。人の主君のために、節を守るが如し。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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『文武訓』武訓上一張南軒曰く、君子は難を避けず。亦難に預からず。此意は、不慮にのがれがたき難に臨みて、其場をはづして身をのがるるは怯し、義にあらず。是難を去らざるなり。難にあふとも、難を避けて身をのがるべからず。又、我が身にあづからざる事にわざと出合ひて、難にあづかるは愚なり。此二は共に理にあたらず、勇にあらず。されば身を捨つることはやすけれど、捨ててかひありて理にあたることはかたし。道理にそむきて、死ぬまじき時に死し、あたら命をすつるは愚なりといふべし。死ぬべき時に死なざるは、不義といふ故に、死ぬべからざる時に死して身を失ひ、死ぬべき時に死なずして義を失ふも、共に勇にあらず、理にそむけり。
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