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翁問答 / 下卷之本

文字なき大むかしにはもとより讀む可き書物なければ、只聖人の言行を手本として學問せしなり、代の末になりて學問の本實をとり失はん事を憂ひて、物の本にしるして學問の鏡と定めしよりこのかた、物のほんを讀むを學問の初門とするなり、しかる故に其心をいさぎよく行跡をたゞしくする思案工夫ある人は、物の本を讀まずして一文不通なりとも、學問する人なり、その心をあきらかにし身を治むる思案工夫なき人は四書五經をよるひる手をはなさず讀むと云とも學問する人にあらず、かくの如く眞實の道理をよくわきまへぬれば、左樣のあやまりは片腹いたき事なるべし、

新字:文字なき大むかしにはもとより読む可き書物なければ、只聖人の言行を手本として学問せしなり、代の末になりて学問の本実をとり失はん事を憂ひて、物の本にしるして学問の鏡と定めしよりこのかた、物のほんを読むを学問の初門とするなり、しかる故に其心をいさぎよく行跡をたゞしくする思案工夫ある人は、物の本を読まずして一文不通なりとも、学問する人なり、その心をあきらかにし身を治むる思案工夫なき人は四書五経をよるひる手をはなさず読むと云とも学問する人にあらず、かくの如く真実の道理をよくわきまへぬれば、左様のあやまりは片腹いたき事なるべし、

書き下し

文字なき大むかしにはもとより読む可き書物なければ、只聖人の言行を手本として学問せしなり、代の末になりて学問の本実をとり失はん事を憂ひて、物の本にしるして学問の鏡と定めしよりこのかた、物のほんを読むを学問の初門とするなり、しかる故に其心をいさぎよく行跡をたゞしくする思案工夫ある人は、物の本を読まずして一文不通なりとも、学問する人なり、その心をあきらかにし身を治むる思案工夫なき人は四書五経をよるひる手をはなさず読むと云とも学問する人にあらず、かくの如く真実の道理をよくわきまへぬれば、左様のあやまりは片腹いたき事なるべし、

現代語訳

文字のない大昔には、もとより読むべき書物がなかったので、ただ聖人の言行を手本として学問したのである。世が末になって学問の本実を取り失うことを憂えて、書物に記して学問の鏡と定めてからこのかた、書物を読むことを学問の入り口とするのである。それゆえ、その心を潔くし行跡を正しくする思案工夫のある人は、書物を読まず一文不通であっても学問する人である。その心を明らかにし身を治める思案工夫のない人は、四書五経を昼夜手放さずに読んでいても学問する人ではない。このように真実の道理をよくわきまえれば、そのような誤りは片腹痛いことであろう。

解説

藤樹は書物を学問の初門、つまり入り口に位置づける。書物は、文字のない時代に聖人の言行から直接学んでいた本来の学問を、後世に伝えるための鏡にすぎない。だから一文不通でも心を清め行いを正す工夫のある人は学ぶ人であり、四書五経を昼夜読んでも心を治めない人は学ぶ人ではないという。のちに陽明学へ進む藤樹の、知と行を一つと見る傾きがよく表れた一節である。知識を集めることと人として成長することは別であり、読んだ量より自分の何が変わったかを問う習慣を持ちたい。

この章句が説くこと

学問書物四書五経心行い工夫

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