文武訓 / 武訓下
一武に本末あり。知仁勇の德は本なり。武德なければ武の道立たず。弓馬刀鎗の類のわざは藝なり、末なり。武藝なければ敵と戰ひがたし。夫知仁勇の三德は、大將、士卒、皆たつとぶべし。知なくしては兵を用ひがたし。仁なければ士卒そむきてしたがはず。忠孝を行はず、義理にそむき、敵をたひらげ、民をやすんずることなし。利欲によつて亂をおこし、かへつて害となる。勇なければ仁義忠孝のはげみなく、敵をうちたひらぐるにちからなし。故に、知仁の道も勇なければ行はれず。凡此三の者は武の德なれば、一も闕けぬれば武の道立たず。又弓馬刀鎗の藝を知らざれば、德ありても、戰にのぞみて敵に勝つことかたし。故に兵を用ふるには、大將も士卒も、武藝を知らずんばあるべからず。但、大將は藝に專なるべからず。本を本とし末を末とすべし。
新字:一武に本末あり。知仁勇の徳は本なり。武徳なければ武の道立たず。弓馬刀鎗の類のわざは芸なり、末なり。武芸なければ敵と戦ひがたし。夫知仁勇の三徳は、大将、士卒、皆たつとぶべし。知なくしては兵を用ひがたし。仁なければ士卒そむきてしたがはず。忠孝を行はず、義理にそむき、敵をたひらげ、民をやすんずることなし。利欲によつて乱をおこし、かへつて害となる。勇なければ仁義忠孝のはげみなく、敵をうちたひらぐるにちからなし。故に、知仁の道も勇なければ行はれず。凡此三の者は武の徳なれば、一も闕けぬれば武の道立たず。又弓馬刀鎗の芸を知らざれば、徳ありても、戦にのぞみて敵に勝つことかたし。故に兵を用ふるには、大将も士卒も、武芸を知らずんばあるべからず。但、大将は芸に専なるべからず。本を本とし末を末とすべし。
書き下し
一武に本末あり。知仁勇の徳は本なり。武徳なければ武の道立たず。弓馬刀鎗の類のわざは芸なり、末なり。武芸なければ敵と戦ひがたし。夫知仁勇の三徳は、大将、士卒、皆たつとぶべし。知なくしては兵を用ひがたし。仁なければ士卒そむきてしたがはず。忠孝を行はず、義理にそむき、敵をたひらげ、民をやすんずることなし。利欲によつて乱をおこし、かへつて害となる。勇なければ仁義忠孝のはげみなく、敵をうちたひらぐるにちからなし。故に、知仁の道も勇なければ行はれず。凡此三の者は武の徳なれば、一も闕けぬれば武の道立たず。又弓馬刀鎗の芸を知らざれば、徳ありても、戦にのぞみて敵に勝つことかたし。故に兵を用ふるには、大将も士卒も、武芸を知らずんばあるべからず。但、大将は芸に専なるべからず。本を本とし末を末とすべし。
現代語訳
武には本と末があります。知・仁・勇の徳が本です。武の徳がなければ武の道は立ちません。弓・馬・刀・槍などの技は芸であり、末です。武芸がなければ敵と戦うのは難しいものです。そもそも知・仁・勇の三つの徳は、大将も兵士もみな尊ぶべきものです。知がなければ兵を用いることは難しい。仁がなければ兵士は背いて従わず、忠孝を行わず、義理に背き、敵を平らげ民を安らかにすることができません。私欲によって乱を起こし、かえって害となります。勇がなければ仁義忠孝への励みがなく、敵を討ち平らげる力がありません。だから知と仁の道も、勇がなければ行われません。この三つは武の徳なので、一つでも欠ければ武の道は立ちません。また弓・馬・刀・槍の芸を知らなければ、徳があっても戦に臨んで敵に勝つことは難しい。だから兵を用いるには、大将も兵士も武芸を知らないわけにはいきません。ただし大将は芸にばかり打ち込んではいけません。本を本とし、末を末とすべきです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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礼記・楽記楽なる者は、黄鐘(こうしょう)大呂(たいりょ)弦歌干揚の謂いに非ざるなり。楽の末節なり、故に童者之を舞う。筵席を鋪(し)き、尊俎(そんそ)を陳(つら)ね、籩豆(へんとう)を列ね、升降を以て礼と為す者は、礼の末節なり、故に有司之を掌る。楽師は声詩を辨ず、故に北面して弦す。宗祝は宗廟の礼を辨ず、故に尸に後(おく)る。商祝は喪礼を辨ず、故に主人に後る。是の故に徳成りて上り、芸成りて下り、行成りて先んじ、事成りて後る。是の故に先王は上有り下有り、先有り後有りて、然る後に以て天下に制有るべきなり。
