弁道 / 第七則
宋儒又欲合二者之異。乃造專言偏言之目。專言足以盡一切。偏言足以與衆德對立。庶足以孔孟之敎並行而不相悖也。是其理學之說。欲瞭然於言語之間者已。安足以知先王孔子之道乎。先王之道多端矣。且擧其尤者言之。政禁暴。兵刑殺人。謂之仁而可乎。然要歸於安天下已。先王之敎多端矣。智自智。勇自勇。義自義。仁自仁。豈可混合乎。然必不與安天下之道相悖。而後謂之智勇與義已。
新字:宋儒又欲合二者之異。乃造専言偏言之目。専言足以尽一切。偏言足以与衆徳対立。庶足以孔孟之教並行而不相悖也。是其理学之説。欲瞭然於言語之間者已。安足以知先王孔子之道乎。先王之道多端矣。且挙其尤者言之。政禁暴。兵刑殺人。謂之仁而可乎。然要帰於安天下已。先王之教多端矣。智自智。勇自勇。義自義。仁自仁。豈可混合乎。然必不与安天下之道相悖。而後謂之智勇与義已。
書き下し
宋儒又た二者の異を合はせんと欲し、乃ち専言・偏言の目を造る。専言は以て一切を尽くすに足り、偏言は以て衆徳と対立するに足る。庶はくは以て孔孟の教へ並び行はれて相悖らざらしむるに足らんとなり。是れ其の理学の説、言語の間に瞭然たらんと欲する者のみ。安くんぞ以て先王孔子の道を知るに足らんや。先王の道は多端なり。且く其の尤なる者を挙げて之を言はん。政は暴を禁じ、兵刑は人を殺す。之を仁と謂ひて可ならんや。然れども要は天下を安んずるに帰するのみ。先王の教へは多端なり。智は自ら智、勇は自ら勇、義は自ら義、仁は自ら仁、豈に混合すべけんや。然れども必ず天下を安んずるの道と相悖らずして、而る後に之を智勇と義と謂ふのみ。
現代語訳
宋の儒者はさらに、両者(孔子の仁と孟子の仁義)の違いをつなぎ合わせようとして、「専言」と「偏言」という区分を作った。単独で言う仁(専言)はすべてを尽くし、他と並べて言う仁(偏言)は諸徳と対立する、というのである。これで孔子と孟子の教えが並び行われて互いに矛盾しないようにしたいということだ。これは彼らの理学の説であり、言葉の上で筋が通るようにしたいだけのことである。どうして先王・孔子の道を知るに足りようか。先王の道は多方面にわたる。いちばん目立つものを挙げて言えば、政治は暴力を禁じ、軍事と刑罰は人を殺す。これを仁と言ってよいだろうか。しかし要は天下を安んずることに帰着するのである。先王の教えは多方面にわたる。智は智、勇は勇、義は義、仁は仁であって、どうして混ぜ合わせられようか。しかし必ず天下を安んずる道と食い違わないときにはじめて、それを智とも勇とも義とも言うのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之二・仁之上顔色言語は、見事に聞事なれど、かざりて外をつとめ、内に実なければ、仁にあらず。此二章を以て、仁の理を知るべし。又曰く、仁者は必ず勇有りとは、仁者は心私にわづらはざる故、義を見ては必行ふ。内にかへりみるに疚しからず。故に事にのぞみて、うれへずおそれず、節義をかたく守りて、身に私せず。此故に、仁者は必勇あり。血気の勇者は、けなげにて身をすつれども、仁義なければ道理に当らず、捨てかひなし。勢により、節にのぞみては、身に私して、道理にそむき、節義をうしなふ。故に必仁あらず、其勇もたのみなし。子曰く、志士仁人は、生を求めて以て仁を害すること無く、身を殺して以て仁を成すこと有り。仁に志ある人、仁ある人は、義の死すべき時節に、わが身に私せず、命生きん事をもとめて、わが心の道理を害せず。
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司馬法・嚴位故に心は仁に中(あた)り、行いは義に中る、物に堪うるは智なり、大に堪うるは勇なり、久しきに堪うるは信なり。
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言志四録・言志耋録 第二百六十八条 訟を聴くの道訟を聴くの道は、仁以て体と為し、荘以て之に涖み、智以て之を察す。先づ其の言を聞きて情偽を攷へ、次に顔色を観て真贋を弁じ、或は寛、或は厳、以て之を抑揚す。然る後に義以て之を断じ、勇以て之を行ふ。大抵是くの如きのみ。
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『十善法語』巻第二・不偸盜戒総シテ世ノ怯弱臆病ト云ハ。ミナ道ヲ心得ヌ者ノ類シヤ。若十善戒法ヲ真実ニ護持スル者有ハ。必勇猛剛强ノ徳ヲ長ス。儒書ニモ自ラ反フシテ縮カラスハ。褐寛博ト雖トモ我惴レサランヤ。自ラ反シテ縮クハ。千万人ト雖トモ我ユカント有ル。カウシヤ。直キ処カラ出タ勇カ誠ノ勇シヤ。又仁者ハ必勇アリ。勇者ハ必シモ仁アラストアル。カウシヤ。仁慈ノ余カラ出タ勇テナケレハ皆暴虎馮河ノ勇ト名クルシヤ。
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『翁問答』下卷之本論語に曰、仁者は必ず勇有り、勇者は必ずしも仁有らずと、この聖謨の心は、仁道をよくまなびて仁者の位にいたりぬれば、人欲きよくつきて天理流行し、なにほどすさまじき妖魔或は虎狼などにあひても、常の人の狗猫などに逢たるごとくに、心におどろきおそるゝ事すこしもなし、もとより百万人の敵にあひ剣の中或は猛火のうちへ飛び入とても、平生の心もちにてすこしも違ふことなく、毛頭おどろきおそるゝ心なく、必ず十分無類のけなげあり、明徳あきらかになけれども、生れつきて勇なるを勇者と云、この勇者ももとより死をおそれず、物におびへおどろかざることは仁者の勇に似たれども、人欲のまよひ深き故に、明徳の良知くらければ、不義無道のはたらき畜生にひとしく、天徳の仁を失ふものなり
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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