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翁問答 / 上卷之末

體充曰、左樣候はゞ武藝文藝はいらぬものにて御座候や。師の曰、それは惡しき心得にて候本を捨てゝ末ばかりを求め學ぶ僻事なりといふ事にて候、根本の仁義を立ての上に文藝武藝に長じぬるは、本末兼備はる多能の君子にて、世俗の諺にいへる花も實もある人なり、本立つての上には文藝武藝ことのほか重寳なり、本末先後のこゝろへ簡要にて候。體充曰、本末兼備はる事ならざるものは、いかゞ仕り候はんや。師の曰、末を捨てゝ本を學びたるがよく候、文藝をしらずして文道をよく行ひ、武藝をしらずして武功を樹てたる人古來多し、これみな本を第一に勤めたる故にて候、よくよく心得べき事なり。

新字:体充曰、左様候はゞ武芸文芸はいらぬものにて御座候や。師の曰、それは悪しき心得にて候本を捨てゝ末ばかりを求め学ぶ僻事なりといふ事にて候、根本の仁義を立ての上に文芸武芸に長じぬるは、本末兼備はる多能の君子にて、世俗の諺にいへる花も実もある人なり、本立つての上には文芸武芸ことのほか重宝なり、本末先後のこゝろへ簡要にて候。体充曰、本末兼備はる事ならざるものは、いかゞ仕り候はんや。師の曰、末を捨てゝ本を学びたるがよく候、文芸をしらずして文道をよく行ひ、武芸をしらずして武功を樹てたる人古来多し、これみな本を第一に勤めたる故にて候、よくよく心得べき事なり。

書き下し

体充曰、左様候はゞ武芸文芸はいらぬものにて御座候や。師の曰、それは悪しき心得にて候本を捨てゝ末ばかりを求め学ぶ僻事なりといふ事にて候、根本の仁義を立ての上に文芸武芸に長じぬるは、本末兼備はる多能の君子にて、世俗の諺にいへる花も実もある人なり、本立つての上には文芸武芸ことのほか重宝なり、本末先後のこゝろへ簡要にて候。体充曰、本末兼備はる事ならざるものは、いかゞ仕り候はんや。師の曰、末を捨てゝ本を学びたるがよく候、文芸をしらずして文道をよく行ひ、武芸をしらずして武功を樹てたる人古来多し、これみな本を第一に勤めたる故にて候、よくよく心得べき事なり。

現代語訳

體充が言った。「それならば、武芸や文芸はいらないものなのでございますか。」師は言った。「それは悪い心得である。本を捨てて末ばかりを求め学ぶのが間違いだということである。根本の仁義を立てたうえで文芸武芸に長じるのは、本末を兼ね備えた多能の君子であって、世俗のことわざに言う花も実もある人である。根本が立ったうえでは、文芸武芸はことのほか重宝である。本末先後の心得が肝要である。」體充が言った。「本末を兼ね備えることのできない者は、どうすればよいでしょうか。」師は言った。「末を捨てて本を学ぶのがよい。文芸を知らずに文道をよく行い、武芸を知らずに武功を立てた人は昔から多い。これはみな本を第一に努めたからである。よくよく心得るべきことである。」

解説

徳を本、芸を末とする前段の議論が、芸の否定と受け取られないよう補う問答である。藤樹は技芸を不要とは言わず、仁義という根本を立てたうえで技芸に長じる人を「花も実もある人」と称える。ただし両方を兼ねられないなら、末を捨てて本を選べと明言する。技芸を知らずに道を行い功を立てた人が多いという指摘は、学問を身分や教養から解き放とうとする藤樹の一貫した姿勢である。限られた時間で何を優先して学ぶか迷うとき、この本末先後の判断は確かな指針になる。

この章句が説くこと

本末仁義文芸武芸君子優先順位

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