日本国風抄録 / 兵道・日本を武勇の国と見る神話の根拠
それ日本は東方にて陽氣始て發する地にして、其氣極めて盛也、其盛なる氣を稟て生れ來る故に衆庶生質武勇なり、是水土然らしむる所なり、此國最初に出來ぬるは磤馭盧島なり、磤馭盧島は大丈夫島なり、自然と武勇を生つく國故、此號ありといふは牽强、神代卷に八千戈神、纂疏に、或兵器備足蓋軍神也、又經津主神、武甕槌神の二神有、天照大神の勅を承て葦原中國に降り、悉平定し給ふ、是軍將の權輿にて此二神始て武を唱へ給へり、且神功皇后勅に、我軍神の最上として此日本の天地と久くさかへ守らん、應神天皇勅に、吾日の本武き心あらむもの必我まへに至りてすべらみことの世々の守りとならん事を思ひねがはんものは、吾神明の直き心に清き心をうけてよこしまならんとをしりぞけて、もろ〱の人をいざなへと和論語に載、又松浦物語に和國はつはものゝ國として、ちいさけれども神のまもりつよく人の心かしこかんなりといひ、八幡愚童訓に異國の人十人に御方の共は一人ぞむかふべきと云、一書に二神天之瓊矛を以て生給ふ所の州國なれば萬國に勝れて金氣の盛なるも亦見つべしと云、如此此國元より勇武の國ゆへ兵の道不絶世々に傳り、今天下太平に卒士濱迄治れるも武氣の鎭る所なり、
新字:それ日本は東方にて陽気始て発する地にして、其気極めて盛也、其盛なる気を稟て生れ来る故に衆庶生質武勇なり、是水土然らしむる所なり、此国最初に出来ぬるは磤馭盧島なり、磤馭盧島は大丈夫島なり、自然と武勇を生つく国故、此号ありといふは牽強、神代巻に八千戈神、纂疏に、或兵器備足蓋軍神也、又経津主神、武甕槌神の二神有、天照大神の勅を承て葦原中国に降り、悉平定し給ふ、是軍将の権輿にて此二神始て武を唱へ給へり、且神功皇后勅に、我軍神の最上として此日本の天地と久くさかへ守らん、応神天皇勅に、吾日の本武き心あらむもの必我まへに至りてすべらみことの世々の守りとならん事を思ひねがはんものは、吾神明の直き心に清き心をうけてよこしまならんとをしりぞけて、もろ〱の人をいざなへと和論語に載、又松浦物語に和国はつはものゝ国として、ちいさけれども神のまもりつよく人の心かしこかんなりといひ、八幡愚童訓に異国の人十人に御方の共は一人ぞむかふべきと云、一書に二神天之瓊矛を以て生給ふ所の州国なれば万国に勝れて金気の盛なるも亦見つべしと云、如此此国元より勇武の国ゆへ兵の道不絶世々に伝り、今天下太平に卒士浜迄治れるも武気の鎮る所なり、
書き下し
それ日本は東方にて陽氣始て發する地にして、其氣極めて盛也、其盛なる氣を稟て生れ來る故に衆庶生質武勇なり、是水土然らしむる所なり、此國最初に出來ぬるは磤馭盧島なり、磤馭盧島は大丈夫島なり、自然と武勇を生つく國故、此號ありといふは牽强、神代卷に八千戈神、纂疏に、或兵器備足蓋軍神也、又經津主神、武甕槌神の二神有、天照大神の勅を承て葦原中國に降り、悉平定し給ふ、是軍將の權輿にて此二神始て武を唱へ給へり、且神功皇后勅に、我軍神の最上として此日本の天地と久くさかへ守らん、應神天皇勅に、吾日の本武き心あらむもの必我まへに至りてすべらみことの世々の守りとならん事を思ひねがはんものは、吾神明の直き心に清き心をうけてよこしまならんとをしりぞけて、もろ〱の人をいざなへと和論語に載、又松浦物語に和國はつはものゝ國として、ちいさけれども神のまもりつよく人の心かしこかんなりといひ、八幡愚童訓に異國の人十人に御方の共は一人ぞむかふべきと云、一書に二神天之瓊矛を以て生給ふ所の州國なれば萬國に勝れて金氣の盛なるも亦見つべしと云、如此此國元より勇武の國ゆへ兵の道不絶世々に傳り、今天下太平に卒士濱迄治れるも武氣の鎭る所なり、
現代語訳
