翁問答 / 上卷之本
體充曰、眞儒のすぎはひには、なにたる所作を仕るものにて御座候や。師の曰、儒道を行ふ人は、天子、諸侯、卿大夫、士、庶人なり、此五等の人のよく至德要道を保合するを眞儒といふ也、しかる故に天子、諸侯、卿大夫、庶人の所作が、即ち眞儒のすぎはひにて候、五等の所作のほかのすぎはひは天命本然の生理にあらず、至德要道を保合する眞儒は五等の內には貴賤貧富を選ばす、運命のほどにまかせて、無逸のつとめをはげまし、外の願ひ毛頭なき故に、富貴にてもおごらず貧賤にても諂はず、唯天理の眞樂をたのしむほかは他事なく候。
新字:体充曰、真儒のすぎはひには、なにたる所作を仕るものにて御座候や。師の曰、儒道を行ふ人は、天子、諸侯、卿大夫、士、庶人なり、此五等の人のよく至徳要道を保合するを真儒といふ也、しかる故に天子、諸侯、卿大夫、庶人の所作が、即ち真儒のすぎはひにて候、五等の所作のほかのすぎはひは天命本然の生理にあらず、至徳要道を保合する真儒は五等の内には貴賤貧富を選ばす、運命のほどにまかせて、無逸のつとめをはげまし、外の願ひ毛頭なき故に、富貴にてもおごらず貧賤にても諂はず、唯天理の真楽をたのしむほかは他事なく候。
書き下し
体充曰、真儒のすぎはひには、なにたる所作を仕るものにて御座候や。師の曰、儒道を行ふ人は、天子、諸侯、卿大夫、士、庶人なり、此五等の人のよく至徳要道を保合するを真儒といふ也、しかる故に天子、諸侯、卿大夫、庶人の所作が、即ち真儒のすぎはひにて候、五等の所作のほかのすぎはひは天命本然の生理にあらず、至徳要道を保合する真儒は五等の内には貴賤貧富を選ばす、運命のほどにまかせて、無逸のつとめをはげまし、外の願ひ毛頭なき故に、富貴にてもおごらず貧賤にても諂はず、唯天理の真楽をたのしむほかは他事なく候。
現代語訳
體充が言った。「真儒は生計のために、どのような仕事をするものでございますか。」師は言った。「儒道を行う人は、天子・諸侯・卿大夫・士・庶人である。この五等の人が至徳要道をよく保ち合わせているのを真儒というのである。だから天子・諸侯・卿大夫・庶人の仕事が、そのまま真儒の生業である。五等の仕事以外の生業は、天命本然の生き方ではない。至徳要道を保ち合わせる真儒は、五等の中で貴賤貧富を選ばず、運命のままに任せて、怠らない務めに励み、ほかの願いはまったくないので、富貴であっても驕らず、貧賤であってもへつらわず、ただ天理の真の楽しみを楽しむほかに何事もない。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『翁問答』上卷之本体充曰孝行に五等の差別あるは如何なる故にて候や。師の曰五等は人間五段の位なり、天子一等、諸侯一等、卿太夫一等、士一等、庶人一等、総て五等なり、天子は天下を知ろしめす御門の御位なり、諸侯は国を治る大名の位なり、卿太夫は天子諸侯の下知を受けて国天下の政をする位なり、士は卿太夫に付添て、政の諸役を勤むる位なり、物造りを農と云職人を工と云、あき人を商と云、此農工商の三つはおしなへて庶人の位なり、孝徳は同一体なれ共位に由て事の大小高下ある故に、其位の分際相応の道理を、後世昧者の為めに分弁を説き明め給こと、譬へば孝徳は大海の如し、五等の位は器の如し、器を海へ入て水を汲むに、大小方円の模様はかはれ共、水は同じ水なる如し、昔し聖人の御代には、人間の位五等の外は無き故に、五等の孝を発明し給ふ。
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『翁問答』上卷之本体充曰、左候はゞ俗儒の学問を教へてすぎはひにするは、ひが事にておはしまし候や。師の曰、教をすぎはひするは、司徒教官の属にてさふらいのなす業なれば、僻事にてはなく候へども、只其心持身の行いと教へやうに僻事あるなり、教へやうだに好く候へば、有難真儒にて候其心持身の行ひ道なき故に、又教へやう悪きによつて俗儒の譏あるなれば、産業にするはよく候へども、教やうに僻事ありと知べし。
