翁問答 / 上卷之本
聖賢四書五經の心を鏡として、我心を正しくするは始終悉く心の上の學なれば心學とも云なり此心學をよく勤めぬれば、平人より聖人の位に至るものにて候ゆへに又聖學ともいふ也、俗儒は訓詁ばかりを耳に聞覺へ口に云までにて、迹の精義をさへ辨へざれば、まして心をとりて師とする事は夢にも見ざる故に、四書五經を讀むといへども訓詁を記誦して口耳のかざりとなすばかりにて、心は元の木椀に自滿の垢のしみつきたるものなれば、益はなくて反つて惡くなり候事尤にて候、聖賢四書五經の心を師として、我心を正しうすることをば、いさゝか心掛けずして博學にほこるのみつとめとし、耳にきゝ口に云ばかりにて口耳の間の學問なれば、心學とは云はずして口耳の學とも云なり、此口耳の學にてはなにほど博學多才にても、心だて身もちは世俗の凡夫に變る事なければまた俗學とも云なり、四書五經に心迹訓詁の差別ある事をよく辨へぬればおなじ書物を讀みて正眞贋のがはりある事いはずして分明に候。
新字:聖賢四書五経の心を鏡として、我心を正しくするは始終悉く心の上の学なれば心学とも云なり此心学をよく勤めぬれば、平人より聖人の位に至るものにて候ゆへに又聖学ともいふ也、俗儒は訓詁ばかりを耳に聞覚へ口に云までにて、迹の精義をさへ弁へざれば、まして心をとりて師とする事は夢にも見ざる故に、四書五経を読むといへども訓詁を記誦して口耳のかざりとなすばかりにて、心は元の木椀に自満の垢のしみつきたるものなれば、益はなくて反つて悪くなり候事尤にて候、聖賢四書五経の心を師として、我心を正しうすることをば、いさゝか心掛けずして博学にほこるのみつとめとし、耳にきゝ口に云ばかりにて口耳の間の学問なれば、心学とは云はずして口耳の学とも云なり、此口耳の学にてはなにほど博学多才にても、心だて身もちは世俗の凡夫に変る事なければまた俗学とも云なり、四書五経に心迹訓詁の差別ある事をよく弁へぬればおなじ書物を読みて正真贋のがはりある事いはずして分明に候。
書き下し
聖賢四書五経の心を鏡として、我心を正しくするは始終悉く心の上の学なれば心学とも云なり此心学をよく勤めぬれば、平人より聖人の位に至るものにて候ゆへに又聖学ともいふ也、俗儒は訓詁ばかりを耳に聞覚へ口に云までにて、迹の精義をさへ弁へざれば、まして心をとりて師とする事は夢にも見ざる故に、四書五経を読むといへども訓詁を記誦して口耳のかざりとなすばかりにて、心は元の木椀に自満の垢のしみつきたるものなれば、益はなくて反つて悪くなり候事尤にて候、聖賢四書五経の心を師として、我心を正しうすることをば、いさゝか心掛けずして博学にほこるのみつとめとし、耳にきゝ口に云ばかりにて口耳の間の学問なれば、心学とは云はずして口耳の学とも云なり、此口耳の学にてはなにほど博学多才にても、心だて身もちは世俗の凡夫に変る事なければまた俗学とも云なり、四書五経に心迹訓詁の差別ある事をよく弁へぬればおなじ書物を読みて正真贋のがはりある事いはずして分明に候。
現代語訳
「聖賢の四書五経の心を鏡として自分の心を正しくするのは、初めから終わりまですべて心の上の学であるから心学ともいう。この心学をよく勤めれば、凡人から聖人の位に至るのであるから、また聖学ともいう。俗儒は訓詁ばかりを耳に聞き覚え口に言うだけで、迹の精しい意味さえわきまえないから、まして心を取って師とすることなど夢にも思わない。それゆえ四書五経を読むといっても、訓詁を暗誦して口と耳の飾りにするばかりで、心は元のままに自慢の垢がしみついたものであるから、益はなくてかえって悪くなるのはもっともである。聖賢の四書五経の心を師として自分の心を正しくすることには少しも心がけず、博学を誇ることばかりを務めとし、耳で聞き口で言うばかりで口と耳の間の学問であるから、心学とは言わずに口耳の学ともいう。この口耳の学では、どれほど博学多才であっても、心だてや身持ちは世俗の凡夫と変わることがないので、また俗学ともいう。四書五経に心・迹・訓詁の区別があることをよくわきまえれば、同じ書物を読んでも正真と偽物の違いがあることは言うまでもなく明らかである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・修身・心に城池有り、口に門戶有り心は城池有るを要し、口は門戶有るを要す。城池有れば則ち出でず、門戶有れば則ち縱にせず。
-
『呻吟語』外篇・天地・心は就ち是れ天なり心は就ち是れ天なり。心を欺くは便ち是れ天を欺くなり。心に事ふるは便ち是れ天に事ふるなり。更に須らく蒼蒼の上面に向かひて討むべからず。
-
『呻吟語』内篇・修身・心を大にし虛にし平にし潛め定む其の心を大にして天下の物を容れ、其の心を虛にして天下の善を受け、其の心を平にして天下の事を論じ、其の心を潛めて天下の理を觀、其の心を定めて天下の變に應ず。
-
『正法眼蔵随聞記』巻一示して云く、人は思ひ切て命をも棄て、身肉手足をも截ことは中々せくるゝなり、然あれば世間の事を思ふに、名利執心の為にも多くかくの如く思ひ切るなり、只依り来る時に、事に触れ物に随て、心品を調ふること難きなり、学者身命を捨ると思ふて、且くおしゝづめて、云ふべきことをも、修すべきことをも、道理に順ずるか順せざるかと案じて、道理に順せば云ひ、若くは行じもすべきなり、
-
『呻吟語』内篇・存心・心は天平のごとくならんことを要す心は天平のごとくならんことを要す。物を稱る時、物は忙しくして衡は忙しからず。物去る時、即ち懸空して此に在り。只だ恁く靜虛中正なれば、何等ぞ自在ならん。
-
『呻吟語』外篇・人情・心は二三を怕れ、情は一を怕る心は二三を怕れ、情は一を怕る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る