日本は東方で、陽気がはじめて発する地であり、その気がきわめて盛んです。その盛んな気を受けて生まれるので、人々は生まれつき武勇の質を持ちます。これは風土がそうさせるところです。この国が最初にできたのは磤馭盧島(おのころ島)ですが、磤馭盧島は大丈夫島であり、自然と武勇を生む国なのでこの名があるというのはこじつけです。神代巻に八千戈神、纂疏(注釈書)に「兵器が備わっているのは軍神であろう」とあり、また経津主神と武甕槌神の二神がいて、天照大神の勅命を受けて葦原中国に降り、すべてを平定されました。これが軍将のはじまりで、この二神がはじめて武を唱えられました。さらに神功皇后の勅に「我は軍神の最上として、この日本の天地とともに久しく栄え守ろう」とあり、応神天皇の勅に「わが日の本の武き心ある者は、必ず我が前に至り、天皇の世々の守りとなることを願う者は、わが神明の直く清き心を受けて邪を退け、多くの人を導け」と『和論語』に載せています。また『松浦物語』は「和国は兵の国であり、小さいけれども神の守りが強く、人の心が賢い」といい、『八幡愚童訓』は「異国の人十人に味方は一人で向かう」といい、ある書は「二神が天之瓊矛で生まれた国だから、万国に勝れて金気が盛んなのもわかる」といいます。このように、この国はもとより勇武の国であるため、兵の道が絶えず世々に伝わり、今、天下太平で国の隅々まで治まっているのも、武の気が鎮まるところなのです。
解説
この章句が説くこと
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『弘道館記述義』・國體以之尊嚴・勇武は忠愛の誠から発する実に此に胚胎す。(案ずるに本なる者は末に対するの称なり。当時、夷蛮の朝貢する者猶ほ少なし。故に未だ国号を建てず。三韓を撫し西土に通ずるに及び、或いは東天皇と称し、或いは日出づる処の天子と称し、遂に日本の号を建てて以て内外本末の分を弁ず。亦た唯だ往時の胚胎する者を挙げて之を発するのみ。)夫れ日出づるの郷は、陽気の発する所、地霊人傑、食饒かに兵足る。上の人は好生愛民を以て徳と為し、下の人は一意奉上を以て心と為す。其の勇武に至りては、則ち皆天性に根ざす。此れ国体の尊厳なる所以なり。抑も所謂勇武とは、惟だ勁悍猛烈にして以て其の威を逞しうするのみに非ず。蓋し亦た必ず忠愛の誠より発す。請ふ其の略を論ぜん。素戔嗚尊は蛇を斬りて剣を獲、以為らく是れ神剣なり、敢へて私せず、と。大巳貴神は其の平国の矛を献じて曰く、天孫若し此を以て国を治めば、必ず当に平安なるべし、と。是の時に方り、素戔嗚尊は罪を天祖に獲、大巳貴神は将に国を天孫に避らんとす。而して啻に朝廷を怨みざるのみならず、乃ち其の宝器を献じて以て奉上の誠を輸す。其の忠愛の厚きこと何如ぞや。五瀬命の薨ぜんとするに臨みて慷慨し、剣を撫して逆虜未だ滅びざるを以て憾みと為し、日本武尊の疾篤きや、懐ひを雄刀に寓し、情を歌詞に発するが若きは、其の感憤悲壮、従容嫻雅、又た復た何如ぞや。後世に至るに及びても、士は猶ほ廉恥を重んじ、卑怯懦弱を賤しみ、汚名先を辱むるを以て戒めと為し、忠義孝烈の人乏しからず。丹心血誠、天日に誓ひ金石を貫き、其の跡追はずして、流風は馨るが如く、余情は掬すべき者、皆上世の遺俗の然らしむる所なり。之を要するに自ら一種の藹然たる気象有り、海外異邦の企及する所に非ず。蓋し国体は独り尊厳なるを得ず、必ず天地正大の気に資る有り。天地の気は独り正大なるを得ず、亦た必ず仁厚義勇の風に参る有り。然らば則ち風俗の淳漓は、国体の汚隆の繋かる所なり。在上の君子、豈に心を留めざるべけんや。
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『学論抄録』・国難に徒死せず術で勝つ心構えと神代の武夫れ知らざるを知らずと為さば、則ち誠に罪無し。己の知らざるを以て、儒の事に非ずと為し、妄言して人を惑はし、以て国事を誤らば、其の罪を如何せん。仄かに其の説を聞く、士の国難に趨くや、死するを以て自ら足れりと為すのみと。其れ此くの如くんば、所謂果敢にして術無し、何を以て敵に勝つことを得ん。苟免する者と亦た何ぞ多く択ばんや。国家の士を養ふこと、又た何ぞ徒死して功無きを望まんや。近日儒士の武を談ずるは、徂徠物子一人のみ。亦た唯だ博覧の余力、臆断して自負す。不世の豪傑の資を以てすと雖も、未だ明師に遇はず、牢く法制を執りて、軍略を問はず、孔子の謀を好むの言と乖戻す。