翁問答 / 上卷之末
體充問曰、至德と明德とはひとつにて御座候や、たゞしまたかくべつなるものにて御座候や。師の曰、一體にして名のかはりたるものにて候、たとへば大きなる鏡をなづくるに、その明なるところを以て云へば明鏡と云、おほきなる所を以ていへば大鏡といふが如し、德性のあきらかなる所につゐて明德と號し、德性の外もなくうへもなく廣大無邊なるところにつゐて至德となづくるなり、至德の字に極善大達四字の意をふくめり。
新字:体充問曰、至徳と明徳とはひとつにて御座候や、たゞしまたかくべつなるものにて御座候や。師の曰、一体にして名のかはりたるものにて候、たとへば大きなる鏡をなづくるに、その明なるところを以て云へば明鏡と云、おほきなる所を以ていへば大鏡といふが如し、徳性のあきらかなる所につゐて明徳と号し、徳性の外もなくうへもなく広大無辺なるところにつゐて至徳となづくるなり、至徳の字に極善大達四字の意をふくめり。
書き下し
体充問曰、至徳と明徳とはひとつにて御座候や、たゞしまたかくべつなるものにて御座候や。師の曰、一体にして名のかはりたるものにて候、たとへば大きなる鏡をなづくるに、その明なるところを以て云へば明鏡と云、おほきなる所を以ていへば大鏡といふが如し、徳性のあきらかなる所につゐて明徳と号し、徳性の外もなくうへもなく広大無辺なるところにつゐて至徳となづくるなり、至徳の字に極善大達四字の意をふくめり。
現代語訳
體充が問うて言った。「至徳と明徳とは一つのものでございますか。それとも別のものでございますか。」師が言った。「一つの本体で、名が変わっているものである。たとえば大きな鏡に名をつけるとき、その明るいところをもっていえば明鏡といい、大きいところをもっていえば大鏡というようなものである。徳性の明らかなところについて明徳と名づけ、徳性の外もなく上もなく広大無辺なところについて至徳と名づけるのである。至徳の字には、極善・大達の四字の意味を含んでいる。」
解説
この章句が説くこと
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