翁問答 / 上卷之末
むかしもろこしに、盜跖とてもろこし一番の盜賊あり、あまりに惡逆無道がこうじて人の鱠をくひぬれども、無病息災にながいきして、もとよりぬすみすれば財寳澤山にて難なく暮したりまた其頃孔子の御弟子に顏子と申人あり、三千人の御弟子のうちにて拔群に無類なる大賢人なれども、簞瓢陋巷不幸短命なり、此二つのうたがひに迷ひて、古來いろいろの憶說どもおほく候、運命の勢によつて間にかくの如くの大ちがひあるを見て、萬古不易の天道にうたがひをなし、福善禍淫のさたも信仰しがたしなど云るは、六月の土用にかさねぎする病人を見て夏のあつきと云ふは僞りなりといひ、極月の大寒にはだぬぎてもあつがる病人を見て冬のさむきと云ふはまことならずと云が如し、いと淺ましき迷ひなり、この寒暑の道理はあさくて知り易き故に迷ふものなし、少しもちがはぬことはりなれども、福善禍淫のことはりは深くしてしりがたきによつて、まよふなり、知やすき所にてよくよく體認觀念して深き神理を悟るべし、
新字:むかしもろこしに、盗跖とてもろこし一番の盗賊あり、あまりに悪逆無道がこうじて人の鱠をくひぬれども、無病息災にながいきして、もとよりぬすみすれば財宝沢山にて難なく暮したりまた其頃孔子の御弟子に顔子と申人あり、三千人の御弟子のうちにて抜群に無類なる大賢人なれども、箪瓢陋巷不幸短命なり、此二つのうたがひに迷ひて、古来いろいろの憶説どもおほく候、運命の勢によつて間にかくの如くの大ちがひあるを見て、万古不易の天道にうたがひをなし、福善禍淫のさたも信仰しがたしなど云るは、六月の土用にかさねぎする病人を見て夏のあつきと云ふは偽りなりといひ、極月の大寒にはだぬぎてもあつがる病人を見て冬のさむきと云ふはまことならずと云が如し、いと浅ましき迷ひなり、この寒暑の道理はあさくて知り易き故に迷ふものなし、少しもちがはぬことはりなれども、福善禍淫のことはりは深くしてしりがたきによつて、まよふなり、知やすき所にてよくよく体認観念して深き神理を悟るべし、
書き下し
むかしもろこしに、盗跖とてもろこし一番の盗賊あり、あまりに悪逆無道がこうじて人の鱠をくひぬれども、無病息災にながいきして、もとよりぬすみすれば財宝沢山にて難なく暮したりまた其頃孔子の御弟子に顔子と申人あり、三千人の御弟子のうちにて抜群に無類なる大賢人なれども、箪瓢陋巷不幸短命なり、此二つのうたがひに迷ひて、古来いろいろの憶説どもおほく候、運命の勢によつて間にかくの如くの大ちがひあるを見て、万古不易の天道にうたがひをなし、福善禍淫のさたも信仰しがたしなど云るは、六月の土用にかさねぎする病人を見て夏のあつきと云ふは偽りなりといひ、極月の大寒にはだぬぎてもあつがる病人を見て冬のさむきと云ふはまことならずと云が如し、いと浅ましき迷ひなり、この寒暑の道理はあさくて知り易き故に迷ふものなし、少しもちがはぬことはりなれども、福善禍淫のことはりは深くしてしりがたきによつて、まよふなり、知やすき所にてよくよく体認観念して深き神理を悟るべし、
現代語訳
昔、中国に盗跖という中国一の盗賊がいた。あまりに悪逆無道が高じて人の膾を食ったが、無病息災で長生きし、もともと盗みをしていたので財宝が豊かで、難なく暮らした。またその頃、孔子の弟子に顔子という人がいた。三千人の弟子のうちで抜群に比類のない大賢人であったが、一箪の食・一瓢の飲で陋巷に住み、不幸にして短命であった。この二つの疑いに迷って、古来さまざまな憶説が多い。運命の勢いによって時にこのような大きな食い違いがあるのを見て、万古不易の天道に疑いを抱き、善に福し淫に禍するということも信じがたいなどと言うのは、六月の土用に重ね着する病人を見て夏が暑いというのは偽りだと言い、十二月の大寒に肌脱ぎしても暑がる病人を見て冬が寒いというのは本当ではないと言うようなもので、まことに浅ましい迷いである。この寒暑の道理は浅くて知りやすいので迷う者はなく、少しも違わない道理であるが、善に福し淫に禍する道理は深くて知りがたいので迷うのである。