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翁問答 / 上卷之本

夫は和義を以て、妻を倡道す、和は親しみ和合する德なり、義は道理に從て裁判し、非道を調へ棄る德なり、大抵夫婦の間は、愛欲の私しに溺れて、義理の裁判無く、妻にまかれて、親子兄弟骨肉の親をもいひ隔てられて、怨を結ぶ事甚しければ、家を破り國を失ふ者、古來其數を知らず、又間々夫婦の交り背きそむきにして、非法見苦しきも有り、是皆人心の迷ひなり、夫婦の契人間の結び合ふたる如くなれ共、根本は形を受る初より、氣合の緣天の定る處にして親の結べる所に非らず、其上祭祀の助け、子孫相續して本始なれば、親しみ和合す可き事勿論なり、然れ共義理の裁判無れば、愛欲の私しに溺れ、家道亂れ別道の常を失ふ故に、和と義との二つを合せて夫の妻を倡ふ道とす

新字:夫は和義を以て、妻を倡道す、和は親しみ和合する徳なり、義は道理に従て裁判し、非道を調へ棄る徳なり、大抵夫婦の間は、愛欲の私しに溺れて、義理の裁判無く、妻にまかれて、親子兄弟骨肉の親をもいひ隔てられて、怨を結ぶ事甚しければ、家を破り国を失ふ者、古来其数を知らず、又間々夫婦の交り背きそむきにして、非法見苦しきも有り、是皆人心の迷ひなり、夫婦の契人間の結び合ふたる如くなれ共、根本は形を受る初より、気合の縁天の定る処にして親の結べる所に非らず、其上祭祀の助け、子孫相続して本始なれば、親しみ和合す可き事勿論なり、然れ共義理の裁判無れば、愛欲の私しに溺れ、家道乱れ別道の常を失ふ故に、和と義との二つを合せて夫の妻を倡ふ道とす

書き下し

夫は和義を以て、妻を倡道す、和は親しみ和合する徳なり、義は道理に従て裁判し、非道を調へ棄る徳なり、大抵夫婦の間は、愛欲の私しに溺れて、義理の裁判無く、妻にまかれて、親子兄弟骨肉の親をもいひ隔てられて、怨を結ぶ事甚しければ、家を破り国を失ふ者、古来其数を知らず、又間々夫婦の交り背きそむきにして、非法見苦しきも有り、是皆人心の迷ひなり、夫婦の契人間の結び合ふたる如くなれ共、根本は形を受る初より、気合の縁天の定る処にして親の結べる所に非らず、其上祭祀の助け、子孫相続して本始なれば、親しみ和合す可き事勿論なり、然れ共義理の裁判無れば、愛欲の私しに溺れ、家道乱れ別道の常を失ふ故に、和と義との二つを合せて夫の妻を倡ふ道とす

現代語訳

夫は和と義をもって妻を導く。和とは親しみ和合する徳である。義とは道理に従って裁き、非道を調え捨てる徳である。おおよそ夫婦の間は、愛欲の私に溺れて義理の裁きがなく、妻に巻かれて、親子兄弟など骨肉の親しみをも言い隔てられて怨みを結ぶことがはなはだしいので、家を破り国を失う者は古来数知れない。またまれには夫婦の交わりが背き合っていて、非法で見苦しいこともある。これはみな人心の迷いである。夫婦の契りは人間が結び合わせたもののように見えるけれども、根本は形を受ける初めから、気の合う縁として天が定めた所であって、親が結んだものではない。そのうえ祭祀の助けであり、子孫が相続する本始であるから、親しみ和合すべきことはもちろんである。しかし義理の裁きがなければ、愛欲の私に溺れて家の道が乱れ、別の道の常を失うので、和と義の二つを合わせて、夫が妻を導く道とするのである。

解説

夫婦の道のうち夫の側を説く段である。夫は和と義で妻を導くとされ、和は親しむこと、義は道理に従って裁くことと定義される。藤樹は、愛欲に溺れて道理を失い、親兄弟との関係を損なうことを家を破る原因として戒める一方、夫婦が背き合うことも迷いだとする。夫婦の縁は天が定めたものであり、祭祀と子孫相続の本であるから和合は当然だが、和だけでは溺れるので義が要るという。当時の男女観を前提とした記述ではあるが、親しさと筋の通し方を両立させるという考えは、身近な人間関係全般に通じる知恵である。

この章句が説くこと

夫婦和仁義家庭愛欲五倫

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