翁問答 / 上卷之末
しかるにおほかたの人の心得には、皮膚毛髪ばかりを軍法なりと思へり、しかる故に其流おほしといへり、旌旗金皷兵具のこしらへもちいやうの作法日どりなどは、その家々の制度ありて其流あまた候、これは皮膚毛髪なれば、何れをよしともあしゝとも定むべからず、所により時により人によりて考へ定めたるがよく候、むかしよりつたへきたる流をくまずして、その大將の作分にてあたらしく定めたるもよろし、さして勝負のかまひにならざるゆへに、その流あまたありと知べし、覘釁用間奇正は勝負の眼目手足なれば、只おなじく一術にして流によつてかはるといふ事はなく候、此眼目あきらかに手足達者なれば、百戰百勝の功をたつるゆへに、名大將と云なり、此眼目くらく手足かなはざれば、敗軍のおくれをとるばかりなるゆへに、あしき大將といふなり、しかるに此眼目手足をば露もさとせす、たゞ皮膚毛髮ばかりを軍法なりと心得たらんは無下にあさまし、
新字:しかるにおほかたの人の心得には、皮膚毛髪ばかりを軍法なりと思へり、しかる故に其流おほしといへり、旌旗金鼓兵具のこしらへもちいやうの作法日どりなどは、その家々の制度ありて其流あまた候、これは皮膚毛髪なれば、何れをよしともあしゝとも定むべからず、所により時により人によりて考へ定めたるがよく候、むかしよりつたへきたる流をくまずして、その大将の作分にてあたらしく定めたるもよろし、さして勝負のかまひにならざるゆへに、その流あまたありと知べし、覘釁用間奇正は勝負の眼目手足なれば、只おなじく一術にして流によつてかはるといふ事はなく候、此眼目あきらかに手足達者なれば、百戦百勝の功をたつるゆへに、名大将と云なり、此眼目くらく手足かなはざれば、敗軍のおくれをとるばかりなるゆへに、あしき大将といふなり、しかるに此眼目手足をば露もさとせす、たゞ皮膚毛髪ばかりを軍法なりと心得たらんは無下にあさまし、
書き下し
しかるにおほかたの人の心得には、皮膚毛髪ばかりを軍法なりと思へり、しかる故に其流おほしといへり、旌旗金鼓兵具のこしらへもちいやうの作法日どりなどは、その家々の制度ありて其流あまた候、これは皮膚毛髪なれば、何れをよしともあしゝとも定むべからず、所により時により人によりて考へ定めたるがよく候、むかしよりつたへきたる流をくまずして、その大将の作分にてあたらしく定めたるもよろし、さして勝負のかまひにならざるゆへに、その流あまたありと知べし、覘釁用間奇正は勝負の眼目手足なれば、只おなじく一術にして流によつてかはるといふ事はなく候、此眼目あきらかに手足達者なれば、百戦百勝の功をたつるゆへに、名大将と云なり、此眼目くらく手足かなはざれば、敗軍のおくれをとるばかりなるゆへに、あしき大将といふなり、しかるに此眼目手足をば露もさとせす、たゞ皮膚毛髪ばかりを軍法なりと心得たらんは無下にあさまし、
現代語訳
「ところが大方の人の心得では、皮膚や毛髪ばかりを軍法だと思っている。それで流派が多いと言うのである。旗や鐘太鼓、武具の作りと用い方の作法、日取りなどは、その家々の制度があって流派が数多い。これは皮膚や毛髪であるから、どれがよい、どれが悪いと決めるべきではない。所により時により人によって考えて定めるのがよい。昔から伝わる流派をくまずに、その大将の工夫で新しく定めてもよい。勝負にさほど関わらないので、流派が数多いのだと知るべきである。敵の隙をうかがい間者を用いることと奇正とは、勝負の眼目と手足であるから、ただ同じ一つの術であって、流派によって変わるということはない。この眼目が明らかで手足が達者であれば、百戦百勝の功を立てるので名大将という。この眼目が暗く手足がかなわなければ、敗軍の不覚を取るばかりであるから、悪い大将という。ところがこの眼目や手足を少しも悟らず、ただ皮膚や毛髪ばかりを軍法だと心得ているのは、まったく嘆かわしい。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』解老第二十中心懐ひて諭らず、故に疾く趨り卑く拝して之を明らかにす。実心愛して知られず、故に言を好くし辞を繁くして以て之を信にす。礼は、外飾の以て内を諭す所以なり。故に曰く、礼は以て情を貌するなりと。凡そ人の外物の為に動くや、其の身の礼たることを知らざるなり。衆人の礼を為すや、以て他人を尊ぶ。故に時に勧み時に衰ふ。君子の礼を為すは、以て其の身の為にす。以て其の身の為にす、故に之を神にして上礼と為す。上礼は神にして衆人は弐なり、故に相応ずること能はず。相応ずること能はず、故に曰く、「上礼は之を為して之に応ずること莫し」と。衆人弐なりと雖も、聖人の恭敬を復し手足の礼を尽くすや衰へず。故に曰く、「臂を攘ひて之を仍く」と。道に積有りて積に功有り。徳は、道の功なり。功に実有りて実に光有り。仁は、徳の光なり。光に沢有りて沢に事有り。義は、仁の事なり。事に礼有りて礼に文有り。礼は、義の文なり。故に曰く、「道を失ひて後に徳を失ひ、徳を失ひて後に仁を失ひ、仁を失ひて後に義を失ひ、義を失ひて後に礼を失ふ」と。礼は情の貌為る者なり、文は質の飾為る者なり。夫れ君子は情を取りて貌を去り、質を好みて飾を悪む。夫れ貌を恃みて情を論ずる者は、其の情悪しきなり。飾を須ちて質を論ずる者は、其の質衰へたるなり。何を以て之を論ずる。和氏の璧は、飾るに五采を以てせず。隋侯の珠は、飾るに銀黄を以てせず。其の質至美にして、物以て之を飾るに足らず。夫れ物の飾を待ちて後に行はるる者は、其の質美ならざるなり。是を以て父子の間は、其の礼樸にして明らかならず。故に曰く、礼薄しと。凡そ物は並び盛んならず、陰陽是れなり。理は相奪予す、威徳是れなり。実厚き者は貌薄し、父子の礼是れなり。
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『春秋左氏伝』昭公二十五年 是れ儀なり、礼に非ず夏、黃父に會す。王室を謀るなり。趙簡子諸侯の大夫に令して、王に粟を輸し、戍人を具へしめて、曰く、「明年將に王を納れんとす」と。子大叔趙簡子に見ゆ。簡子揖讓周旋の禮を問ふ。對へて曰く、「是れ儀なり、禮に非ざるなり」と。簡子曰く、「敢へて問ふ、何をか禮と謂ふ」と。對へて曰く、「吉や諸を先大夫子產に聞けり。曰く、『夫れ禮は、天の經なり、地の義なり、民の行なり』と。天地の經にして、民實に之に則る。天の明に則り、地の性に因り、其の六气を生じ、其の五行を用ふ。气は五味と為り、發して五色と為り、章はれて五聲と為る。淫すれば則ち昏亂し、民其の性を失ふ。是の故に禮を為りて以って之を奉ず。六畜・五牲・三犧を為りて、以って五味を奉じ、九文・六采・五章を為りて、以って五色を奉じ、九謌・八風・七音・六律を為りて、以って五聲を奉ず。君臣上下を為りて、以って地の義に則り、夫婦外内を為りて、以って二物を經し、父子・兄弟・姑姊・甥舅・
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