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洗心洞箚記 / 卷下・第百三十七條

而先生每稱文中子以賢儒、其意將何在焉、不在其續經、而在其尊周官矣、文中子稱周官以爲王道極是、夢寐欲行之、又其言曰、吾視千載而上、聖人在上者、未有若周公焉、其道則一、而經制大備、後之爲政者有持循矣、文中子所云、其道則一者、先生所云、不明本之本、而卽亦愼獨之獨也、經制出乎愼獨、便是王道、而文中子所願矣、先生亦所願也、故吾謂先生指文中子以賢儒、必在其尊周官矣、

新字:而先生毎称文中子以賢儒、其意将何在焉、不在其続経、而在其尊周官矣、文中子称周官以為王道極是、夢寐欲行之、又其言曰、吾視千載而上、聖人在上者、未有若周公焉、其道則一、而経制大備、後之為政者有持循矣、文中子所云、其道則一者、先生所云、不明本之本、而即亦慎独之独也、経制出乎慎独、便是王道、而文中子所願矣、先生亦所願也、故吾謂先生指文中子以賢儒、必在其尊周官矣、

書き下し

而して先生毎に文中子を称して以て賢儒と為す。其の意将た何くに在るや。其の続経に在らずして、其の周官を尊ぶに在り。文中子周官を称して以て王道の極めて是なりと為し、夢寐にも之を行はんと欲す。又其の言に曰く、吾千載よりして上を視るに、聖人の上に在る者、未だ周公に若く有らず。其の道は則ち一にして、経制大いに備はる。後の政を為す者持循する有り、と。文中子の云ふ所の其の道は則ち一とは、先生の云ふ所の本を明らかにせずの本にして、即ち亦慎独の独なり。経制慎独より出づれば、便ち是れ王道にして、文中子の願ふ所なり、先生も亦願ふ所なり。故に吾謂ふ、先生の文中子を指して以て賢儒とするは、必ず其の周官を尊ぶに在り、と。

現代語訳

そして先生(王陽明)はいつも文中子(王通)をほめて賢儒とした。その意図はどこにあるのか。それは彼が経書の続編を作ったこと(続経)にではなく、彼が『周官』を尊んだことにある。文中子は『周官』をほめて王道としてきわめて正しいとし、夢の中でもそれを行いたいと願った。またその言葉に言う。「私が千年より前を見渡すと、聖人で上位にあった者のうち、周公に及ぶ者はいない。その道は一つであって、制度が大いに備わっている。後の政治を行う者には拠り所がある」。文中子の言う「その道は一つ」とは、先生の言う「根本を明らかにせず」の根本であり、すなわち慎独の独である。制度が慎独から出れば、それがそのまま王道であって、文中子の願ったことであり、先生もまた願ったことである。だから私は、先生が文中子を賢儒と指したのは、必ず彼が『周官』を尊んだことにあると言うのである。

解説

陽明が隋の王通(文中子)を賢儒と称えた理由を、中斎は続経の業績ではなく周礼を尊んだ点に見る。王通の「其の道は則ち一にして、経制大いに備はる」の「一」を、陽明のいう本、すなわち慎独の独と読み替え、制度が慎独から出れば王道になると結ぶ。古人の評価の理由を、その人の思想の核心に引きつけて読む中斎の読みの特徴がよく出ている。人を評価するときも、表面の業績より、その人が何を根本として大切にしているかを見るほうが、本当の共通点が見えてくる。

この章句が説くこと

慎独王道政治周礼学問王通

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