翁問答 / 上卷之本
體充曰、俗儒の讀む書も四書五經、眞儒の讀む書も四書五經にて候はゞ、學問にさのみ相違のあるまじき事にて候讀む書物が同じものにて候あひだ、俗儒の學問にて益なく候はゞ、眞儒の學問にても益あるまじくと存候。師の曰、神理の精微をきわめずしては、心迹の差別しり分け難く候へば不審も尤にて候、四書五經に心と迹と訓詁と三つの差別あり、聖賢の口に述べたまふ辭と身に行ひ玉ふ事との二つを迹と云、その口に述べ身に行ひ玉ふ所の本意の至善を心といふ也、心は無方無體無聲無臭にして、書付る事能はざる故に、只あとばかりを書付て、その迹の中にふくみ備へて後世の敎へとなせり、その迹の中に備はりたる心を四書五經の心といふ也、その迹を書載たる四書五經の文字のことはりを訓詁と云なり、其訓詁を學び其迹を能く辨へその心をよく取持ちて我心の師範とし、意を誠にし心を正しくすれば、聖賢の心即ち我心となり、我心即ち聖賢の心に違はず、心聖賢の心に違はざれば言行即ち聖賢時中の言行にそむかず、斯樣に學ぶを正眞の學問といふ也、
新字:体充曰、俗儒の読む書も四書五経、真儒の読む書も四書五経にて候はゞ、学問にさのみ相違のあるまじき事にて候読む書物が同じものにて候あひだ、俗儒の学問にて益なく候はゞ、真儒の学問にても益あるまじくと存候。師の曰、神理の精微をきわめずしては、心迹の差別しり分け難く候へば不審も尤にて候、四書五経に心と迹と訓詁と三つの差別あり、聖賢の口に述べたまふ辞と身に行ひ玉ふ事との二つを迹と云、その口に述べ身に行ひ玉ふ所の本意の至善を心といふ也、心は無方無体無声無臭にして、書付る事能はざる故に、只あとばかりを書付て、その迹の中にふくみ備へて後世の教へとなせり、その迹の中に備はりたる心を四書五経の心といふ也、その迹を書載たる四書五経の文字のことはりを訓詁と云なり、其訓詁を学び其迹を能く弁へその心をよく取持ちて我心の師範とし、意を誠にし心を正しくすれば、聖賢の心即ち我心となり、我心即ち聖賢の心に違はず、心聖賢の心に違はざれば言行即ち聖賢時中の言行にそむかず、斯様に学ぶを正真の学問といふ也、
書き下し
体充曰、俗儒の読む書も四書五経、真儒の読む書も四書五経にて候はゞ、学問にさのみ相違のあるまじき事にて候読む書物が同じものにて候あひだ、俗儒の学問にて益なく候はゞ、真儒の学問にても益あるまじくと存候。師の曰、神理の精微をきわめずしては、心迹の差別しり分け難く候へば不審も尤にて候、四書五経に心と迹と訓詁と三つの差別あり、聖賢の口に述べたまふ辞と身に行ひ玉ふ事との二つを迹と云、その口に述べ身に行ひ玉ふ所の本意の至善を心といふ也、心は無方無体無声無臭にして、書付る事能はざる故に、只あとばかりを書付て、その迹の中にふくみ備へて後世の教へとなせり、その迹の中に備はりたる心を四書五経の心といふ也、その迹を書載たる四書五経の文字のことはりを訓詁と云なり、其訓詁を学び其迹を能く弁へその心をよく取持ちて我心の師範とし、意を誠にし心を正しくすれば、聖賢の心即ち我心となり、我心即ち聖賢の心に違はず、心聖賢の心に違はざれば言行即ち聖賢時中の言行にそむかず、斯様に学ぶを正真の学問といふ也、
現代語訳
體充が言った。「俗儒の読む書も四書五経、真儒の読む書も四書五経でございますなら、学問にさほど違いはないはずです。読む書物が同じなのですから、俗儒の学問に益がないのなら、真儒の学問にも益はあるまいと存じます。」師は言った。「神妙な理の精微を究めなければ、心と迹の区別は見分けにくいので、不審ももっともである。四書五経には心と迹と訓詁の三つの区別がある。聖賢が口に述べられた言葉と身に行われた事との二つを迹という。その口に述べ身に行われたところの本意である至善を心という。心は形も方角も声も臭いもないので書き付けることができない。だから迹だけを書き付けて、その迹の中に心を含め備えて後世の教えとした。その迹の中に備わった心を、四書五経の心というのである。その迹を書き載せた四書五経の文字の意味を訓詁という。その訓詁を学び、その迹をよくわきまえ、その心をよく取り持って自分の心の師範とし、意を誠にし心を正しくすれば、聖賢の心がそのまま自分の心となり、自分の心がそのまま聖賢の心に違わない。心が聖賢の心に違わなければ、言行もそのまま聖賢の時に適った言行に背かない。このように学ぶのを正真の学問というのである。」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
歎異抄・第十二条経釈を読み学せざる輩、往生不定の由のこと。この条、すこぶる不足言の義と言いつべし。 他力真実の旨を明かせる諸の聖教は、本願を信じ念仏を申さば仏に成る、そのほか何の学問かは往生の要なるべきや。 まことにこの理に迷えらん人は、いかにもいかにも学問して、本願の旨を知るべきなり。 経釈を読み学すといえども、聖教の本意を心得ざる条、もっとも不便のことなり。
-
人物志・體別夫れ學は材を成す所以なり、疏は情を推す所以なり。偏材の性は、移轉すべからず。
-
言志四録・南洲手抄学之を古訓に稽へ、問之を師友に質すは、人皆之を知る。学必ず之を躬に学び、問必ず諸を心に問ふは、其れ幾人有らんか。
-
言志四録・南洲手抄朝にして食はずば、昼にして饑う。少うして学ばずば、壮にして惑ふ。饑うるは猶忍ぶ可し、惑ふは奈何ともす可からず。
-
論語・為政篇子曰く、異端を攻むるは、斯れ害のみ。
-
説苑・建本子思曰わく、学は才を益す所以なり、礪は刃を致す所以なり。吾嘗て幽処して深く思うも、学の速やかなるに若かず。吾嘗て跂ちて望むも、高きに登りて博く見るに若かず。故に風に順いて呼べば、声疾しきを加えざれども聞く者衆し。丘に登りて招けば、臂長きを加えざれども見る者遠し。故に魚は水に乗り、鳥は風に乗り、草木は時に乗る。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る