群書治要 / 『群書治要』潛夫論・民の心を治める教化
人君之治、莫大於道、莫盛於德、莫美於教、莫神於化、道者所以持之也。德者所以苞之也。教者所以知之也。化者所以致之也。民有性有情、有化有俗、情性者、心也。本也。化俗者、行也。末也。上君撫世、先其本而後其末、順其心而理其行、心情苟正、則奸慝無所生、邪意無所載矣。是故上聖不務治民事而務治民心。故曰:聽訟吾由人也。必也使無訟乎。導之以德、齊之以禮、民親愛則無相害傷之意、動思義則無奸邪之心、夫若此者、非法律之所使也。非威刑之所强也。此乃教化之所致也。
新字:人君之治、莫大於道、莫盛於徳、莫美於教、莫神於化、道者所以持之也。徳者所以苞之也。教者所以知之也。化者所以致之也。民有性有情、有化有俗、情性者、心也。本也。化俗者、行也。末也。上君撫世、先其本而後其末、順其心而理其行、心情苟正、則奸慝無所生、邪意無所載矣。是故上聖不務治民事而務治民心。故曰:聴訟吾由人也。必也使無訟乎。導之以徳、斉之以礼、民親愛則無相害傷之意、動思義則無奸邪之心、夫若此者、非法律之所使也。非威刑之所強也。此乃教化之所致也。
書き下し
人君の治は、道より大なるは莫く、徳より盛んなるは莫く、教えより美なるは莫く、化より神なるは莫し。道は持する所以の者なり。徳は苞む所以の者なり。教えは知らしむる所以の者なり。化は致す所以の者なり。民に性有り情有り、化有り俗有り。情性は、心なり、本なり。化俗は、行いなり、末なり。上君の世を撫するや、其の本を先にして其の末を後にし、其の心に順いて其の行いを理む。心情苟くも正しければ、則ち奸慝生ずる所無く、邪意載する所無し。是の故に上聖は民事を治むるを務めずして民心を治むるを務む。故に曰く、訟えを聴くは吾も人の如きなり、必ずや訟え無からしめんか、と。之を導くに徳を以てし、之を斉うるに礼を以てすれば、民親愛して則ち相害傷するの意無く、動けば義を思いて則ち奸邪の心無し。夫れ此くの若き者は、法律の使うる所に非ず。威刑の強うる所に非ず。此れ乃ち教化の致す所なり。
現代語訳
君主の統治で、道より大きなものはなく、徳より盛んなものはなく、教えより美しいものはなく、感化より神妙なものはありません。道はこれを保つもの、徳はこれを包むもの、教えはこれを知らしめるもの、感化はこれを実現するものです。民には性と情があり、感化と習俗があります。性と情は心であり、根本です。感化と習俗は行いであり、枝葉です。すぐれた君主が世を治めるときは、まず根本を先にして枝葉を後にし、その心に従ってその行いを整えます。心と情が正しければ、悪事は生じる場所がなく、よこしまな考えも居場所を失います。だから最上の聖人は、民の事柄を治めることよりも民の心を治めることに努めます。孔子は言いました。訴えを聞くことは、私も人並みにできる。だが必ずや訴えをなくしたいものだ、と。徳で導き、礼で整えれば、民は親しみ合ってお互いを傷つける気持ちがなくなり、行動するときは義を思って悪だくみの心がなくなります。このようなことは、法律が命じてできるものでも、刑罰の威力で強いてできるものでもありません。教化がもたらすものなのです。
解説

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