童子問 / 卷下
問。天下之善。如何爲最。曰。好學爲最。頴敏次之。材幹又次之。葢好學之益。深焉而不可測。高焉而不可及。雖極天下之材幹頴敏。皆所不及。故好學優於天下矣。孔門之諸子。聰明莫顏子若。然夫子不稱其聰明。而特稱其好學。中庸曰。舜好問。而好察邇言。孟子稱舜曰。自耕稼陶漁。以至爲帝。無非取於人者。又曰。及聞一善言。見一善行。若决江河沛然莫之能禦也。子思孟子皆不稱其聖。而一稱好問。一稱無非取於人者。可見好學優于天下矣。人皆知聰明之可貴。而不知好學之功倍聰明實萬萬也。與患聰明不如人。不如自篤其好學之志也。
新字:問。天下之善。如何為最。曰。好学為最。頴敏次之。材幹又次之。葢好学之益。深焉而不可測。高焉而不可及。雖極天下之材幹頴敏。皆所不及。故好学優於天下矣。孔門之諸子。聰明莫顔子若。然夫子不称其聰明。而特称其好学。中庸曰。舜好問。而好察邇言。孟子称舜曰。自耕稼陶漁。以至為帝。無非取於人者。又曰。及聞一善言。見一善行。若決江河沛然莫之能禦也。子思孟子皆不称其聖。而一称好問。一称無非取於人者。可見好学優于天下矣。人皆知聰明之可貴。而不知好学之功倍聰明実万万也。与患聰明不如人。不如自篤其好学之志也。
書き下し
問ふ、天下の善、如何なるをか最と為す、と。曰く、好学を最と為す。穎敏之に次ぎ、材幹又之に次ぐ。蓋し好学の益は、深くして測るべからず、高くして及ぶべからず。天下の材幹穎敏を極むと雖も、皆及ばざる所なり。故に好学は天下に優れり。孔門の諸子、聡明は顔子に若くは莫し。然れども夫子其の聡明を称せずして、特に其の好学を称す。中庸に曰く、舜は問ふことを好みて、好んで邇言を察す、と。孟子舜を称して曰く、耕稼陶漁より以て帝と為るに至るまで、人に取るに非ざる者無し、と。又曰く、一善言を聞き、一善行を見るに及びては、江河を決するが若く、沛然として之を能く禦ぐ莫きなり、と。子思・孟子皆其の聖を称せずして、一は問ふを好むを称し、一は人に取るに非ざる者無きを称す。好学の天下に優れるを見るべし。人皆聡明の貴ぶべきを知りて、好学の功、聡明に倍すること実に万万なるを知らざるなり。聡明の人に如かざるを患へんよりは、自ら其の好学の志を篤くするに如かざるなり。
現代語訳
問う。天下の善のうちで、何を第一とするか。答える。学問を好むことを第一とする。頭の鋭さがこれに次ぎ、実務の才がさらにこれに次ぐ。思うに学問を好むことの益は、深くて測りきれず、高くて及びがたい。天下の実務の才や鋭さをきわめても、みなこれには及ばない。だから学問を好むことは天下の何よりも優れている。孔子の門人の中で、聡明さでは顔回に及ぶ者はいなかった。しかし孔子はその聡明さをほめず、とくにその学問好きをほめた。中庸に「舜は人に問うことを好み、身近な言葉をよく察した」とある。孟子は舜をほめて「田を耕し、陶器を焼き、漁をしていた時から帝となるに至るまで、人から取り入れないものはなかった」と言った。また「一つの善い言葉を聞き、一つの善い行いを見ると、大河の堤を切ったように、勢いよくあふれて誰も止められなかった」と言った。子思も孟子も、舜の聖をほめず、一方は問うことを好んだことをほめ、一方は人から取り入れないものはなかったことをほめている。学問を好むことが天下に優れていることがわかる。人はみな聡明さが貴いことを知っているが、学問を好むことの功が、聡明さの万倍にもまさることを知らない。自分の聡明さが人に及ばないことを悩むよりは、自ら学問を好む志を篤くするほうがよい。
解説
この章句が説くこと
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論語・先進篇季康子問う、「弟子孰か学を好むと為す。」孔子対えて曰く、「顔回なる者有り、学を好めり。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。」
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『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段他人の善事を身にうつし、人の悪事を見ては、我にもこの悪事あらんかと恐れ、己を顧み仁義の志し有りて止まざるを、聖人の学問と云ふ。子曰く、顔回といふ者有り、学を好む。怒りを遷さず、過ちを弐たびせず。不幸短命にして死せり。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かずと。顔回の心は、鏡の物を照らすが如し。右の怒りを左に遷さず、前に過つことを、後に復せずと。是の如く心に得て身に行ふを、徳に至ると云ふ。故に文学に長じたる子夏子游を、好学とはの玉はず。詩書六芸七十子、習ひて通ぜざるに非ず。通ずれども文学は用なり、徳とはいはず。汝の云へる学者は、年久しく文字を数へても、書の心を得ざるゆへに、不孝にして世の交りあしく、不義の類多し。然れども文字さへ読めば徳ありと思ひて、世間に取り違ふる所なり。誤るべからず。
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『童子問』卷上但だ其の生質の美は、観るべしと曰ふと雖も、然れども微にして未だ著れず、小にして未だ充たず。故に聖人教へを立て学を設け、人に書を読み文を学ぶことを教へて、以て其の微なる者を著し、其の小なる者を充たすのみ。然れども天下の同じく然る所に出でて、一毫も其の間に増加する所無し。故に中庸に曰く、「道を修むる之を教へと謂ふ」と。蓋し生質の美は善なりと雖も、然れども拡めて之を充たすに非ざれば、則ち以て徳を成すに足らず。故に曰く、「十室の邑、必ず忠信丘が如き者有らん。丘の学を好むに如かざるなり」と。道は聖人と雖も、固より知らず能はざる所有り。然れども其の本は、則ち夫婦の愚不肖も与に知り能く行ふ所にして、知り難く行ひ難き者無きなり。学者真に能く此の理を識得して、而る後以て学を為すべきなり。知るべし、向に所謂至貴至高、流俗に出で、人情に遠く、甚だ高くして行ひ難き者の道に非ざることを。
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『文武訓』文訓下一世の中に、生れつきすなほなれども書を読まず、又書は読めど道に志なき人あり、をしむべし。つとめて書を読み、道に志あれども、正学のすぢを知らずして、身ををはるまで大道にうとき人あり。是亦をしむべし。是皆聰明の足らざる故なり。
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『慎思録』巻之六古来本邦の文学の士、往往詩文を作為することを喜ぶ。其の工夫甚だ苦し。然れども其の文字多しと雖も、中華の作に似ず、作文の法度無き者多し。惜しむべし、箇の無益の閑労擾を做し、枉げて心力を費やすことを。若し果たして道を求むるの志有らば、断じて此に到らじ。
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