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翁問答 / 上卷之末

本をすてゝ末ばかりにて治るを法治といひてよろしからず、法治はかならず箇條あまたありてきびしきものなり、秦の始皇のしをきが法治の至極したるものなり、法治はきびしき程みだるゝものなり、始皇の代をかゞみとして見るべし、本來まつりごとはかずすくなく時相應の至善にかなひおほやうなるを本とす、今時のやうに暗く迷たる人の心を治むるを、混水をすますとたとへたり、なにかといろふほど濁がますものなり、いろはずにしづめて置ば、そのごみ自ら沈みて上より澄むが如し、德治法治の分別よくよく得心あるべし、德治は先我心を正しくして、人の心をたゞしくするものなり、たとへば大工のすみがね、その體ろくにしてものゝゆがみを直すが如し、法治は我心は正しからずして人の心をたゞしくせんとするものなり、たとへば諺にいへるしやくし定規なるべし、君の心あきらかなれば、吟味たゞしく法度道あるゆへに、末ながくかはらず君の心くらければ、萬事ぶぎんみなるによつてその法度さいさい改めかはるものなり。

新字:本をすてゝ末ばかりにて治るを法治といひてよろしからず、法治はかならず箇条あまたありてきびしきものなり、秦の始皇のしをきが法治の至極したるものなり、法治はきびしき程みだるゝものなり、始皇の代をかゞみとして見るべし、本来まつりごとはかずすくなく時相応の至善にかなひおほやうなるを本とす、今時のやうに暗く迷たる人の心を治むるを、混水をすますとたとへたり、なにかといろふほど濁がますものなり、いろはずにしづめて置ば、そのごみ自ら沈みて上より澄むが如し、徳治法治の分別よくよく得心あるべし、徳治は先我心を正しくして、人の心をたゞしくするものなり、たとへば大工のすみがね、その体ろくにしてものゝゆがみを直すが如し、法治は我心は正しからずして人の心をたゞしくせんとするものなり、たとへば諺にいへるしやくし定規なるべし、君の心あきらかなれば、吟味たゞしく法度道あるゆへに、末ながくかはらず君の心くらければ、万事ぶぎんみなるによつてその法度さいさい改めかはるものなり。

書き下し

本をすてゝ末ばかりにて治るを法治といひてよろしからず、法治はかならず箇条あまたありてきびしきものなり、秦の始皇のしをきが法治の至極したるものなり、法治はきびしき程みだるゝものなり、始皇の代をかゞみとして見るべし、本来まつりごとはかずすくなく時相応の至善にかなひおほやうなるを本とす、今時のやうに暗く迷たる人の心を治むるを、混水をすますとたとへたり、なにかといろふほど濁がますものなり、いろはずにしづめて置ば、そのごみ自ら沈みて上より澄むが如し、徳治法治の分別よくよく得心あるべし、徳治は先我心を正しくして、人の心をたゞしくするものなり、たとへば大工のすみがね、その体ろくにしてものゝゆがみを直すが如し、法治は我心は正しからずして人の心をたゞしくせんとするものなり、たとへば諺にいへるしやくし定規なるべし、君の心あきらかなれば、吟味たゞしく法度道あるゆへに、末ながくかはらず君の心くらければ、万事ぶぎんみなるによつてその法度さいさい改めかはるものなり。

現代語訳

根本を捨てて枝葉ばかりで治めるのを法治といって、よろしくない。法治は必ず箇条が多く厳しいものである。秦の始皇帝の政治は法治の極みである。法治は厳しいほど乱れるものである。始皇帝の代を鑑として見るがよい。本来、政治は数少なく、時に応じた至善にかない、おおらかなのを本とする。今のように暗く迷った人の心を治めることを、濁り水を澄ますことにたとえる。何かといじるほど濁りが増すものである。いじらずに静めておけば、そのごみは自然と沈んで上から澄んでくるようなものである。徳治と法治の区別をよくよく納得すべきである。徳治はまず自分の心を正しくして、人の心を正しくするものである。たとえば大工の墨金(曲尺)が、それ自体まっすぐで物のゆがみを直すようなものである。法治は自分の心は正しくないまま、人の心を正しくしようとするものである。たとえばことわざにいう杓子定規であろう。主君の心が明らかであれば吟味が正しく、法度に道があるので、末長く変わらない。主君の心が暗ければ、万事に吟味が行き届かないので、その法度はたびたび改め変わるものである。

解説

藤樹は徳治と法治を対比し、秦の始皇帝を法治の極みとして、厳しいほど乱れると断じる。濁った水はかき回すほど濁り、静めておけば上から澄むというたとえは、細かな規制や干渉が人心をかえって乱すことを言い当てている。徳治は大工の曲尺のように、まず自分がまっすぐであって他のゆがみを直すもの、法治は自分が曲がったまま他人を正そうとする杓子定規だという対比も鮮やかである。現代の組織でも、ルールが頻繁に変わるのは上の判断がぶれている証拠かもしれない。まず自分を正すことが、人を動かす最短の道である。

この章句が説くこと

徳治法治心杓子定規秦修己

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