其の著す所の孫子解及び鈐録は、渉猟殆ど尽くすと雖も、未だ事術磨練の功を見ず。遂に七書を以て空理と為し、後世の戚南塘・鄭芝龍を崇びて備と為す。区々たる小技に拘はり、未だ鎮を建つるの規模、戦勢の地形を画する、所謂帷中に千里の勝ちを決し、草廬に三分の謀を定むるの術有るを知らず。亦た惜しからずや。豈に儒文士の之を知らざるのみならんや。武人の兵学に任ずる者と雖も、亦た知る者は殆ど希なり。斯の道の陰晦、嘆くに勝ふべけんや。顧みるに夫の国朝の武備は、天照太神に防まる。天孫の降るに追び、宝鏡・宝剣・神璽の伝有り。児屋根・太玉の両神の執持する所の神籬・磐境・厳矛有り。又た武甕槌・経津主の二神、不順を征するの功有り。神武帝の東夷を征するや、日を負ひて之に向かふの神策有り、女軍・男軍・煉炭の備へ有り。日本武尊の東西の夷賊を征するや、或いは海舸に鏡を懸け、或いは曠野に薙ぎて帥ゐる謀有り。神功皇后の西州を征するや、干珠・満珠の奇宝有り。応神天皇の御世に当たりて、文武の学倶に起こり、後世の人民大いに恩沢に潤ふ。尽敬天皇の藤森の神祠、称して弓兵政所と曰ふ。飛立足・水銀堆の伝有り。以上の諸神、崇め奉りて以て軍神と為すと云ふ。其の伝ふる所は、皆是れ水土自然の明教、
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『弘道館記述義』・國體以之尊嚴・国体の尊厳と日本の名の由来国体、之を以て尊厳なり。臣彪謹んで案ずるに、赫赫たる大八洲は、磤馭盧島に基づく。磤馭盧の島は、実に天瓊矛より成る。国威の由りて来る所、遠し。嘉穀農饒なり、是に於て千五百秋瑞穂の称有り。武備充足す、是に於て細戈千足の名有り。(細戈千足は、旧説皆戈矛充足の義と為す。近世古学者の流、或いは謂ふ、千足は富足の約語、細戈は富足の冠辞にして、武備に関する有るに非ず、と。今案ずるに後紀に、人名に五百足といふ者有り。是に由りて之を考ふれば、千足・五百足は皆古言にして、物の充足を謂ふなり。如し千を以て富の約語と為せば、則ち五百足は何等の約語なるかを知らず。且つ大巳貴命を称して八千矛神と曰ふ者は、其の威武に取るに非ざれば、則ち亦た兵備の充足に取る。細戈千足の義と相発すべきなり。故に今旧説に従ひて述ぶ。)曰く浦安国、曰く玉垣内国、曰く磯輪上秀真国の若きに至りては、未だ始めより土壌霊秀、風気淳美の故に由らずんばあらざるなり。(案ずるに瑞穂国は、中国の総称なり。其の他或いは今の大和を指し、後世遂に通じて総称に之を用ふ。猶ほ日本を訓じて夜麻登と為すがごとし。皇都の称と国号と相通ず。理固より然るなり。)日本の大号は中世に起こる。而して其の由りて来る所、蓋し亦た尚し。何を以て之を知る。維れ昔、天孫の下土に降臨するや、朝暾夕暉の照曜する所を相て、以為らく此の地甚だ佳し、と。乃ち始めて皇居を営む。景行帝の子湯県に幸するや、以為らく是の国は直に日の出づる所に向かふ、と。因りて命けて日向と曰ふ。成務帝の国郡を定むるや、東西を日縦と為し、南北を日横と為す。神皇、純陽光明の域を愛すること、既已に此くの如し。且つ夫れ天日を以て国郡を経緯し、而して我れ其の根本に処り、凡そ四夷百蛮皆我が末光を仰ぐ。則ち日本の大号は、
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『新論』國體中天朝は武を以て国を建て、戎を詰め方に行ふこと、由来旧し。弧矢の利、戈矛の用、既に神代に見え、宝剣は三器の一に居る。故に号して細戈千足の国と曰ふ。天祖中州を天孫に授けたまふや、押日をして来目の兵を帥ゐて従ひ行かしむ。太祖の征戦も、亦専ら来目を以て折衝の用と為し、遂に中土を平定したまふ。又物部を置きて、来目と相参へ、以て宮城を衛り、国土を鎮む。崇神天皇将軍を四道に遣はして、不庭を討平し、皇子豊城命をして東国を治めしめ、而して民をして農隙に射猟し、以て其の物を貢し、以て征役に従はしむ。規制一たび立ち、歴朝遵奉し、土疆日に以て広く、東は蝦夷を斥け、西は筑紫を清め、遂に三韓を平げ、府を任那に建て、以て之を控制す。治強の実、是に於てか見ゆ。
