導師導古典を学びたいすべての人に

翁問答 / 上卷之末

體充曰、沈勇が世間に多しと仰せ候へば、見掛のぬるきものを武用にかいがいしかるべきと見たて候はんや。師の曰、それも鼻の先なる心得にて候、沈勇が世間に多しと云ふは、見掛鼻の先の目論にては知れぬものなりといふ事なり、見掛のぬるきものに臆病なるもあるべし、又けなげなるもある可し、見掛の猛きに臆病なるもあるべし、又かいがいしきもあるべし、只見掛に泥まずその心の勇怯を察するが目明の眼にて候。

新字:体充曰、沈勇が世間に多しと仰せ候へば、見掛のぬるきものを武用にかいがいしかるべきと見たて候はんや。師の曰、それも鼻の先なる心得にて候、沈勇が世間に多しと云ふは、見掛鼻の先の目論にては知れぬものなりといふ事なり、見掛のぬるきものに臆病なるもあるべし、又けなげなるもある可し、見掛の猛きに臆病なるもあるべし、又かいがいしきもあるべし、只見掛に泥まずその心の勇怯を察するが目明の眼にて候。

書き下し

体充曰、沈勇が世間に多しと仰せ候へば、見掛のぬるきものを武用にかいがいしかるべきと見たて候はんや。師の曰、それも鼻の先なる心得にて候、沈勇が世間に多しと云ふは、見掛鼻の先の目論にては知れぬものなりといふ事なり、見掛のぬるきものに臆病なるもあるべし、又けなげなるもある可し、見掛の猛きに臆病なるもあるべし、又かいがいしきもあるべし、只見掛に泥まずその心の勇怯を察するが目明の眼にて候。

現代語訳

體充が言った。「沈勇が世間に多いとおっしゃいますから、見かけのおっとりした者を、武用に頼もしいと見立てればよいのでしょうか。」師は言った。「それも鼻先の心得である。沈勇が世間に多いというのは、見かけの鼻先の目論見では分からないものだということである。見かけのおっとりした者に臆病な者もいるだろうし、また健気な者もいるだろう。見かけの猛々しい者に臆病な者もいるだろうし、また頼もしい者もいるだろう。ただ見かけにとらわれず、その心の勇怯を察するのが目利きの眼である。」

解説

沈勇の話を聞いた體充が、今度は「おとなしい者こそ勇者だ」と早合点したのを、師が正す場面である。藤樹の言いたいことは、外見の柔和さが勇気の証拠だということではなく、外見では勇怯は分からないということであった。柔和な者にも猛々しい者にも臆病者と勇者がいる以上、見るべきは心の在り方だけである。一つの教訓を逆向きの決めつけに置き換えてしまう失敗は、人を評価する場面でよく起こる。型にはめずに一人ひとりの心を見る姿勢が、人を見る目の基本である。

この章句が説くこと

勇沈勇心人を見る目評価見かけ

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る