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翁問答 / 上卷之末

體充問曰法度はかずおほくきびしくしたるがよく御座候哉。師の曰しをき法度の箇條は所により時によりて定むるものなれば、多きがよきとも少なきがよきとも定むべからず、またきびしくしてよき事あり、緩してよきこともあれば、きびしきがよしともゆるきがよきとも定むべからず、たゞ時と所と位とに相おうじたる道理にしたがひたるがよく候、しをき法度にも本末あり、君の心あきらかにして道を行ひ、國中の手本かゞみと定め給ふが政の根本なり、法度の箇條はまつりごとの枝葉なり、君の好むことおばその下々皆まねをするものなれば、君の心あきらかに道を行ひ給ひぬれば、法度はなくても自ら人の心よくなるものなり、まして法度をよくさだめそむくものをば、刑罰にこらし、本も末もたゞしくしてよくおこなひぬれば、國とみさかへ長久にあるものなり、

新字:体充問曰法度はかずおほくきびしくしたるがよく御座候哉。師の曰しをき法度の箇条は所により時によりて定むるものなれば、多きがよきとも少なきがよきとも定むべからず、またきびしくしてよき事あり、緩してよきこともあれば、きびしきがよしともゆるきがよきとも定むべからず、たゞ時と所と位とに相おうじたる道理にしたがひたるがよく候、しをき法度にも本末あり、君の心あきらかにして道を行ひ、国中の手本かゞみと定め給ふが政の根本なり、法度の箇条はまつりごとの枝葉なり、君の好むことおばその下々皆まねをするものなれば、君の心あきらかに道を行ひ給ひぬれば、法度はなくても自ら人の心よくなるものなり、まして法度をよくさだめそむくものをば、刑罰にこらし、本も末もたゞしくしてよくおこなひぬれば、国とみさかへ長久にあるものなり、

書き下し

体充問曰法度はかずおほくきびしくしたるがよく御座候哉。師の曰しをき法度の箇条は所により時によりて定むるものなれば、多きがよきとも少なきがよきとも定むべからず、またきびしくしてよき事あり、緩してよきこともあれば、きびしきがよしともゆるきがよきとも定むべからず、たゞ時と所と位とに相おうじたる道理にしたがひたるがよく候、しをき法度にも本末あり、君の心あきらかにして道を行ひ、国中の手本かゞみと定め給ふが政の根本なり、法度の箇条はまつりごとの枝葉なり、君の好むことおばその下々皆まねをするものなれば、君の心あきらかに道を行ひ給ひぬれば、法度はなくても自ら人の心よくなるものなり、まして法度をよくさだめそむくものをば、刑罰にこらし、本も末もたゞしくしてよくおこなひぬれば、国とみさかへ長久にあるものなり、

現代語訳

體充が問うて言った。「法度(掟)は数多く厳しくしたほうがよいのでしょうか。」師が言った。「政治の法度の箇条は、所により時によって定めるものであるから、多いのがよいとも少ないのがよいとも決めてはならない。また厳しくしてよいこともあり、緩やかにしてよいこともあるので、厳しいのがよいとも緩いのがよいとも決めてはならない。ただ時と所と位に応じた道理に従うのがよい。政治の法度にも本末がある。主君が心を明らかにして道を行い、国中の手本・鏡と定められるのが政治の根本である。法度の箇条は政治の枝葉である。主君の好むことは、その下々がみな真似をするものであるから、主君が心を明らかにして道を行われれば、法度がなくても自然に人の心はよくなるものである。まして法度をよく定め、背く者を刑罰で懲らし、本も末も正しくしてよく行えば、国は富み栄えて長く続くものである。」

解説

ルールは多いほどよいか、厳しいほどよいか。藤樹は一律の答えを退け、時・所・位に応じた道理に従えと説く。これは藤樹が繰り返し語る「時処位」の考え方である。そして政治の根本は条文ではなく、主君自身が明徳を明らかにして手本となることであり、法度は枝葉にすぎないと言う。上の好むことを下が真似るので、上が正しければ法がなくても人は良くなるという見方は、儒学の徳治の伝統を踏まえている。現代の職場でも、規則を増やす前に、上に立つ者の振る舞いが一番のルールになっていないかを見直したい。

この章句が説くこと

徳治法度時処位明徳手本政治

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