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翁問答 / 上卷之末

體充問曰、文武は車の兩輪鳥の兩翼のごとしと申ならはし候へば、文と武とは二色にて御座候やさて又如何樣なるものを文武とは申候や。師の曰、文と武に世俗大きなる心得そこなひ候、世俗は歌を讀み詩を作り文筆に達し氣だてものやはらかに花車なるを文といひ、弓馬兵法軍法を習ひ知り、氣立たけくいかつなるを武と云ならはせり、皆似たる事の似ぬ事にて候、元來文武は一德にして各別なる者にては無く候、天地の造化一氣にして陰陽の差別ある如く、人性の感通一德にして文武の差別あれば、武なき文は眞實の文に非ず、文なき武は眞實の武にあらず、

新字:体充問曰、文武は車の両輪鳥の両翼のごとしと申ならはし候へば、文と武とは二色にて御座候やさて又如何様なるものを文武とは申候や。師の曰、文と武に世俗大きなる心得そこなひ候、世俗は歌を読み詩を作り文筆に達し気だてものやはらかに花車なるを文といひ、弓馬兵法軍法を習ひ知り、気立たけくいかつなるを武と云ならはせり、皆似たる事の似ぬ事にて候、元来文武は一徳にして各別なる者にては無く候、天地の造化一気にして陰陽の差別ある如く、人性の感通一徳にして文武の差別あれば、武なき文は真実の文に非ず、文なき武は真実の武にあらず、

書き下し

体充問曰、文武は車の両輪鳥の両翼のごとしと申ならはし候へば、文と武とは二色にて御座候やさて又如何様なるものを文武とは申候や。師の曰、文と武に世俗大きなる心得そこなひ候、世俗は歌を読み詩を作り文筆に達し気だてものやはらかに花車なるを文といひ、弓馬兵法軍法を習ひ知り、気立たけくいかつなるを武と云ならはせり、皆似たる事の似ぬ事にて候、元来文武は一徳にして各別なる者にては無く候、天地の造化一気にして陰陽の差別ある如く、人性の感通一徳にして文武の差別あれば、武なき文は真実の文に非ず、文なき武は真実の武にあらず、

現代語訳

體充が問うた。「文武は車の両輪、鳥の両翼のようだと言い慣わしますから、文と武とは二種類なのでございましょうか。またどのようなものを文武と申すのでしょうか。」師は言った。「文と武について、世俗は大きく心得違いをしている。世俗は、歌を詠み詩を作り文筆に達し、気立てが柔らかく華奢であるのを文といい、弓馬・兵法・軍法を習い知り、気立てが猛く厳ついのを武と言い慣わしている。みな似ているようで似ていないことである。もともと文武は一つの徳であって、別々のものではない。天地の造化は一つの気であって陰陽の区別があるように、人の性の感通は一つの徳であって文武の区別がある。だから武のない文は真実の文ではなく、文のない武は真実の武ではない。」

解説

文武両道を「二つの別物を兼ねる」ことと考える通念を、藤樹は根本から改める。文武はもともと一つの徳であり、陰陽が一つの気の両面であるように、同じ徳の現れ方の違いにすぎないという。歌や詩をたしなむ柔和さを文、腕っぷしと猛々しさを武とする世間の見方は、外見だけをとらえた似て非なる理解とされる。武士の世にあって、藤樹は文と武を人格の内側から統一しようとしたのである。優しさと厳しさ、配慮と決断を別々の性格と考えず、一つの誠から出るものとして育てる。それが真の文武両道である。

この章句が説くこと

文武明徳陰陽一徳武士文武両道

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