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翁問答 / 上卷之本

扨又家を興すも子孫なり、家を破るも子孫なり、子孫に道を敎へずして、子孫繁昌を求むるは、足無くして行く事を願ふに等し、子孫の生れ付きさまさまありて、一槪に敎への法を論じ難しといへ共、先道を敎へて、本心の孝徳を明らかにするを敎への根本とす、才藝人に勝れ、仕合無類にして、人間の譽れありと雖共、心ねじけて本心の孝德無き者は天地鬼神の惡み棄て給ふ所なれば、一旦榮華に誇れ共、必ず一代二代の內に、子孫絕滅する者なり、たとい絕滅せざれ共、有るに甲斐無き人柄にて、先祖の生性此の人に至りて、相續せざれば、子無きに等し、迷へる人は、眼前一旦の富貴譽れを而己無上の物なりと思ひ、入て無始無終至極の靈寶をば、夢にも知らざる故に、當座の仕合だに好れば、其外は何もいらぬ物なりと思ひ、本末是非を云ひみたり、鷦鷯の大鵬を笑ふに異ならず、

新字:扨又家を興すも子孫なり、家を破るも子孫なり、子孫に道を教へずして、子孫繁昌を求むるは、足無くして行く事を願ふに等し、子孫の生れ付きさまさまありて、一槪に教への法を論じ難しといへ共、先道を教へて、本心の孝徳を明らかにするを教への根本とす、才芸人に勝れ、仕合無類にして、人間の誉れありと雖共、心ねじけて本心の孝徳無き者は天地鬼神の悪み棄て給ふ所なれば、一旦栄華に誇れ共、必ず一代二代の内に、子孫絶滅する者なり、たとい絶滅せざれ共、有るに甲斐無き人柄にて、先祖の生性此の人に至りて、相続せざれば、子無きに等し、迷へる人は、眼前一旦の富貴誉れを而己無上の物なりと思ひ、入て無始無終至極の霊宝をば、夢にも知らざる故に、当座の仕合だに好れば、其外は何もいらぬ物なりと思ひ、本末是非を云ひみたり、鷦鷯の大鵬を笑ふに異ならず、

書き下し

扨又家を興すも子孫なり、家を破るも子孫なり、子孫に道を教へずして、子孫繁昌を求むるは、足無くして行く事を願ふに等し、子孫の生れ付きさまさまありて、一槪に教への法を論じ難しといへ共、先道を教へて、本心の孝徳を明らかにするを教への根本とす、才芸人に勝れ、仕合無類にして、人間の誉れありと雖共、心ねじけて本心の孝徳無き者は天地鬼神の悪み棄て給ふ所なれば、一旦栄華に誇れ共、必ず一代二代の内に、子孫絶滅する者なり、たとい絶滅せざれ共、有るに甲斐無き人柄にて、先祖の生性此の人に至りて、相続せざれば、子無きに等し、迷へる人は、眼前一旦の富貴誉れを而己無上の物なりと思ひ、入て無始無終至極の霊宝をば、夢にも知らざる故に、当座の仕合だに好れば、其外は何もいらぬ物なりと思ひ、本末是非を云ひみたり、鷦鷯の大鵬を笑ふに異ならず、

現代語訳

さてまた、家を興すのも子孫であり、家を破るのも子孫である。子孫に道を教えずに子孫の繁栄を求めるのは、足がないのに歩くことを願うのと同じである。子孫の生まれつきはさまざまで、一概に教え方を論じることは難しいが、まず道を教えて本心の孝徳を明らかにすることを教えの根本とする。才芸が人に勝れ、運も比類なく、世間の誉れがあっても、心がねじけて本心の孝徳のない者は、天地鬼神が憎み捨てられる所であるから、いったんは栄華を誇っても、必ず一代二代のうちに子孫は絶えるものである。たとえ絶えなくても、いても甲斐のない人柄で、先祖の生まれ持った性がこの人に至って相続されなければ、子がいないのと同じである。迷っている人は、目先の富貴や名誉だけを無上のものと思い込んで、始めも終わりもない至極の霊宝を夢にも知らないので、さしあたりの運さえよければ、そのほかは何もいらないと思い、本末是非を言い乱す。鷦鷯が大鵬を笑うのと変わらない。

解説

家の盛衰は子孫次第であり、子孫に道を教えることこそ繁栄の根本だと説く。才能や運や名声があっても、本心の孝徳がなければ家は一代二代で絶えるという見方は、徳を家の存続の基盤とする儒学の考えである。鷦鷯が大鵬を笑うは『荘子』逍遥遊の故事で、小さな鳥が大きな鳥の志を理解できずに笑う様子を指し、目先の富貴しか見ない者が至極の霊宝を知らないことのたとえである。事業や組織の承継でも、技術や資産だけでなく、根にある価値観や誠実さを次世代に伝えられるかどうかが、長く続くかどうかを分ける。

この章句が説くこと

孝教育子孫家業本心承継

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