翁問答 / 上卷之本
親の慈悲淺く、不義無道のあてがいあるによりて不孝なるおば、迷へる凡夫は實にもと思ひ免るすと見へたり、一入迷の中の迷ひなり、其子細は禮義正しく情深くあらば、一目も知らぬ道行連れなり共、骨肉の思ひを成し、我も又恩を以て報ゆべし、然る時は親の慈深くあてがい道あるに、孝行なるは行ひ安き界なれば、さして孝行と云ふ可き事に非ず親の慈淺くあてがい無道なるに孝行なるこそ誠にあり難き孝子なれ、大舜の行ひ給ふ孝行にと、能く體認すべし、昊天罔極の恩深き親と毛頭恩なき道行連れの人と同じく思いなすは、淺間敷迷ひなり、此迷ひ深き人は生死共に天刑を受る者なり、恐れ愼む可き事なり、
新字:親の慈悲浅く、不義無道のあてがいあるによりて不孝なるおば、迷へる凡夫は実にもと思ひ免るすと見へたり、一入迷の中の迷ひなり、其子細は礼義正しく情深くあらば、一目も知らぬ道行連れなり共、骨肉の思ひを成し、我も又恩を以て報ゆべし、然る時は親の慈深くあてがい道あるに、孝行なるは行ひ安き界なれば、さして孝行と云ふ可き事に非ず親の慈浅くあてがい無道なるに孝行なるこそ誠にあり難き孝子なれ、大舜の行ひ給ふ孝行にと、能く体認すべし、昊天罔極の恩深き親と毛頭恩なき道行連れの人と同じく思いなすは、浅間敷迷ひなり、此迷ひ深き人は生死共に天刑を受る者なり、恐れ慎む可き事なり、
書き下し
親の慈悲浅く、不義無道のあてがいあるによりて不孝なるおば、迷へる凡夫は実にもと思ひ免るすと見へたり、一入迷の中の迷ひなり、其子細は礼義正しく情深くあらば、一目も知らぬ道行連れなり共、骨肉の思ひを成し、我も又恩を以て報ゆべし、然る時は親の慈深くあてがい道あるに、孝行なるは行ひ安き界なれば、さして孝行と云ふ可き事に非ず親の慈浅くあてがい無道なるに孝行なるこそ誠にあり難き孝子なれ、大舜の行ひ給ふ孝行にと、能く体認すべし、昊天罔極の恩深き親と毛頭恩なき道行連れの人と同じく思いなすは、浅間敷迷ひなり、此迷ひ深き人は生死共に天刑を受る者なり、恐れ慎む可き事なり、
現代語訳
親の慈悲が浅く、不義無道な扱いがあることによって不孝になるのを、迷った凡夫はもっともだと思って許しているように見える。これはなおさら迷いの中の迷いである。そのわけは、礼儀正しく情け深くしてくれれば、一度も会ったことのない道連れであっても骨肉のような思いをなし、自分もまた恩をもって報いるべきである。そうであれば、親の慈しみが深く扱いに道理があるのに孝行であるのは、行いやすい境遇なので、ことさら孝行と言うほどのことではない。親の慈しみが浅く扱いが無道であるのに孝行であることこそ、まことにありがたい孝子である。大舜の行われた孝行にならって、よく体得すべきである。天のように極まりない恩の深い親と、少しも恩のない道連れの人とを同じように思うのは、浅ましい迷いである。この迷いの深い人は、生きても死んでも天罰を受けるものである。恐れ慎むべきことである。
解説
この章句が説くこと
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『翁問答』上卷之本天地万物皆神明霊光の中に生化する者なる故に、よりて我心の孝徳明らかなれば、神明に通し四海に明らかなるものなり、故に我心の孝徳を明らかにして、天地万物に通ずるやうに心がけを以て、人間第一のつとめとす、しかるを以て、天地万物皆我本心孝徳の中に在る物なり、迷へる人は心のうちに計り有ると思へ共、根本は心の中に生し出たる身なり、然る故に悟りたる眼には、内外幽明有無の差別なし、五倫の道を外と見ていとひ棄て、内外幽明有無の二見を立つるは悟りに似たる迷なり、