知りやすいところでよくよく体認し観念して、深い神理を悟るべきである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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徒然草・第129段顔囘は、志人に労を施さじとなり。すべて人を苦しめ、物を虐ぐる事、賎しき民の志をも奪ふべからず。又幼き子を賺し嚇し、言ひ辱しめて興ずることあり。大人しき人は、まことならねば事にもあらず思へど、幼き心には、身にしみて恐ろしく、恥しく、あさましき思ひ、誠に切なるべし。これを悩して興ずる事、慈悲の心にあらず。大人しき人の、喜び怒り哀れび楽しぶも、皆虚妄なれども、誰か実有の相に著せざる。身を破るよりも、心を痛ましむるは、人を害ふ事なほ甚だし。病を受くる事も、多くは心より受く。外より来る病は少なし。薬を飮みて汗を求むるには、験なき事あれども、一旦恥ぢ恐るゝことあれば、かならず汗を流すは、心のしわざなりといふことを知るべし。凌雲の額を書きて、白頭の人となりし例なきにあらず。
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中庸子曰く、「回(かい)の人と為(な)りや、中庸を択び、一善を得れば、則ち拳拳(けんけん)服膺(ふくよう)して之を失わず」と。
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論語・雍也篇哀公問う、弟子孰か学を好むと為す。孔子対えて曰く、顔回という者あり、学を好む。怒りを遷さず、過ちを二たびせず。不幸短命にして死せり。今は則ち亡し、未だ学を好む者を聞かざるなり。
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史記 仲尼弟子列伝顔回は、魯の人なり、字は子淵。孔子より少きこと三十歳。顔淵、仁を問ふ。孔子曰く、「己に克ち礼に復る、天下仁に帰す」と。孔子曰く、「賢なるかな回や、一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂ひに堪へず、回や其の楽しみを改めず。回や愚なるが如し、退きて其の私を省みれば、亦た以て発するに足る、回や愚ならず。之を用ふれば則ち行ひ、之を捨つれば則ち蔵る、唯我と爾とのみ是れ有るかな」と。回、年二十九、髪尽く白くして蚤く死す。孔子之を哭して慟し、曰く、「吾に回有りて自り、門人益々親しむ」と。魯の哀公問ふ、「弟子は孰をか学を好むと為すか」と。孔子対へて曰く、「顔回なる者有り、学を好み、怒りを遷さず、過ちを貮たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し」と。
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論語・雍也篇子曰く、『回や、その心三月仁に違わず。其の余は則ち日月至るのみ。』
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説苑・辨物孔子晨(あした)に堂上に立ち、哭する者の声音甚だ悲しきを聞く。孔子琴を援(と)りて之を鼓す、其の音同じ。孔子出づるに、弟子吒(さ)する者有り。問う、「誰ぞや。」曰わく、「回なり。」孔子曰わく、「回何為(なんす)れぞ吒するや。」回曰わく、「今者哭する者有り、其の音甚だ悲し。独り死を哭するのみに非ず、又生きて離るる者を哭するなり。」孔子曰わく、「何を以て之を知るや。」回曰わく、「完山の鳥に似たり。」孔子曰わく、「何如(いかん)。」回曰わく、「完山の鳥四子を生み、羽翼已に成りて乃ち四海に離る。哀鳴して之を送るは、是れ往きて復た返らざればなり。」孔子人をして哭する者に問わしむ。哭する者曰わく、「父死して家貧しく、子を売りて以て之を葬らんとす、将に其れ与に別れんとするなり。」孔子曰わく、「善いかな、聖人なり。」
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