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『翁問答』上卷之本体充問曰五等の孝の説を承り候得者、親を愛敬する計りは孝行にては無く、其徳を明らかにして夫々のすぎわいの所作を、精に入て勤るが孝行の本意にて候や。師の曰左様にて候、畢竟は人の明徳を明らかにするが、孝行の本意にて候、故に心にむざとしたる一念を起し、或は怒るまじき事に腹を立て、悦ぶましきことを悦び、願ふまじき事を願ひ、悔むまじき事を悔み、畏れまじき事を懼るゝも、皆不孝なり、一言の偽も不孝なり、況や不義無道を身に行ひ、死すべき所にて死せず、死ぬまじき処にて犬死をなし、取まじき物を貧り取る可きものを取らずして、飢寒に及などするは皆以外の大なる不孝なり、心にかけて慎み可守事なり、此道理を知り明らめて、心に守り身に行ふを儒者の学問と云ふなり、世間に学問する人は多分に候得共、此本意を悟り得る人稀にて候。
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『翁問答』下卷之末之末体充曰、さやうに真実の儒道をおこなふ工夫には、いかやうに仕たるがよく候や。師の曰、その工夫には先自満の浮気名利の欲心をすて間思雑慮の妄をのぞき明徳の心源をすまし、全孝の心法を受用するを根本第一とす、さて世間にましはる礼儀作法は、其国其処の風俗を本とし、何事も圭角なく目にたゝぬ様に取なし、いかにも作法うやうやしく謙徳を守り、かりそめにも人にまさらんと争ふ魔心なく、孝悌忠信の道を根に入てつとめ行ひ、親には孝行を尽し君に仕へては忠節をはけまし、よりをや位高人年老たる人、徳たかき人などをよく敬ひ、友達にたのもしく義理をたて、兄弟の間には友恭を行ひ、妻子には義慈をほどこすべし、かくのごとくにおこなふを儒道をおこなふと云なり、加様におこなひてさはりある所は、世界のうちにはあるまじく候、よくよく体認してつとめおこなはるべき事なり。
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『翁問答』改訂翁問答(丁亥春)問曰、今の世間には儒書をよみおぼゆる人をば徳なけれども儒者とす、其身もまた儒者の名をうけて辞せず、大なるあやまりにあらずや答曰、然り儒者の名は徳にあつて芸にあらず、文学は芸なれば、もの覚よく生れ付たる人は誰もなりがたき事にあらず、たとひ文学に長じたる人にても、仁義の徳なきは儒者にあらず、たゞ文学に長じたる凡夫なり、一文不通の人たりとも、仁義の徳明かなる人は凡夫にあらず、文学なき儒者なり、此理は本来分明にして弁へがたきことならねども、何の時よりかあやまり来りけむ、たゞ儒書を読ばかりを学問と思ひ、文学ある人を儒者ともてなせり、此まよひ世人の心にしみ付たるによつて、学問はものよみ坊主、又は出家などのわざにして、士の所為にあらずなどゝとりざたまちまちなり、学問の実義、世間に明かならざる事、天下の大不幸なるべし。
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『翁問答』下卷之末その子細は天神地祇は万物の父母なれば、太虚の皇上帝は、人倫の太祖にてまします、此神理にて観ば聖人も賢人も釈迦も達磨も儒者も我も人も世界のうちのあるとあらゆるほどの人の形あるものは、皆皇上帝、天神、地祇の子孫なり、さてまた儒道はすなはち皇上帝、天神、地祇の神道なれば人間の形有て儒道をそしりそむくは、其先祖父母の道をそしりて其命をそむくなり、まへにも論ずる如く、我人の大始祖の皇上帝大父母の天神地祇の命をおそれうやまひ、其神道を欽崇して受用するを孝行と名づけ、又至徳要道と名づけまた儒道と名く、これを教ふるを儒教と云、これを能く学で心に守り身に行ふを儒者と云なり、
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