翁問答 / 上卷之末
體充曰、學問と政は各別なるものと存候へば、ひとつものにて御座候や。師の曰、惣じて世間に、學問にはづれたるものは、ひとつもなく候、正眞の學問あきらかならざるゆへに、いろいろ迷いたるうたがひあることにて候、學問は明德をあきらかにするを全體根本とす、明德は天地有形の外へ通じ、上もなく外もなく神明不測なるものなれば天下國家を治むる政は、明德神通妙用の要領にて候、ゆへに政は明德をあきらかにする學問、學問は天下國家を治むる政なり、本來一にして二、二にして一なるものと心得べし、そのうへ法度の箇條ばかりが政にてはなく候天子諸侯の身におこなひたもふ一事、くちにのたもふ一言、みなしおきの根本なれば、政と學問と本來同一理なることを明に得心すべし。
新字:体充曰、学問と政は各別なるものと存候へば、ひとつものにて御座候や。師の曰、惣じて世間に、学問にはづれたるものは、ひとつもなく候、正真の学問あきらかならざるゆへに、いろいろ迷いたるうたがひあることにて候、学問は明徳をあきらかにするを全体根本とす、明徳は天地有形の外へ通じ、上もなく外もなく神明不測なるものなれば天下国家を治むる政は、明徳神通妙用の要領にて候、ゆへに政は明徳をあきらかにする学問、学問は天下国家を治むる政なり、本来一にして二、二にして一なるものと心得べし、そのうへ法度の箇条ばかりが政にてはなく候天子諸侯の身におこなひたもふ一事、くちにのたもふ一言、みなしおきの根本なれば、政と学問と本来同一理なることを明に得心すべし。
書き下し
体充曰、学問と政は各別なるものと存候へば、ひとつものにて御座候や。師の曰、惣じて世間に、学問にはづれたるものは、ひとつもなく候、正真の学問あきらかならざるゆへに、いろいろ迷いたるうたがひあることにて候、学問は明徳をあきらかにするを全体根本とす、明徳は天地有形の外へ通じ、上もなく外もなく神明不測なるものなれば天下国家を治むる政は、明徳神通妙用の要領にて候、ゆへに政は明徳をあきらかにする学問、学問は天下国家を治むる政なり、本来一にして二、二にして一なるものと心得べし、そのうへ法度の箇条ばかりが政にてはなく候天子諸侯の身におこなひたもふ一事、くちにのたもふ一言、みなしおきの根本なれば、政と学問と本来同一理なることを明に得心すべし。
現代語訳
體充が言った。「学問と政治は別のものと思っておりましたが、一つのものでございますか。」師が言った。「総じて世間に、学問から外れたものは一つもない。真の学問が明らかでないために、いろいろ迷った疑いが生じるのである。学問は明徳を明らかにすることを全体・根本とする。明徳は天地の形あるものの外にまで通じ、上もなく外もなく、神妙で測りがたいものであるから、天下国家を治める政治は、明徳の神妙なはたらきの要領である。それゆえ政治は明徳を明らかにする学問であり、学問は天下国家を治める政治である。本来一つでありながら二つ、二つでありながら一つのものと心得るべきである。そのうえ、法度の箇条ばかりが政治ではない。天子や諸侯が身に行われる一事、口にのたまう一言が、みな政治の根本であるから、政治と学問が本来同じ一つの理であることを、はっきり納得すべきである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『学問のすゝめ』初編・愚民の上に苛き政府ありかかる愚民を支配するには、とても道理をもって諭すべき方便なければ、ただ威をもって畏すのみ。西洋の諺に「愚民の上に苛き政府あり」とはこのことなり。こは政府の苛きにあらず、愚民のみずから招く災なり。愚民の上に苛き政府あれば、良民の上には良き政府あるの理なり。ゆえに今わが日本国においても、この人民ありてこの政治あるなり。仮りに人民の徳義今日よりも衰えて、なお無学文盲に沈むことあらば、政府の法も今一段厳重になるべく、もしまた、人民みな学問に志して、物事の理を知り、文明の風に赴くことあらば、政府の法もなおまた寛仁大度の場合に及ぶべし。法の苛きと寛やかなるとは、ただ人民の徳不徳によりておのずから加減あるのみ。人誰か苛政を好みて良政を悪む者あらん、誰か本国の富強を祈らざる者あらん、誰か外国の侮りを甘んずる者あらん、これすなわち人たる者の常の情なり。
