翁問答 / 上卷之本
大槪を論ずるに、先五倫を以ていへば、親を愛敬するが感通の根本なる故に、本分の名號を改めず、孝行と名付て、扨それより感通の光景に因て、名を立て敎を示し給ことなり、二心なく君を愛敬するを忠と名付く、禮儀正しく臣下を愛敬するを仁と名付く、能く敎へて子を愛敬するを慈と名付く、和順にして兄を愛敬するを悌と名付く、善をせめて弟を愛敬するを惠と名付く、正しき節を守りて夫を愛敬するを順と名付く、朋友を愛敬するを信と名付く、一身を以て云へば耳目の聰明、四肢の恭重、行住座臥の法則、皆愛敬の感通なり、如此親切なる道徳なれば、如何なる愚痴不肖の賤男賤女、五六歲の幼童迄も、能く知り能く行ひ、扨大至極の全體は聖人と雖共つくし難き物なり、誠に不二の要道、無双の重寳なれ共卞和が璧となりて、世俗の闇を照さゞる事なげかわしき事なるべし。
新字:大槪を論ずるに、先五倫を以ていへば、親を愛敬するが感通の根本なる故に、本分の名号を改めず、孝行と名付て、扨それより感通の光景に因て、名を立て教を示し給ことなり、二心なく君を愛敬するを忠と名付く、礼儀正しく臣下を愛敬するを仁と名付く、能く教へて子を愛敬するを慈と名付く、和順にして兄を愛敬するを悌と名付く、善をせめて弟を愛敬するを恵と名付く、正しき節を守りて夫を愛敬するを順と名付く、朋友を愛敬するを信と名付く、一身を以て云へば耳目の聰明、四肢の恭重、行住座臥の法則、皆愛敬の感通なり、如此親切なる道徳なれば、如何なる愚痴不肖の賤男賤女、五六歳の幼童迄も、能く知り能く行ひ、扨大至極の全体は聖人と雖共つくし難き物なり、誠に不二の要道、無双の重宝なれ共卞和が璧となりて、世俗の闇を照さゞる事なげかわしき事なるべし。
書き下し
大槪を論ずるに、先五倫を以ていへば、親を愛敬するが感通の根本なる故に、本分の名号を改めず、孝行と名付て、扨それより感通の光景に因て、名を立て教を示し給ことなり、二心なく君を愛敬するを忠と名付く、礼儀正しく臣下を愛敬するを仁と名付く、能く教へて子を愛敬するを慈と名付く、和順にして兄を愛敬するを悌と名付く、善をせめて弟を愛敬するを恵と名付く、正しき節を守りて夫を愛敬するを順と名付く、朋友を愛敬するを信と名付く、一身を以て云へば耳目の聰明、四肢の恭重、行住座臥の法則、皆愛敬の感通なり、如此親切なる道徳なれば、如何なる愚痴不肖の賤男賤女、五六歳の幼童迄も、能く知り能く行ひ、扨大至極の全体は聖人と雖共つくし難き物なり、誠に不二の要道、無双の重宝なれ共卞和が璧となりて、世俗の闇を照さゞる事なげかわしき事なるべし。
現代語訳
あらましを論じると、まず五倫について言えば、親を愛敬することが感応の根本であるから、本来の名を改めずに孝行と名づけ、さてそれから感応の様子によって名を立て教えを示されたのである。二心なく君を愛敬することを忠と名づける。礼儀正しく臣下を愛敬することを仁と名づける。よく教えて子を愛敬することを慈と名づける。和やかに従って兄を愛敬することを悌と名づける。善を勧めて弟を愛敬することを恵と名づける。正しい節を守って夫を愛敬することを順と名づける。友を愛敬することを信と名づける。一身について言えば、耳目の聡明、手足の恭しく重々しい動き、行住坐臥の作法も、みな愛敬の感応である。このように身近な道徳であるから、どんな愚かで不肖の賤しい男女も、五六歳の幼子までも、よく知りよく行うことができる。しかしその至極の全体は、聖人といえども尽くし難いものである。まことに二つとない要道、比べるもののない重宝であるのに、卞和の璧のように世に認められず、世俗の闇を照らさないのは嘆かわしいことである。
解説
この章句が説くこと
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葉隠・聞書第一忠臣は孝子の門に尋ねよとあり。随分(ずいぶん)心を尽くして孝行すべき事なり。奉公に精を出す人は自然にはあれども、孝行に精出す人は稀なり。よき者には他人も懇(ねんご)ろに、亡き後にて残り多く、孝行に精出す人は稀なり。無理なる人、無理なる親にてなくば知れまじきなり。
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