弁名 / 勇武剛强毅
勇。亦聖人之大德也。謂於天下之事無所懼也。蓋聖人之德。擧其大者。仁智盡之矣。而又擧勇以參之者。以君子不可無武備也。故於經在商書。贊湯之德。始有勇智之稱。可以見已。周官有大司馬。六卿有事而出。皆爲將軍。藏兵於農。文射禮樂。男子生懸弧。三代君子皆帶劒。詩曰。文武吉甫。孔子曰。有文事者必有武備。傳曰國之大事。在祀與戎。豈不然乎。
新字:勇。亦聖人之大徳也。謂於天下之事無所懼也。蓋聖人之徳。挙其大者。仁智尽之矣。而又挙勇以参之者。以君子不可無武備也。故於経在商書。賛湯之徳。始有勇智之称。可以見已。周官有大司馬。六卿有事而出。皆為将軍。蔵兵於農。文射礼楽。男子生懸弧。三代君子皆帯劒。詩曰。文武吉甫。孔子曰。有文事者必有武備。伝曰国之大事。在祀与戎。豈不然乎。
書き下し
勇も亦た聖人の大徳なり。天下の事に於いて懼るる所無きを謂ふなり。蓋し聖人の徳は、其の大なる者を挙ぐれば、仁智之を尽くす。而るに又た勇を挙げて以て之に参ふる者は、君子は武備無かるべからざるを以てなり。故に経に於いては商書に在りて、湯の徳を賛し、始めて勇智の称有り。以て見るべきのみ。周官に大司馬有り。六卿事有りて出づれば、皆将軍と為る。兵を農に蔵す。文射・礼楽あり。男子生まるれば弧を懸く。三代の君子は皆剣を帯ぶ。詩に曰く「文武の吉甫」と。孔子曰く「文事有る者は必ず武備有り」と。伝に曰く「国の大事は祀と戎とに在り」と。豈に然らずや。
現代語訳
勇もまた聖人の大きな徳である。天下の事に対して恐れるところがないことをいう。思うに聖人の徳は、大きなものを挙げれば仁と智で尽きる。それなのにさらに勇を挙げて加えるのは、君子には武の備えがなくてはならないからである。だから経書では商書で湯王の徳をたたえて、初めて「勇智」という称がある。これで見てとれよう。周礼には大司馬(軍事長官)があり、六卿は事があって出陣すれば、みな将軍となった。兵を農民の中に蓄え、文の射礼や礼楽もあった。男子が生まれれば弓を門に掛けた。夏・殷・周三代の君子はみな剣を帯びていた。詩経に「文武に優れた吉甫」とあり、孔子は「文の事を担う者には必ず武の備えがある」と言い、左伝に「国の大事は祭祀と軍事にある」とある。まさにその通りではないか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒総シテ世ノ怯弱臆病ト云ハ。ミナ道ヲ心得ヌ者ノ類シヤ。若十善戒法ヲ真実ニ護持スル者有ハ。必勇猛剛强ノ徳ヲ長ス。儒書ニモ自ラ反フシテ縮カラスハ。褐寛博ト雖トモ我惴レサランヤ。自ラ反シテ縮クハ。千万人ト雖トモ我ユカント有ル。カウシヤ。直キ処カラ出タ勇カ誠ノ勇シヤ。又仁者ハ必勇アリ。勇者ハ必シモ仁アラストアル。カウシヤ。仁慈ノ余カラ出タ勇テナケレハ皆暴虎馮河ノ勇ト名クルシヤ。
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『翁問答』下卷之本論語に曰、仁者は必ず勇有り、勇者は必ずしも仁有らずと、この聖謨の心は、仁道をよくまなびて仁者の位にいたりぬれば、人欲きよくつきて天理流行し、なにほどすさまじき妖魔或は虎狼などにあひても、常の人の狗猫などに逢たるごとくに、心におどろきおそるゝ事すこしもなし、もとより百万人の敵にあひ剣の中或は猛火のうちへ飛び入とても、平生の心もちにてすこしも違ふことなく、毛頭おどろきおそるゝ心なく、必ず十分無類のけなげあり、明徳あきらかになけれども、生れつきて勇なるを勇者と云、この勇者ももとより死をおそれず、物におびへおどろかざることは仁者の勇に似たれども、人欲のまよひ深き故に、明徳の良知くらければ、不義無道のはたらき畜生にひとしく、天徳の仁を失ふものなり
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『五常訓』巻之二・仁之上顔色言語は、見事に聞事なれど、かざりて外をつとめ、内に実なければ、仁にあらず。此二章を以て、仁の理を知るべし。又曰く、仁者は必ず勇有りとは、仁者は心私にわづらはざる故、義を見ては必行ふ。内にかへりみるに疚しからず。故に事にのぞみて、うれへずおそれず、節義をかたく守りて、身に私せず。此故に、仁者は必勇あり。血気の勇者は、けなげにて身をすつれども、仁義なければ道理に当らず、捨てかひなし。勢により、節にのぞみては、身に私して、道理にそむき、節義をうしなふ。故に必仁あらず、其勇もたのみなし。子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り。仁に志ある人、仁ある人は、義の死すべき時節に、わが身に私せず、命生きん事をもとめて、わが心の道理を害せず。
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『弁名』勇武剛强毅然れども君子は将たる者なり。其の勇豈に武夫兵卒の比ならんや。是れ其の勇を養ひ其の徳を成す所以の者は、必ず仁に於いてし、必ず礼義に於いてす。故に孔子曰く「仁者は必ず勇有り」と。子路勇を上ぶかと問へば、則ち答ふるに義を上ぶを以てす。又た曰く「勇にして礼無ければ則ち乱る」と。晋の将を選ぶに、郤縠は詩書に敦きを以て選ばる。伝に曰く「勇敢強有力なる者は、天下事無ければ、則ち之を礼義に用ひ、天下事有れば、則ち之を戦勝に用ふ。之を戦勝に用ふれば則ち敵無く、之を礼義に用ふれば則ち順治す。外に敵無く、内に順治す、此を之れ盛徳と謂ふ」と。古の道は爾りと為す。子思の中庸を作るに及びて、知仁勇を以て三達徳と為し、専ら之を学問の道に用ふ。是れ或いは一道なり。戦国よりして後、文武其の術を殊にし、秦漢よりして後、文武其の官を殊にし、唐宋よりして後、又た其の政を殊にす。故に今の学者習ひて以て常と為し、武は逢掖の事に非ずと謂ひて、古の意隠る。遂に子思の言を執りて、儒者の勇は専ら之を学問に用ふる者と謂ふ。是れ一を執りて百を廃する者なり。学者諸を察せよ。
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『弁道』第七則宋儒又た二者の異を合はせんと欲し、乃ち専言・偏言の目を造る。専言は以て一切を尽くすに足り、偏言は以て衆徳と対立するに足る。庶はくは以て孔孟の教へ並び行はれて相悖らざらしむるに足らんとなり。是れ其の理学の説、言語の間に瞭然たらんと欲する者のみ。安くんぞ以て先王孔子の道を知るに足らんや。先王の道は多端なり。且く其の尤なる者を挙げて之を言はん。政は暴を禁じ、兵刑は人を殺す。之を仁と謂ひて可ならんや。然れども要は天下を安んずるに帰するのみ。先王の教へは多端なり。智は自ら智、勇は自ら勇、義は自ら義、仁は自ら仁、豈に混合すべけんや。然れども必ず天下を安んずるの道と相悖らずして、而る後に之を智勇と義と謂ふのみ。
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