翁問答 / 上卷之末
文藝ありて文德なきは武道の役に立たず、譬へば根なき草木の實を結ぶ事能はざるが如し、氣立やはらかに立振舞花車なるを文といひ、たけくいかつなるを武用にかひがひ然る可きなど云へるは、あさましき鼻の先なる目論なり、見掛やはらかにうわだるみし、ぬかりたるものに武用かひがひしき人あり、これを沈勇と名けたり、世間の武功ある人を見るに大槪この沈勇多し見掛は鬼神の樣に猛くいかつにして拔群に臆病なる人あり、これを羊質虎皮とたとへたり、羊は虫も踏み殺さゞるやはらかなるけだものなり、虎は人をもくい殺すたけき獸なり、羊に虎の皮をきせて見れば、見掛は猛くすさまじけれども、したじが羊なるによつて見かけに違ひていと淺ましき振舞なりと云心なり、此の如くの例しは眼前に澤山なれど、目明する人世に稀れなりと見へたり。
新字:文芸ありて文徳なきは武道の役に立たず、譬へば根なき草木の実を結ぶ事能はざるが如し、気立やはらかに立振舞花車なるを文といひ、たけくいかつなるを武用にかひがひ然る可きなど云へるは、あさましき鼻の先なる目論なり、見掛やはらかにうわだるみし、ぬかりたるものに武用かひがひしき人あり、これを沈勇と名けたり、世間の武功ある人を見るに大槪この沈勇多し見掛は鬼神の様に猛くいかつにして抜群に臆病なる人あり、これを羊質虎皮とたとへたり、羊は虫も踏み殺さゞるやはらかなるけだものなり、虎は人をもくい殺すたけき獣なり、羊に虎の皮をきせて見れば、見掛は猛くすさまじけれども、したじが羊なるによつて見かけに違ひていと浅ましき振舞なりと云心なり、此の如くの例しは眼前に沢山なれど、目明する人世に稀れなりと見へたり。
書き下し
文芸ありて文徳なきは武道の役に立たず、譬へば根なき草木の実を結ぶ事能はざるが如し、気立やはらかに立振舞花車なるを文といひ、たけくいかつなるを武用にかひがひ然る可きなど云へるは、あさましき鼻の先なる目論なり、見掛やはらかにうわだるみし、ぬかりたるものに武用かひがひしき人あり、これを沈勇と名けたり、世間の武功ある人を見るに大槪この沈勇多し見掛は鬼神の様に猛くいかつにして抜群に臆病なる人あり、これを羊質虎皮とたとへたり、羊は虫も踏み殺さゞるやはらかなるけだものなり、虎は人をもくい殺すたけき獣なり、羊に虎の皮をきせて見れば、見掛は猛くすさまじけれども、したじが羊なるによつて見かけに違ひていと浅ましき振舞なりと云心なり、此の如くの例しは眼前に沢山なれど、目明する人世に稀れなりと見へたり。
現代語訳
「文芸があって文徳のない者は武道の役に立たない。たとえば根のない草木が実を結ぶことができないようなものである。気立てが柔らかく立ち居振る舞いが華奢なのを文といい、猛く厳ついのを武用に頼もしいなどと言うのは、嘆かわしい鼻先の目論見である。見かけが柔らかく、だらりとして抜けているような者に、武用に頼もしい人がいる。これを沈勇と名づける。世間の武功ある人を見ると、たいていこの沈勇が多い。見かけは鬼神のように猛く厳ついのに、ずば抜けて臆病な人がいる。これを羊質虎皮とたとえる。羊は虫も踏み殺さない柔らかな獣であり、虎は人をも食い殺す猛々しい獣である。羊に虎の皮を着せて見れば、見かけは猛々しく恐ろしいが、中身が羊であるから見かけと違ってまことに浅ましい振る舞いをする、という意味である。このような例は目の前にたくさんあるが、目利きのできる人は世にまれであるように見える。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『慎思録』巻之三司馬公曰く、正直中和、之を徳と謂ふ。聡察疆毅、之を才と謂ふ、と。先儒此の説を以て当たると為さず。何ぞや。蓋し聡察は是れ知の事なり。疆毅は是れ勇の事なり。是れ亦以て徳と為すべく、才と為すべからず。唯能く聡察を為し、能く彊毅を為す者は、才なり。才は是れ能く其の徳を行ふ者にして、乃ち心の力なり。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・大勇の士は沈着重厚なりされど武士道の勇に於ける観念は、ただにかくの如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈せず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎釼の中にありて自から安んじ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は、危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆蹟毫も平生に異ならず。人、皆之を歎称せり。けだし悠々逼らざること、かくの如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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