囲炉夜話 / 第六十四則・無きが若く虛しきが若し
觀周公之不驕不吝,有才何可自矜? 觀顏子之若無若虛,為學豈容自足?
新字:観周公之不驕不吝,有才何可自矜? 観顔子之若無若虚,為学豈容自足?
書き下し
周公の驕らず吝かならざるを觀れば、才有るも何ぞ自ら矜るべけんや。 顏子の無きが若く虛しきが若きを觀れば、學を為すに豈に自ら足れりとするを容れんや。
現代語訳
周公がおごらず物惜しみしなかったことを見れば、才能があるからといって、どうして自分を誇ってよいでしょうか。顔子が、才があっても無いかのように、満ちていても空しいかのようにふるまったことを見れば、学問をするのに、どうして自分で満足してよいでしょうか。
解説
才ある人の謙虚さを、周公と顔回の二人で示した対句です。『論語』泰伯篇に、周公の才の美のような才能があっても、驕りかつ吝かであれば、その余りは見るに足りないとあります。周公は周の礼楽を定めた聖人で、才に加えて驕らず惜しまない徳があったからこそ尊ばれたのです。後半は同じ泰伯篇で、曾子が亡き友をしのび、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若しと語った言葉で、この友は顔回とされます。才能があるほど人に分かち与え、学ぶほど自分の足りなさを知るという姿勢です。少し成果が出たときこそ、この二人の姿を思い出したいものです。
この章句が説くこと
謙虚周公顔回学問驕り
関連する章句
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論語・泰伯篇曾子曰く、「能を以て不能に問い、多を以て寡なきに問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若く、犯さるるも校いず。昔者吾が友、嘗て斯に従事せり。」
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史記 老子韓非列伝老子は、楚の苦県厲郷曲仁里の人なり。姓は李氏、名は耳、字は耼、周の守藏室の史なり。孔子、周に適き、将に礼を老子に問はんとす。老子曰く、「子の言ふ所の者は、其の人と骨と皆已に朽つ。独り其の言在るのみ。且つ君子は其の時を得ば則ち駕し、其の時を得ざれば則ち蓬累して行く。吾之を聞く、良賈は深く藏して虚しきが若く、君子は盛徳あるも容貌は愚なるが若し、と。子の驕気と多欲、態色と淫志を去れ。是れ皆子の身に益無し。吾が以て子に告ぐる所は、是くの若きのみ」と。孔子去り、弟子に謂ひて曰く、「鳥は、吾其の能く飛ぶを知る。魚は、吾其の能く游ぐを知る。獣は、吾其の能く走るを知る。走る者には以て罔を為す可く、游ぐ者には以て綸を為す可く、飛ぶ者には以て矰を為す可し。龍に至りては、吾其の風雲に乗りて天に上るを知る能はず。吾今日老子を見るに、其れ猶ほ龍のごときか」と。