導師導古典を学びたいすべての人に

翁問答 / 上卷之本

子孫へ敎ふるには幼少の時を根本とす、昔は胎敎とて、胎內に在る內も、母德の敎化あり、今時の人は至理を知らざる故に、稚き内には敎は無き者なりと思へり、敎化の眞實を知らずして、只口にて言ひ敎へぬる計りを、敎へと思ふより起りたる迷いなり、根本眞實の敎化は徳敎なり、口にては敎へずして、我身を立て道を行ひて、人の自から變化するを德敎と云、譬は水の物をうるほし、火の物を乾すが如し國土の方角、水土の風氣に依て、人間の氣質少し宛變り有と雖、詞つきには元來京田舍の差別無き故に、赤子の時に京にて育てぬれば、關東にて生れたる者も、京言葉に成る者なり、關東にて育てぬれば京にて生れたるも、關東言ばに成る者なり、

新字:子孫へ教ふるには幼少の時を根本とす、昔は胎教とて、胎内に在る内も、母徳の教化あり、今時の人は至理を知らざる故に、稚き内には教は無き者なりと思へり、教化の真実を知らずして、只口にて言ひ教へぬる計りを、教へと思ふより起りたる迷いなり、根本真実の教化は徳教なり、口にては教へずして、我身を立て道を行ひて、人の自から変化するを徳教と云、譬は水の物をうるほし、火の物を乾すが如し国土の方角、水土の風気に依て、人間の気質少し宛変り有と雖、詞つきには元来京田舎の差別無き故に、赤子の時に京にて育てぬれば、関東にて生れたる者も、京言葉に成る者なり、関東にて育てぬれば京にて生れたるも、関東言ばに成る者なり、

書き下し

子孫へ教ふるには幼少の時を根本とす、昔は胎教とて、胎内に在る内も、母徳の教化あり、今時の人は至理を知らざる故に、稚き内には教は無き者なりと思へり、教化の真実を知らずして、只口にて言ひ教へぬる計りを、教へと思ふより起りたる迷いなり、根本真実の教化は徳教なり、口にては教へずして、我身を立て道を行ひて、人の自から変化するを徳教と云、譬は水の物をうるほし、火の物を乾すが如し国土の方角、水土の風気に依て、人間の気質少し宛変り有と雖、詞つきには元来京田舎の差別無き故に、赤子の時に京にて育てぬれば、関東にて生れたる者も、京言葉に成る者なり、関東にて育てぬれば京にて生れたるも、関東言ばに成る者なり、

現代語訳

子孫を教えるには幼少の時を根本とする。昔は胎教といって、胎内にいる間にも母の徳による教化があった。今の人は至理を知らないので、幼いうちは教えはないものだと思っている。教化の真実を知らずに、ただ口で言い教えることだけを教えと思うことから起きた迷いである。根本の真実の教化は徳教である。口では教えずに、我が身を立て道を行って、人が自ずから変わるのを徳教という。たとえば水が物を潤し、火が物を乾かすようなものである。国土の方角や水土の気風によって、人間の気質は少しずつ違いがあるけれども、言葉つきにはもともと京と田舎の区別はないので、赤子の時に京で育てれば、関東で生まれた者も京言葉になる。関東で育てれば、京で生まれた者も関東言葉になる。

解説

教育は幼少期こそ根本であり、さらに胎教にまでさかのぼると藤樹は言う。そして真の教化は口で言い聞かせる言教ではなく、親が身をもって道を行い、子が自然に変わっていく徳教だと説く。水が物を潤し火が物を乾かすように、徳は自然に周りに及ぶという比喩である。京で育てば京言葉、関東で育てば関東言葉になるという身近な例は、環境と手本の影響力の大きさを分かりやすく示す。人を育てる立場にある人にとって、指示や説教よりも、日々の自分の振る舞いが最も強い教えになるという指摘は耳が痛いが核心を突いている。

この章句が説くこと

教育徳教孝手本環境胎教

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る