導師導古典を学びたいすべての人に

翁問答 / 上卷之本

躰充曰、さようの寳は誠に求めまほしき事に候得共、あまり廣大なる道なれば、我等が分にては難及覺へ候。師の曰、それは惡しき心得にて候、廣大なる故に我人の及事にて候、譬ば日月の光りは廣大なるに由て、目ある程の者は普く見得るが如し、此寶も廣大なる故に貴賤男女を撰ばず、幼なきも老たるも本心ある程の人は、普く守り得る道にて候、

新字:体充曰、さようの宝は誠に求めまほしき事に候得共、あまり広大なる道なれば、我等が分にては難及覚へ候。師の曰、それは悪しき心得にて候、広大なる故に我人の及事にて候、譬ば日月の光りは広大なるに由て、目ある程の者は普く見得るが如し、此宝も広大なる故に貴賤男女を撰ばず、幼なきも老たるも本心ある程の人は、普く守り得る道にて候、

書き下し

体充曰、さようの宝は誠に求めまほしき事に候得共、あまり広大なる道なれば、我等が分にては難及覚へ候。師の曰、それは悪しき心得にて候、広大なる故に我人の及事にて候、譬ば日月の光りは広大なるに由て、目ある程の者は普く見得るが如し、此宝も広大なる故に貴賤男女を撰ばず、幼なきも老たるも本心ある程の人は、普く守り得る道にて候、

現代語訳

体充が言った。そのような宝はまことに求めたいものですが、あまりに広大な道なので、私たちの分際では及び難いように思われます。師は答えた。それはよくない心得です。広大であるからこそ、われわれ誰もが及ぶことができるのです。たとえば日月の光は広大であるからこそ、目のある者は誰でも見ることができるようなものです。この宝も広大であるから、貴賤や男女を選ばず、幼い者も老いた者も、本心のある人ならば誰でも守り得る道なのです。

解説

大きすぎて自分には無理だという体充の尻込みを、藤樹は日月の光のたとえで退ける。広大なものほど誰にでも届くという逆転の発想が印象的である。藤樹の学問は身分や性別を問わず開かれており、近江の村で農民にも道を説いた近江聖人の姿勢がここに表れている。「本心ある程の人」は、誰もが生まれながらに持つ善なる心を指し、後の良知の思想にもつながる。立派な理念を前にして「自分には関係ない」と身を引くのではなく、日々の身近な場面から実践できると受け止めることが、学びを生かす第一歩である。

この章句が説くこと

孝本心心修養日月平等

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る