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日本国風抄録 / 義戦・義戦をめぐる儒者の論と著者の反論

孟子曰、春秋無義戰、彼善於此則有之矣、これを觀て儒者日本の義戰を論ず、林羅山云、本朝の義戰は只是神功皇后の西征と日本武尊の東征耳と、しかるに論者猶皇后の西征を疑ひて新羅我國を闚闚するにあらず、舊臣從して今弗庭にあらす、民を倒懸ならしむるにあらず、其國財多がためにこれを伐、義惡乎在と云、嗚呼是何の言ぞや、我神國を忘れたるの見識なり、思夫神功皇后新羅國を征しまします、天神地祇これをおしへこれを助けて伐しむ、其神意私智の能窺ひ量る所にあらず、其可征の理不側の境に在、然るに西峯說とて或書に載云、仍賚赤絹一百匹賜任那王、然新羅人遮之於道而奪、其二國之怨始起於是時、觀此則崇天皇雖不征新羅、新羅得罪于我朝、起於此際矣、終至神功皇后得征之、盖爲任那征之也、これ新羅罷ありといへども皇后親大軍を發して征し給ふべき義にあらず、此說可なりとせず、大私智を以神の誨ましますの御心如何と可量にあらざれども、敬て竊思ふに治國は邊要を大事とす、古記を見れば開化天皇の時、

新字:孟子曰、春秋無義戦、彼善於此則有之矣、これを観て儒者日本の義戦を論ず、林羅山云、本朝の義戦は只是神功皇后の西征と日本武尊の東征耳と、しかるに論者猶皇后の西征を疑ひて新羅我国を闚闚するにあらず、旧臣従して今弗庭にあらす、民を倒懸ならしむるにあらず、其国財多がためにこれを伐、義悪乎在と云、嗚呼是何の言ぞや、我神国を忘れたるの見識なり、思夫神功皇后新羅国を征しまします、天神地祇これをおしへこれを助けて伐しむ、其神意私智の能窺ひ量る所にあらず、其可征の理不側の境に在、然るに西峯説とて或書に載云、仍賚赤絹一百匹賜任那王、然新羅人遮之於道而奪、其二国之怨始起於是時、観此則崇天皇雖不征新羅、新羅得罪于我朝、起於此際矣、終至神功皇后得征之、盖為任那征之也、これ新羅罷ありといへども皇后親大軍を発して征し給ふべき義にあらず、此説可なりとせず、大私智を以神の誨ましますの御心如何と可量にあらざれども、敬て窃思ふに治国は辺要を大事とす、古記を見れば開化天皇の時、

書き下し

孟子曰、春秋無義戰、彼善於此則有之矣、これを觀て儒者日本の義戰を論ず、林羅山云、本朝の義戰は只是神功皇后の西征と日本武尊の東征耳と、しかるに論者猶皇后の西征を疑ひて新羅我國を闚闚するにあらず、舊臣從して今弗庭にあらす、民を倒懸ならしむるにあらず、其國財多がためにこれを伐、義惡乎在と云、嗚呼是何の言ぞや、我神國を忘れたるの見識なり、思夫神功皇后新羅國を征しまします、天神地祇これをおしへこれを助けて伐しむ、其神意私智の能窺ひ量る所にあらず、其可征の理不側の境に在、然るに西峯說とて或書に載云、仍賚赤絹一百匹賜任那王、然新羅人遮之於道而奪、其二國之怨始起於是時、觀此則崇天皇雖不征新羅、新羅得罪于我朝、起於此際矣、終至神功皇后得征之、盖爲任那征之也、これ新羅罷ありといへども皇后親大軍を發して征し給ふべき義にあらず、此說可なりとせず、大私智を以神の誨ましますの御心如何と可量にあらざれども、敬て竊思ふに治國は邊要を大事とす、古記を見れば開化天皇の時、

現代語訳

孟子は「『春秋』に義戦はない。あれよりこれのほうがましだ、ということはある」と言いました。これを見て儒者は日本の義戦を論じます。林羅山は「わが国の義戦は、ただ神功皇后の西征と日本武尊の東征だけである」と言いました。ところが論者はなお皇后の西征を疑い、「新羅がわが国をうかがったわけではなく、旧臣が従って今は不服従でもなく、民を逆さ吊りのような苦しみに置いたわけでもない。その国に財が多いために討ったのなら、義はどこにあるのか」と言います。ああ、これは何という言葉でしょう。わが神国を忘れた見識です。思うに、神功皇后が新羅を征されたのは、天神地祇がこれを教え、これを助けて討たせたのであり、その神意は私の小さな知恵で推し量れるものではありません。討つべき理は測りがたい境にあります。ところが「西峯説」といって、ある書に載せる説があります。「そこで赤絹百匹を任那の王に賜ったが、新羅人が道で遮ってそれを奪った。二国の怨みはこの時から始まった。これを見ると、崇神天皇は新羅を征されなかったが、新羅がわが朝に罪を得たのはこのころに起こり、ついに神功皇后が征することになった。つまり任那のために征したのだ」というのです。この説では、新羅に落ち度があったとしても、皇后みずから大軍を発して征されるべき理由にはなりません。この説はよしとしません。私の知恵で神のお諭しの御心を量れるものではありませんが、つつしんでひそかに思うに、国を治めるには辺境の要地を大事にします。古い記録を見ると、開化天皇の時、

解説

儒者の林羅山らが義戦の例を限った議論に対し、度會常彰が神意を持ち出して反論する場面です。江戸中期の神道家が、戦いの正しさを神のお告げという根拠で守ろうとした議論であり、現代の私たちは戦いを称えるものとしてではなく、歴史上の考え方として読む必要があります。実務に通じるのは、行動の正当性を問うこと自体の重みです。組織でも、なぜそれをするのかという大義と、相手や周囲に与える影響を問い続けることが、管理職の判断を支えます。理由が説明できない決定は、説得力を持ちません。

この章句が説くこと

日本国風抄録度会常彰義戦林羅山孟子神功皇后

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