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翁問答 / 上卷之末

仁義の德をよく悟りて文武のさたを明らむ可し、仁にそむきたる文は、名は文なれども實は文にあらず、義にそむきたる武は、名は武なれども實は武にあらず、文武の正味を能くかみ分けざれば、心の闇いとくらく萬事の障り多かるべし、さて又文武に德と藝との本末あり、仁は文の德にして文藝の根本なり文學、禮樂、書數は藝にして文德の枝葉なり、義は武の德にして武藝の根本なり、軍法、射、御、兵法などは藝にして武德の枝葉なり、根本の德を第一につとめ學び、枝葉の藝を第二に習ひ、本末兼備はり文武合一なるを眞實の文武といひ眞實の儒者といふなり、

新字:仁義の徳をよく悟りて文武のさたを明らむ可し、仁にそむきたる文は、名は文なれども実は文にあらず、義にそむきたる武は、名は武なれども実は武にあらず、文武の正味を能くかみ分けざれば、心の闇いとくらく万事の障り多かるべし、さて又文武に徳と芸との本末あり、仁は文の徳にして文芸の根本なり文学、礼楽、書数は芸にして文徳の枝葉なり、義は武の徳にして武芸の根本なり、軍法、射、御、兵法などは芸にして武徳の枝葉なり、根本の徳を第一につとめ学び、枝葉の芸を第二に習ひ、本末兼備はり文武合一なるを真実の文武といひ真実の儒者といふなり、

書き下し

仁義の徳をよく悟りて文武のさたを明らむ可し、仁にそむきたる文は、名は文なれども実は文にあらず、義にそむきたる武は、名は武なれども実は武にあらず、文武の正味を能くかみ分けざれば、心の闇いとくらく万事の障り多かるべし、さて又文武に徳と芸との本末あり、仁は文の徳にして文芸の根本なり文学、礼楽、書数は芸にして文徳の枝葉なり、義は武の徳にして武芸の根本なり、軍法、射、御、兵法などは芸にして武徳の枝葉なり、根本の徳を第一につとめ学び、枝葉の芸を第二に習ひ、本末兼備はり文武合一なるを真実の文武といひ真実の儒者といふなり、

現代語訳

「仁義の徳をよく悟って、文武の沙汰を明らかにすべきである。仁に背いた文は、名は文であっても実は文ではない。義に背いた武は、名は武であっても実は武ではない。文武の真の味わいをよくかみ分けなければ、心の闇がたいへん暗く、万事に差し障りが多いであろう。さてまた文武には徳と芸との本末がある。仁は文の徳であって文芸の根本である。文学・礼楽・書数は芸であって文徳の枝葉である。義は武の徳であって武芸の根本である。軍法・射・御・兵法などは芸であって武徳の枝葉である。根本の徳を第一に努め学び、枝葉の芸を第二に習い、本末を兼ね備えて文武が合一しているのを、真実の文武といい真実の儒者というのである。」

解説

文武それぞれに徳と芸の本末があると整理する段である。文の徳は仁、武の徳は義であり、学問・礼楽・書道算術や、軍法・弓術・馬術はその枝葉の技芸にすぎないとされる。徳を第一に学び、芸を第二に習って両者を兼ね備えた者こそ、真実の文武であり真実の儒者だという。ここでも儒者は学者の職名ではなく、人格の完成を指す言葉として使われている。専門の技能は大切だが、それを何のために使うかという根本の徳がなければ、人を害することさえある。技術を磨くほど、その根を確かめる必要がある。

この章句が説くこと

仁義文武徳芸本末儒者

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