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『翁問答』上卷之本体充問曰五等の孝の説を承り候得者、親を愛敬する計りは孝行にては無く、其徳を明らかにして夫々のすぎわいの所作を、精に入て勤るが孝行の本意にて候や。師の曰左様にて候、畢竟は人の明徳を明らかにするが、孝行の本意にて候、故に心にむざとしたる一念を起し、或は怒るまじき事に腹を立て、悦ぶましきことを悦び、願ふまじき事を願ひ、悔むまじき事を悔み、畏れまじき事を懼るゝも、皆不孝なり、一言の偽も不孝なり、況や不義無道を身に行ひ、死すべき所にて死せず、死ぬまじき処にて犬死をなし、取まじき物を貧り取る可きものを取らずして、飢寒に及などするは皆以外の大なる不孝なり、心にかけて慎み可守事なり、此道理を知り明らめて、心に守り身に行ふを儒者の学問と云ふなり、世間に学問する人は多分に候得共、此本意を悟り得る人稀にて候。
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論語・為政篇子游孝を問う。子曰く、「今の孝者は、是れ能く養うと謂う。犬馬に至るまで、皆能く養うこと有り。敬せずんば、何を以て別たんや。」
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『翁問答』上卷之本体充問曰人間の心立種々ありて行ふ処其品多し、其内に是非混乱して何れに従ふ可し共覚へず人間一生涯の内、何れの道をか受用の業と成すべく候や。師の曰我人の身のうちに、至徳要道と云へる天下無双の霊宝あり、此宝を以て心に守り身に行ふを要とするなり、此宝を以て五倫の道を行へば、五倫の間皆和睦して怨なし、此宝を以て神明に事まつれば神明納受し給ふ、此宝を以て天下を治れば天下平になり、国を治れば国治り、家を斉へば家斉へり、身に行へば身治り、心に守れば心明かなり、おし広れば、天地の外にわたり、取納れば我心の密に隠る、誠に神明至極の霊宝なり、
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『翁問答』上卷之本体充曰、さようの宝は誠に求めまほしき事に候得共、あまり広大なる道なれば、我等が分にては難及覚へ候。師の曰、それは悪しき心得にて候、広大なる故に我人の及事にて候、譬ば日月の光りは広大なるに由て、目ある程の者は普く見得るが如し、此宝も広大なる故に貴賤男女を撰ばず、幼なきも老たるも本心ある程の人は、普く守り得る道にて候、
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『慎思録』巻之二三年の喪は、天下の通喪なり。蓋し人子哀痛惻怛の情、此に於て自ら已むこと能はざる所有り。而して孝子の心窮まり無し。故に先王之が為に中制を立て、之を限るに三年を以てす。期に至れば則ち天道一周し、時物皆変ず。其の天地の中に在る者、更始せざる莫し。是を以て之に象る。孝子の心、此に至るも猶ほ未だ已むこと能はず。再び之に加ふるに一年を以てする者は、隆を加ふるなり。故に之を倍して、再期にして已むべし。而して遽かに已むべからず。之に継ぐに一時を以てし、月を間てて禫す。禫して醴酒を飲み乾肉を食ふ。喪畢はる。是れ礼記三年問の説及び程子の意此くの如し。朱子の孟子の註に曰く、三年の喪は、子生まれて三年、然る後に父母の懐を免る。故に父母の喪は、必ず三年を以てするなり、と。此れ孔子の宰我に答ふるの言に本づく。蓋し孔子の宰我に答ふるに、此を以て告ぐる者は、宰我をして反りて諸を心に求め、自ら其の忍びざる所以を得しめんと欲するなり。朱子は此を以て喪の必ず三年を以てするの意を解す。此れも亦た孝子哀痛不忍の心、当に此くの如くなるべきを言ふのみ。古昔親の喪、期年に至りて已まずして、必ず三年に至る所以の者は、古人の平日習ひ知る所なり。況んや孔門の学者は、素より耳に熟する所にして、既に了々然たり。再び告ぐるを要せず。故に反りて諸を心に求めしめて、鞠育の恩に報ゆる所を以て之に告ぐること此くの如し。若し夫れ喪の必ず三年の久しきに至りて、遽かに已むべからざる所以の者は、礼記三年問、及び程子の説、詳明にして備はると謂ふべきなり。
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