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翁問答 / 上卷之本

體充曰、正眞の學問を仕り候ては、いかやうなる益おはしまし候や、詳しく承り度存候。師の曰、正眞の學問をして成就すれば、心明かに身治まりて、人間の願ふ程の事にかなはぬ事はなく候、これほどに益のある事はまたと世にあるべしとも覺へず、少し學び候てもそれ程の益あるものにて候。體充曰、仰候ところまことしからず存候、人間の願ひ品あまたおはしまし候得共、つとまる所は、才德功業の人に勝れ、富貴長生の心のまゝならん事を願ふより外はなし、學問して才德功業の人に勝れ候はん事はげにもにて御座候、富貴長生を願ひの儘に得候はん事はなり申まじきと存候、孔子は位を得玉はず、顏子は簞瓢陋巷、不幸短命なりと承はり及び候得ば古來聖賢人間の願ひを思ひの儘に得たまはず候こと分明に御座候へば、仰候ところ信をとりがたく候。

新字:体充曰、正真の学問を仕り候ては、いかやうなる益おはしまし候や、詳しく承り度存候。師の曰、正真の学問をして成就すれば、心明かに身治まりて、人間の願ふ程の事にかなはぬ事はなく候、これほどに益のある事はまたと世にあるべしとも覚へず、少し学び候てもそれ程の益あるものにて候。体充曰、仰候ところまことしからず存候、人間の願ひ品あまたおはしまし候得共、つとまる所は、才徳功業の人に勝れ、富貴長生の心のまゝならん事を願ふより外はなし、学問して才徳功業の人に勝れ候はん事はげにもにて御座候、富貴長生を願ひの儘に得候はん事はなり申まじきと存候、孔子は位を得玉はず、顔子は箪瓢陋巷、不幸短命なりと承はり及び候得ば古来聖賢人間の願ひを思ひの儘に得たまはず候こと分明に御座候へば、仰候ところ信をとりがたく候。

書き下し

体充曰、正真の学問を仕り候ては、いかやうなる益おはしまし候や、詳しく承り度存候。師の曰、正真の学問をして成就すれば、心明かに身治まりて、人間の願ふ程の事にかなはぬ事はなく候、これほどに益のある事はまたと世にあるべしとも覚へず、少し学び候てもそれ程の益あるものにて候。体充曰、仰候ところまことしからず存候、人間の願ひ品あまたおはしまし候得共、つとまる所は、才徳功業の人に勝れ、富貴長生の心のまゝならん事を願ふより外はなし、学問して才徳功業の人に勝れ候はん事はげにもにて御座候、富貴長生を願ひの儘に得候はん事はなり申まじきと存候、孔子は位を得玉はず、顔子は箪瓢陋巷、不幸短命なりと承はり及び候得ば古来聖賢人間の願ひを思ひの儘に得たまはず候こと分明に御座候へば、仰候ところ信をとりがたく候。

現代語訳

體充が言った。「正真の学問をいたしますと、どのような益がございますか。詳しくうかがいたく存じます。」師は言った。「正真の学問をして成就すれば、心は明らかに身は治まって、人間が願うほどのことでかなわないことはない。これほど益のあることがほかに世にあるとも思われない。少し学ぶだけでも、それだけの益があるものである。」體充が言った。「おっしゃることは本当とは思えません。人間の願いにはいろいろございますが、つまるところは、才徳や功業で人に勝り、富貴と長生きが思いのままであることを願うよりほかはありません。学問して才徳功業で人に勝ることは、なるほどそうでございましょう。しかし富貴長生を願いのままに得ることはできないと存じます。孔子は位を得られず、顔回は一箪の食一瓢の飲で陋巷に住み、不幸にも短命であったと聞いておりますから、昔から聖賢が人間の願いを思いのままに得られなかったことは明らかです。ですから、おっしゃることは信じがたく存じます。」

解説

学問を成就すれば願いはすべてかなうという師の言葉に、體充が真っ向から異を唱える段である。孔子は位を得られず、顔回は貧しく短命であったという事実は、『論語』を読む者なら誰もが知る反証である。才徳で人に勝ることは認めても、富貴や長寿までは学問では得られないという體充の疑いは、現代人の常識的な感覚にも近い。藤樹はこうした率直な反論を問答の形で立て、次の答えで心と迹の区別から解きほぐしていく。努力すれば報われるのかという問いは、働く人の誰もが一度は抱くものである。その問いを避けずに正面から立てるところに、この書の誠実さがある。

この章句が説くこと

学問富貴長生孔子顔回願い

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