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翁問答 / 上卷之本

體充曰、記誦詞章の學問とは、いかやうなる學問にて御座候や。師の曰、四書五經その外諸子百家の書をのこらず讀み覺へ、文を書き詩を作り、口耳をかざり利祿の求めとのみして心の驕慢いとふかきを俗儒の記誦詞章の學問といふなり。體充曰、正眞の學問は如何樣なる學問にて御座候や。師の曰、まづ明德を明かにするを志しの根本と立ち定め、四書五經の心を師とし、應事接物の境界を礪石となして、明德の寳珠を磨き、五等の孝行五倫の道の至善をよく行ひ、太和を保合して利貞なれば、時に逢てもちいらるゝ時は、四海をたゞし天下を治め、伊尹太公の事業を爲し、時に逢はずして窮する時は、獨り其身をよくし性を盡し、命にいたりて孔孟の敎化をなす、かくの如く學ぶを正眞の學問といふなり。

新字:体充曰、記誦詞章の学問とは、いかやうなる学問にて御座候や。師の曰、四書五経その外諸子百家の書をのこらず読み覚へ、文を書き詩を作り、口耳をかざり利禄の求めとのみして心の驕慢いとふかきを俗儒の記誦詞章の学問といふなり。体充曰、正真の学問は如何様なる学問にて御座候や。師の曰、まづ明徳を明かにするを志しの根本と立ち定め、四書五経の心を師とし、応事接物の境界を礪石となして、明徳の宝珠を磨き、五等の孝行五倫の道の至善をよく行ひ、太和を保合して利貞なれば、時に逢てもちいらるゝ時は、四海をたゞし天下を治め、伊尹太公の事業を為し、時に逢はずして窮する時は、独り其身をよくし性を尽し、命にいたりて孔孟の教化をなす、かくの如く学ぶを正真の学問といふなり。

書き下し

体充曰、記誦詞章の学問とは、いかやうなる学問にて御座候や。師の曰、四書五経その外諸子百家の書をのこらず読み覚へ、文を書き詩を作り、口耳をかざり利禄の求めとのみして心の驕慢いとふかきを俗儒の記誦詞章の学問といふなり。体充曰、正真の学問は如何様なる学問にて御座候や。師の曰、まづ明徳を明かにするを志しの根本と立ち定め、四書五経の心を師とし、応事接物の境界を礪石となして、明徳の宝珠を磨き、五等の孝行五倫の道の至善をよく行ひ、太和を保合して利貞なれば、時に逢てもちいらるゝ時は、四海をたゞし天下を治め、伊尹太公の事業を為し、時に逢はずして窮する時は、独り其身をよくし性を尽し、命にいたりて孔孟の教化をなす、かくの如く学ぶを正真の学問といふなり。

現代語訳

體充が言った。「記誦詞章の学問とは、どのような学問でございますか。」師は言った。「四書五経そのほか諸子百家の書を残らず読み覚え、文を書き詩を作り、口と耳を飾って利禄を求めることばかりにして、心の驕りがまことに深いのを、俗儒の記誦詞章の学問というのである。」體充が言った。「正真の学問とは、どのような学問でございますか。」師は言った。「まず明徳を明らかにすることを志の根本と立て定め、四書五経の心を師とし、事に応じ物に接する日々の場面を砥石として、明徳という宝珠を磨き、五等の孝行と五倫の道の至善をよく行い、太和を保ち合わせて利貞であれば、時に会って用いられるときは天下を正し国を治め、伊尹や太公望のような事業をなし、時に会わずに窮するときは独りその身を善くし、性を尽くし命に至って、孔子・孟子のような教化をなす。このように学ぶのを正真の学問というのである。」

解説

偽の学と正真の学を対照させる二つの問答である。記誦詞章の学は、博識と文才を利禄のために誇り、心の驕りを深めるものとして退けられる。これに対し正真の学問は、明徳を明らかにすることを根本の志とし、日々の出来事を砥石として心を磨くことだと説かれる。用いられれば伊尹や太公望のように天下を治め、用いられなければ独り身を善くするという姿は、『孟子』尽心上篇の「窮すれば独りその身を善くし、達すれば兼ねて天下を善くす」を踏まえる。仕事の場面そのものが修養の砥石になるという考えは、実践の学の核心である。

この章句が説くこと

明徳学問記誦詞章五倫孝修養

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