囲炉夜話 / 第六十一則・資性は人を限るに足らず
魯如曾子,於道獨得其傳,可知資性不足限人也。 貧如顏子,其樂不因以改,可知境遇不足困人也。
新字:魯如曽子,於道独得其伝,可知資性不足限人也。 貧如顔子,其楽不因以改,可知境遇不足困人也。
書き下し
魯なること曾子の如きも、道に於いて獨り其の傳を得たり、資性は人を限るに足らざるを知るべし。 貧しきこと顏子の如きも、其の樂しみは因りて以て改めず、境遇は人を困しむるに足らざるを知るべし。
現代語訳
曾子のように鈍い者でも、道においてただ一人その正統を受け継ぎました。生まれつきの資質は人を限るものではないと分かります。顔子のように貧しい者でも、その楽しみを貧しさのために改めませんでした。境遇は人を苦しめ尽くすものではないと分かります。
解説
孔子の二人の弟子を例に、資質と境遇は人を決めないと説いた対句です。曾子について『論語』先進篇に、参や魯なり、つまり曾参は鈍いと評されています。しかし後に曾子の学統が孔子の道を伝えたとされ、宋学では道統の正伝として重んじられました。顔子は顔回で、雍也篇に、竹の器一杯の飯と瓢一杯の水で路地裏に住み、人はその憂いに耐えられないのに、回はその楽しみを改めないとほめられています。鈍さも貧しさも、志ある人を止めることはできないというのです。自分の才能や環境に限界を感じるときに、支えとなる言葉です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
資質境遇曽子顔回学問
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