囲炉夜話 / 第百二十則・仁に假仁有り義に假義有り
忠有愚忠,孝有愚孝,可知忠孝二字不是伶俐人做得來。 仁有假仁,義有假義,可知仁義二途不無奸險人藏其內。
新字:忠有愚忠,孝有愚孝,可知忠孝二字不是伶俐人做得来。 仁有仮仁,義有仮義,可知仁義二途不無奸険人蔵其内。
書き下し
忠に愚忠有り、孝に愚孝有り、忠孝の二字は伶俐の人の做し得來るものに非ざるを知るべし。 仁に假仁有り、義に假義有り、仁義の二途は奸險の人の其の內に藏るること無きにあらざるを知るべし。
現代語訳
忠には愚かなほどの忠があり、孝には愚かなほどの孝があります。だから忠孝の二字は、利口な人にやり遂げられるものではないとわかります。仁には見せかけの仁があり、義には見せかけの義があります。だから仁義の二つの道には、腹黒い人がその中に隠れていないわけではないとわかります。
解説
忠孝と仁義という四つの徳について、本物と偽物の見分けどころを示した則です。愚忠や愚孝は、損得を計算せず一途に尽くす姿を言い、ここではむしろ本物のしるしとして語られています。利口な人は損得を量ってしまうので、かえって忠孝を貫けないというのです。一方、仮仁や仮義は、仁義の看板を掲げながら中身のない偽物で、陰険な人ほどその陰に隠れやすいと警告します。前半は愚直さの中に本物があること、後半は立派な言葉の中に偽物があることを示し、見かけと中身が逆になりうるという点でつながっています。今日でも、損得抜きで尽くす人を不器用と笑い、立派な理念を語る人を信じてしまうことがあります。徳は言葉でなく、損を引き受ける行いで見分けるべきでしょう。
この章句が説くこと
忠孝仁義偽善誠実
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