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『慎思録』巻之二天下は一日も義理無かるべからず。義理無ければ則ち人道廃る。是を以て国家は一日も学校無かるべからず。学校無ければ則ち義理の教へ興らず、人倫の道明らかならず。故に曰く、飽食暖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し、と。元人王介謂へること有り、天下の事、緩なるが若くして実は急なる者は、学校是れなり、と。豈に然らずや。夫れ明君は先づ民の産を制す。民の食既に足れば、則ち学校の政を修むること、緩くすべからず。此れ富ましめて而る後に之を教ふる者、聖人の治を為すの序なり。王介の言は晋の李遠の語に本づく。
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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段答ふ、厚き志し過分の至りなり。先づ今日教へをなす志しを語らん。孟子曰く、人の道有るや、飽食煖衣、逸居して教へ無ければ、則ち禽獣に近し。聖人之を憂ふること有り、契をして司徒たらしめ、教ふるに人倫を以てす。父子親有り、君臣義有り、夫婦別有り、長幼序有り、朋友信有り、と。此の五つの者を能くするを学問の功とす。これにて古人の学と云ふ者を知るべし。論語学而の篇にも、大抵皆本を務むることを多くせり。人倫の大原は天に出でて、仁義礼智の良心よりなす。孟子又曰く、学問の道は他無し、其の放心を求むるのみ、と。此の心を知りて後に、聖人の行ひを見て法を取るべし。君の道を尽くし玉ふは堯にあり、孝の道を尽くし玉ふは舜にあり、臣の道を尽くし玉ふは周公にあり、学問の道を尽くし玉ふは大聖孔子なり。此れ皆孟子の所謂性のままにして、上下天地と流れを同じくす。
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『都鄙問答』卷之一・都鄙問答ノ段多しと雖も亦奚を以て為さん、と。専対するは心なり。詩三百を誦するは文なり。和漢ともに小事を見て、大事を見る者少なし。陋しいかな文学に伐る。文芸も道の助けとなれば、舎つることにはあらず。愚、文学拙きを以て悔ゆといへども、民間に産まれ、家貧しくして学ぶべき暇なく、四十余の比より此の道に志す。如何して文学までに至るべき。只恥づべきは、何方へ一簡の饋るとも、文字に於いて誤ることぞ多かるべし。見る人これを用捨有らんことを願ふ。
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『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段答ふ、いかにも書物を読むことにて候。然れども書物を読みて、書の心を知らざれば、学問とはいはず。聖人の書は、自ら心を含め玉ふ。其心を知るを学問と云ふ。然るに文字ばかりを知るは、一芸なるゆへに、文字芸者と云ふ。曰く、書を読むは同じくして、汝今分けて二つとするは、証あることに候や。
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『翁問答』序志学の年より、心に守り身に行べき、道理を求め得まく思ひ立て、禅門教門の釈教を、年経て学ふと雖、其言詖遁にして其道偏僻なり、其法亦人倫日用の受用に便りあらざる故に儒門に入て四書五経の真教を受て、切磋琢磨を励ませ共、三隅を反せざる程の下愚なれば、開悟の自得難及、既に道に立可き年をも空しく打過ぬ、愚者の誤る習ひなれば性の拙き事を忘て、却て師範の其人に非ざるかと疑ひ、明哲の先学もがなと寤寐に忘れず、
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