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翁問答 / 上卷之本

幸にして母子安穩なれば、一命再續の喜ひを成し、母はぬれたる寢敷に臥して、子をば乾ける裀に臥しめ子能く眠りぬれば、母の身屈伸を成さず、身あか付きけれ共、沐浴の暇なく衣裳身の繕ひなど取亂し、子の安穩を思ふより外は他念なし、若し少しにても病みぬれば、醫を求め神に祈り、身を以て替らん事を思ふ乳哺三年の間、父母の苦勞其數を知らず、入學の年になりぬれば、師を求め道を敎へ、藝を習はし才德の人に勝れん事を願ひ、旣に有室の年に至りぬれば、伉儷を求め家業を立て、富み榮へん事を計り願ひ、其子才德人に勝り、仕合せもよく榮へぬれば、限なく悅びの眉を開き、若又才德も人に劣りぬれば、起臥絕へずなげきを成せり、

新字:幸にして母子安穏なれば、一命再続の喜ひを成し、母はぬれたる寝敷に臥して、子をば乾ける裀に臥しめ子能く眠りぬれば、母の身屈伸を成さず、身あか付きけれ共、沐浴の暇なく衣裳身の繕ひなど取乱し、子の安穏を思ふより外は他念なし、若し少しにても病みぬれば、医を求め神に祈り、身を以て替らん事を思ふ乳哺三年の間、父母の苦労其数を知らず、入学の年になりぬれば、師を求め道を教へ、芸を習はし才徳の人に勝れん事を願ひ、既に有室の年に至りぬれば、伉儷を求め家業を立て、富み栄へん事を計り願ひ、其子才徳人に勝り、仕合せもよく栄へぬれば、限なく悦びの眉を開き、若又才徳も人に劣りぬれば、起臥絶へずなげきを成せり、

書き下し

幸にして母子安穏なれば、一命再続の喜ひを成し、母はぬれたる寝敷に臥して、子をば乾ける裀に臥しめ子能く眠りぬれば、母の身屈伸を成さず、身あか付きけれ共、沐浴の暇なく衣裳身の繕ひなど取乱し、子の安穏を思ふより外は他念なし、若し少しにても病みぬれば、医を求め神に祈り、身を以て替らん事を思ふ乳哺三年の間、父母の苦労其数を知らず、入学の年になりぬれば、師を求め道を教へ、芸を習はし才徳の人に勝れん事を願ひ、既に有室の年に至りぬれば、伉儷を求め家業を立て、富み栄へん事を計り願ひ、其子才徳人に勝り、仕合せもよく栄へぬれば、限なく悦びの眉を開き、若又才徳も人に劣りぬれば、起臥絶へずなげきを成せり、

現代語訳

幸いにして母子が無事であれば、一命が再び続いた喜びをなし、母は濡れた寝床に臥して、子は乾いたしとねに寝かせ、子がよく眠れば、母は身を屈めも伸ばしもせず、身が垢じみても沐浴の暇もなく、衣装や身なりも取り乱して、子の無事を思うほかには他念がない。もし少しでも病めば、医者を求め神に祈り、身をもって代わりたいと思う。乳を与える三年の間、父母の苦労は数知れない。学問を始める年になれば師を求めて道を教え、芸を習わせ、才徳が人に勝れることを願い、すでに妻を持つ年になれば配偶者を求め、家業を立てて富み栄えることを計り願う。その子が才徳人に勝り、運もよく栄えれば限りなく喜びの眉を開き、もしまた才徳も人に劣れば、寝ても起きても嘆き続ける。

解説

出産後から成人までの父母の苦労を順に描く段である。濡れた所に自分が寝て乾いた所に子を寝かせる母の姿は、古来の孝の教えで繰り返し語られてきた情景である。病気の時の祈り、教育、結婚、家業と、親の心配は子の一生に及び、子の出来不出来に一喜一憂する。藤樹はこれらを感傷として語るのではなく、恩の大きさを実感させるために具体的に並べている。自分の成長の陰にあった多くの手間や心配に思いを致すことは、親に限らず、育ててくれた先輩や上司、組織への見方をも変えるだろう。

この章句が説くこと

孝恩父母子育て慈愛教育

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