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翁問答 / 上卷之本

離身無孝離孝無身故に、身を立道を行ふが孝の全體なり、親に能く事ふるも、即身を立、道を行ふ一事なり、身を立つると云ふは、我身は元來父母の身を分けて受たる者なり、我身を父母の身と思ひ定めて、かりそめにも不義無道を行はず、父母の身と思ひ定めて、いかにも大切に愛敬して、我物の隔なく大通一貫の身を立つるなり、扨元來を能押極めて見れば、我身は父母の身を分けて受け、父母の身は天地の氣を分けて受け、天地は太虛の氣をわけて受けたる物なれば、本來我身は太虛神明の分身變化なる故に、太虛神明の本體を明かにして失はざるを以て、身を立つると云ふなり、太虛神明の本體を明らめたてたる身を以て、人倫に交り萬事に應ずるを道を行ふと云ふなり、

新字:離身無孝離孝無身故に、身を立道を行ふが孝の全体なり、親に能く事ふるも、即身を立、道を行ふ一事なり、身を立つると云ふは、我身は元来父母の身を分けて受たる者なり、我身を父母の身と思ひ定めて、かりそめにも不義無道を行はず、父母の身と思ひ定めて、いかにも大切に愛敬して、我物の隔なく大通一貫の身を立つるなり、扨元来を能押極めて見れば、我身は父母の身を分けて受け、父母の身は天地の気を分けて受け、天地は太虚の気をわけて受けたる物なれば、本来我身は太虚神明の分身変化なる故に、太虚神明の本体を明かにして失はざるを以て、身を立つると云ふなり、太虚神明の本体を明らめたてたる身を以て、人倫に交り万事に応ずるを道を行ふと云ふなり、

書き下し

身を離れて孝無く孝を離れて身無し故に、身を立道を行ふが孝の全体なり、親に能く事ふるも、即身を立、道を行ふ一事なり、身を立つると云ふは、我身は元来父母の身を分けて受たる者なり、我身を父母の身と思ひ定めて、かりそめにも不義無道を行はず、父母の身と思ひ定めて、いかにも大切に愛敬して、我物の隔なく大通一貫の身を立つるなり、扨元来を能押極めて見れば、我身は父母の身を分けて受け、父母の身は天地の気を分けて受け、天地は太虚の気をわけて受けたる物なれば、本来我身は太虚神明の分身変化なる故に、太虚神明の本体を明かにして失はざるを以て、身を立つると云ふなり、太虚神明の本体を明らめたてたる身を以て、人倫に交り万事に応ずるを道を行ふと云ふなり、

現代語訳

「身を離れて孝無く、孝を離れて身無し」であるから、身を立て道を行うことが孝の全体である。親によく仕えるのも、すなわち身を立て道を行う一事である。身を立てるとは、我が身はもともと父母の身を分けて受けたものであるから、我が身を父母の身と思い定めて、かりそめにも不義無道を行わず、父母の身と思い定めていかにも大切に愛敬し、物と我との隔てのない大通一貫の身を立てることである。さて根本をよく押し究めて見れば、我が身は父母の身を分けて受け、父母の身は天地の気を分けて受け、天地は太虚の気を分けて受けたものであるから、本来我が身は太虚神明の分身変化である。それゆえ太虚神明の本体を明らかにして失わないことを、身を立てるというのである。太虚神明の本体を明らかにして立てた身をもって、人倫に交わり万事に応じることを、道を行うというのである。

解説

「身を立て道を行う」を具体的に解き明かす段である。冒頭の「身を離れて孝無く…」は『全孝図説』系の言葉とされ、身と孝が一体であることを示す。我が身は父母の身であり、さらに天地、太虚へとさかのぼる分身だという連鎖によって、自分を大切にすることがそのまま孝になる。身を立てるとは出世のことではなく、自分の内なる本体を明らかにして保つことだと藤樹は定義し直す。自分の身を粗末に扱うことは、受け継いだものを損なうことになる。心身の健康や誠実な振る舞いを、自分一人のものではないと考える視点は、働き方を見直す手がかりになる。

この章句が説くこと

孝身太虚立身愛敬父母

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