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『日本国風抄録』・義戦・辺境の守りと、国を乱す者への征討異國より吾國を先だつて侵す、それより文永弘安まで此國を襲ふと十三度に及べりと云、諸神豫此隣敵の畏れを鑑みまし〱、神功皇后に誨て新羅を征し神策武威を示し、新羅のみならず、外國悉怖畏して永世此國を侵さゞらんことを思ひ給ふの神意なるも知るべからず、朝野群載筥崎記曰、筥崎宮在西海道筑前國那珂郡、盖八幡大菩薩之別宮也云々、北臨巨海、西向絶域、爲防異國之來寇垂跡此地、これ又神意の隣敵守禦に在ことを觀つべし、况又日本武尊東西の夷を討給ひ、崇神天皇の時武埴安彦謀反に依て大彦と彦國營とを遣してこれを征、聖武天皇の御宇太宰少貳藤原廣嗣肥前國遠珂郡に城を建て王命不從反逆を企つ、依て大將軍大野東人、副將軍紀飯麻呂、佐伯常久、阿陪中麻呂を添て征伐せしむ、又朱雀院の御宇に平將門東に叛し藤原純友西に叛きて天位を侵さんとす、軍將を遣して速に征す、(此後貞任宗任武衡家衡反逆の征伐有、)夫此國は皇孫の國也、然るに天位を奪はんとす、速に軍將を遺し其罪を聲して征伐す、豈義戰に非や、
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『尚武論』・武国日本と、風土に合った道我が邦は武国なり。西土は文国なり。文国は文を尚び、武国は武を尚ぶ、固より其の所なり。何を以て之を言ふ。夫れ上古数百年の間、逆臣凌がず、外寇入らず、上安く下平らかに、四方事無し。其の治、堯舜の世に孰与れぞ。当時、儒道未だ入らず、仏法未だ興らず。何を以て然るか。唯だ武の治のみ。我が邦に武有るは、我が邦自然の道なり。尚ぶべきかな。何を以て其の然るを知る。曰く、瑞穂国とは、米粟狠戻の謂なり。曰く、細戈千足国とは、武器精備の謂なり。武器精しく、米粟足る。武国に非ずして何ぞ。又曰く、礒馭廬島とは、猶ほ西土の丈夫国と曰ふがごとし。丈夫は即ち武夫の称なり。曰く、浦安国とは、外賊侵す能はず、四辺安寧の義を取るなり。此れ則ち此れ武国たる所以なり。余乃ち卦を以て之を推すに、我が邦は震卦に配す。説卦に曰く、震は龍たり、と。西川求林曰く、我が国の形、游龍の象有り、と。真に然り。我が邦は丈夫と称す、猶ほ彼の国の君子と称するがごとし。西土は文国にして、其の邦已に文を主とす、則ち君子を以て尚しと為す。自づから同じからざるのみ。我が邦の武夫、豈に君子を以て之を称すべけんや。彼も又我が邦を称して君子国と曰ふは、自ら尚ぶ所を以て之を称するなり。固より彼と此と別有るを知らざるなり。聖人の道は天に順ひ時に応ず。子丑寅の建正、忠質文の更尚、彼の土に在りて古今異なる。宜しく已に然るべし。況んや我が邦の彼の邦に於けるや、相距たること幾百里、其の風絶異し、人情同じからず。悪くんぞ其の道を同じうするを獲んや。君子は其の教へを修めて其の俗を易へず、其の政を斉へて其の宜しきを易へず。故に我が邦の武は廃棄すべからざるなり。孔子若し桴に乗りて海に浮かび、既に我が方に在らば、則ち必ず武を以て尚しと為さん。未だ必ずしも文を以て尚しと為さず。若し西土の文に拘泥して国土の道に循はず、曰く、我聖人の道を学ぶ、と。豈に之を聖人の道を知ると謂ふべけんや。聖人は礼楽を以て国を治む。彼の国の礼楽は文を主として之を制す、則ち我が邦の礼楽は宜しく武を主として之を制すべきのみ。東涯先生曰く、今日の世に在りては、今日の楽無かるべからず。何ぞ必ずしも前古の楽を襲ひて以て之を今日に用ひんや。聖人作ること有らば、必ず能く当時の楽を制し、当時の人をして視て之を楽しみ、聴きて之を悦ばしめん。亦唯だ世俗の楽に因りて之を文るのみ、と。其の言甚だ善し。然れども未だ彼と此と文武の異有るを論ずるに及ばず。孔子、韶を謂ふ、美を尽くせり、

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