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『翁問答』上卷之末仁義の徳をよく悟りて文武のさたを明らむ可し、仁にそむきたる文は、名は文なれども実は文にあらず、義にそむきたる武は、名は武なれども実は武にあらず、文武の正味を能くかみ分けざれば、心の闇いとくらく万事の障り多かるべし、さて又文武に徳と芸との本末あり、仁は文の徳にして文芸の根本なり文学、礼楽、書数は芸にして文徳の枝葉なり、義は武の徳にして武芸の根本なり、軍法、射、御、兵法などは芸にして武徳の枝葉なり、根本の徳を第一につとめ学び、枝葉の芸を第二に習ひ、本末兼備はり文武合一なるを真実の文武といひ真実の儒者といふなり、
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『論語と算盤』実業と士道・武士道は即ち実業道なり果たしてしからば富貴は聖賢もまたこれを望み、貧賤は聖賢もまたこれを欲しなかったけれども、ただかの人々は道義を本とし富貴貧賤を末としたが、古えの商工業者はこれを反対にしたから、ついに富貴貧賤を本として道義を末とするようになってしまった。誤解もまた甚だしいではないか。
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『墨子』修身君子は、戰に陳有りと雖も、勇を本と為す。喪に禮有りと雖も、哀を本と為す。士に學有りと雖も、行を本と為す。是の故に本を置くこと安からざる者は、末を豐かにするを務むること無かれ。近き者親しまざれば、逺きを來すを務むること無かれ。親戚附かざれば、外交を務むること無かれ。事に始め無ければ、終に多業を務むること無かれ。物を舉げて闇ければ、博聞を務むること無かれ。是の故に先王の天下を治むるや、必ず邇きを察して逺きを來す。君子は邇きを察して邇き修まる者なり。修めざる行を見、毁を見て、之を身に反す者なり。此を以て怨み省かれて行い修まる。譖慝の言は、之を耳に入るること無く、批扞の聲は、之を口に出だすこと無く、人を殺傷するの孩は、之を心に存すること無くんば、詆訐の民有りと雖も、依る所無からん。故に君子は事に力めて日に彊く、願欲は日に逾え、設壯は日に盛んなり。君子の道や、貧しければ則ち亷を見わし、富めば則ち義を見わし、生けば則ち愛を見わし、死すれば則ち哀を見わす。四行なる者は虚假す可からず、之を身に反す者なり。心に蔵する者は以て愛を竭くすこと無く、身に動く者は以て恭を竭くすこと無く、口に出づる者は以て馴を竭くすこと無し。之を四支に暢べ、之を肌膚に接し、華髮隳巔にして猶お舎てざる者は、其れ唯だ聖人か。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段答ふ、汝のいへる所は、枝葉にかかはり、文字の沙汰にて、本を失へり。君子は本をつとむと云ふ。万事に渉りてかくのごとし。先づ初学の者は、本末知るを先務とすべし。末に至りては、繁多にして分れ難し。天地有りて物を生じ、物生じて後に名あり。名有りて後、文字を加へて名を書す。文字は伏羲の後、倉頡が作ると云ふに非ずや。いまだ名も附けず、文字も無き前より天道あり。天道といへども、人有りて付けたる名なり。我が云ふ所を、名を離れて聞くべし。既に聖人は仁を本となし、老子は大道を以て仁の本となし、道と仁と名は二つなり。文字に依りて、何れが本と論議分るべきや。声も無く臭も無くして、万物の体と成る物を、暫く名づけて、乾とも天とも、道とも理とも、命とも性とも、
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司馬法・嚴位凡そ大善は本を用い、其の次は末を用う。略を執り微を守り、本末は唯(た)だ権(はか)るのみ、戦なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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