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翁問答 / 上卷之本

體充曰、左候はゞ俗儒の學問を敎へてすぎはひにするは、ひが事にておはしまし候や。師の曰、敎をすぎはひするは、司徒敎官の屬にてさふらいのなす業なれば、僻事にてはなく候へども、只其心持身の行いと敎へやうに僻事あるなり、敎へやうだに好く候へば、有難眞儒にて候其心持身の行ひ道なき故に、又敎へやう惡きによつて俗儒の譏あるなれば、產業にするはよく候へども、敎やうに僻事ありと知べし。

新字:体充曰、左候はゞ俗儒の学問を教へてすぎはひにするは、ひが事にておはしまし候や。師の曰、教をすぎはひするは、司徒教官の属にてさふらいのなす業なれば、僻事にてはなく候へども、只其心持身の行いと教へやうに僻事あるなり、教へやうだに好く候へば、有難真儒にて候其心持身の行ひ道なき故に、又教へやう悪きによつて俗儒の譏あるなれば、産業にするはよく候へども、教やうに僻事ありと知べし。

書き下し

体充曰、左候はゞ俗儒の学問を教へてすぎはひにするは、ひが事にておはしまし候や。師の曰、教をすぎはひするは、司徒教官の属にてさふらいのなす業なれば、僻事にてはなく候へども、只其心持身の行いと教へやうに僻事あるなり、教へやうだに好く候へば、有難真儒にて候其心持身の行ひ道なき故に、又教へやう悪きによつて俗儒の譏あるなれば、産業にするはよく候へども、教やうに僻事ありと知べし。

現代語訳

體充が言った。「それでは、俗儒の学問を教えて生業にするのは、間違ったことでございましょうか。」師は言った。「教えを生業とするのは、司徒や教官の属であって士のなすわざであるから、間違いではない。ただその心持ちと身の行いと教え方に間違いがあるのである。教え方さえよければ、ありがたい真儒である。その心持ちや身の行いに道がなく、また教え方が悪いので俗儒のそしりを受けるのだから、教えを生業にするのはよいけれども、教え方に間違いがあると知るべきである。」

解説

学問を教えて暮らしを立てることの是非を問う段である。藤樹は教職そのものを否定せず、古代の司徒や教官に連なる士の務めとして認める。問題は職業ではなく、教える者の心持ち、行い、教え方にあるという。藤樹自身も近江の小川村で門人を教えたが、その姿勢は知識の切り売りではなく、生き方を示すことにあった。人に教える立場にある人は、内容の正しさだけでなく、自分の行いが教えと一致しているかを問われる。上司や講師であれば、まず自らが手本となることが何よりの教育である。

この章句が説くこと

教育俗儒真儒教え方心手本

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