学論抄録 / 国難に徒死せず術で勝つ心構えと神代の武
夫不知爲不知、則誠無罪、以己不知、爲非儒事、妄言惑人、以誤國事、如其罪何、仄聞其說、士之趨乎國難也、以死之爲自足矣、其如此、所謂果敢無術、何以得勝敵、與苟免者、亦何多擇乎哉、國家之養士、又何望乎徒死無功乎哉、近日儒士之談武、徂徠物子一人而已耳、亦唯博覽之餘力、臆斷自負焉、雖以不世豪傑之資、然未遇明師、牢執法制、不問軍略、與孔子好謀之言乖戾焉、其所著孫子解及鈐錄、雖涉獵殆盡、而未見事術磨練之功、遂以七書爲空理、崇後世戚南塘鄭芝龍爲備也、拘區々小技、未知有建鎭國之規模、畫戰勢之地形、所謂帷中決千里之勝、草廬定三分之謀之術也、不亦惜乎、豈儒文士不知之而已哉、雖武人任兵學者、亦知焉者殆希矣、斯道陰晦、可勝歎也哉、顧夫 國朝武備、防於天照太神、追 天孫之降也、有寶鏡寶劔神璽之傳焉、 兒屋根太玉兩神、所執持之神籬磐境嚴矛有焉、又有武甕槌經津主二神、征不順之功焉、神武帝征東夷也、有負日而向之神策焉、有女軍男軍煉炭之備焉、日本武尊征東西之夷賊也、有或海舸懸鏡、或曠野薙帥謀焉、神功皇后征西州也、有干珠滿珠之奇寶焉、當應神天皇御世也、文武之學俱起、而後世人民大潤恩澤也、盡敬天皇藤森神祠、稱曰弓兵政所、有飛立足水銀堆之傳焉、以上諸神奉崇以爲軍神云、其所傳、皆是水土自然明敎、
新字:夫不知為不知、則誠無罪、以己不知、為非儒事、妄言惑人、以誤国事、如其罪何、仄聞其説、士之趨乎国難也、以死之為自足矣、其如此、所謂果敢無術、何以得勝敵、与苟免者、亦何多択乎哉、国家之養士、又何望乎徒死無功乎哉、近日儒士之談武、徂徠物子一人而已耳、亦唯博覧之余力、臆断自負焉、雖以不世豪傑之資、然未遇明師、牢執法制、不問軍略、与孔子好謀之言乖戻焉、其所著孫子解及鈐録、雖渉猟殆尽、而未見事術磨練之功、遂以七書為空理、崇後世戚南塘鄭芝竜為備也、拘区々小技、未知有建鎮国之規模、画戦勢之地形、所謂帷中決千里之勝、草廬定三分之謀之術也、不亦惜乎、豈儒文士不知之而已哉、雖武人任兵学者、亦知焉者殆希矣、斯道陰晦、可勝嘆也哉、顧夫 国朝武備、防於天照太神、追 天孫之降也、有宝鏡宝剣神璽之伝焉、 児屋根太玉両神、所執持之神籬磐境厳矛有焉、又有武甕槌経津主二神、征不順之功焉、神武帝征東夷也、有負日而向之神策焉、有女軍男軍煉炭之備焉、日本武尊征東西之夷賊也、有或海舸懸鏡、或曠野薙帥謀焉、神功皇后征西州也、有干珠満珠之奇宝焉、当応神天皇御世也、文武之学倶起、而後世人民大潤恩沢也、尽敬天皇藤森神祠、称曰弓兵政所、有飛立足水銀堆之伝焉、以上諸神奉崇以為軍神云、其所伝、皆是水土自然明教、
書き下し
夫れ知らざるを知らずと為さば、則ち誠に罪無し。己の知らざるを以て、儒の事に非ずと為し、妄言して人を惑はし、以て国事を誤らば、其の罪を如何せん。仄かに其の説を聞く、士の国難に趨くや、死するを以て自ら足れりと為すのみと。其れ此くの如くんば、所謂果敢にして術無し、何を以て敵に勝つことを得ん。苟免する者と亦た何ぞ多く択ばんや。国家の士を養ふこと、又た何ぞ徒死して功無きを望まんや。近日儒士の武を談ずるは、徂徠物子一人のみ。亦た唯だ博覧の余力、臆断して自負す。不世の豪傑の資を以てすと雖も、未だ明師に遇はず、牢く法制を執りて、軍略を問はず、孔子の謀を好むの言と乖戻す。其の著す所の孫子解及び鈐録は、渉猟殆ど尽くすと雖も、未だ事術磨練の功を見ず。遂に七書を以て空理と為し、後世の戚南塘・鄭芝龍を崇びて備と為す。区々たる小技に拘はり、未だ鎮を建つるの規模、戦勢の地形を画する、所謂帷中に千里の勝ちを決し、草廬に三分の謀を定むるの術有るを知らず。亦た惜しからずや。豈に儒文士の之を知らざるのみならんや。武人の兵学に任ずる者と雖も、亦た知る者は殆ど希なり。斯の道の陰晦、嘆くに勝ふべけんや。顧みるに夫の国朝の武備は、天照太神に防まる。天孫の降るに追び、宝鏡・宝剣・神璽の伝有り。児屋根・太玉の両神の執持する所の神籬・磐境・厳矛有り。又た武甕槌・経津主の二神、不順を征するの功有り。神武帝の東夷を征するや、日を負ひて之に向かふの神策有り、女軍・男軍・煉炭の備へ有り。日本武尊の東西の夷賊を征するや、或いは海舸に鏡を懸け、或いは曠野に薙ぎて帥ゐる謀有り。神功皇后の西州を征するや、干珠・満珠の奇宝有り。応神天皇の御世に当たりて、文武の学倶に起こり、後世の人民大いに恩沢に潤ふ。尽敬天皇の藤森の神祠、称して弓兵政所と曰ふ。飛立足・水銀堆の伝有り。以上の諸神、崇め奉りて以て軍神と為すと云ふ。其の伝ふる所は、皆是れ水土自然の明教、
現代語訳
そもそも知らないことを知らないとするなら、まことに罪はありません。自分が知らないことを理由に、儒の事ではないとし、みだりに言って人を惑わし、国事を誤らせるなら、その罪をどうしましょう。ちらりとその説を聞くと、士が国難に赴くとき、死ぬことをもって満足とするだけだというのです。もしそうなら、いわゆる思い切りはよいが術がないということで、どうして敵に勝てるでしょう。かりそめに難を免れる者と、さほど選ぶところがありません。国家が士を養うのに、むだ死にして功のないことを望むでしょうか。近ごろ儒者で武を語るのは、徂徠物子ひとりだけです。ただ博覧のあまりの力で、推測で断じて自負していました。世に稀な豪傑の資質をもちながら、まだ名師に遇わず、かたく法制を守って軍略を問わず、孔子の「謀を好む」という言葉に背いていました。その著した『孫子解』と『鈐録』は、渉猟はほとんど尽くしていますが、まだ術を磨き鍛えた成果は見えません。ついに七書を空論として、後世の戚南塘や鄭芝龍を尊んで備えとしました。こまごました小技にこだわり、鎮(拠点)を建てる規模や、戦勢の地形を描くこと、いわゆる帷幕の中で千里の外の勝ちを決し、草廬で三分の計を定めるような術があることを知りません。惜しいことではありませんか。儒者や文士が知らないだけでなく、武人で兵学に任じる者でも、知る者はほとんどまれです。この道が暗く埋もれていることは、嘆くばかりです。顧みるに、わが国の武備は、天照大神に始まります。天孫が降るに及び、宝鏡・宝剣・神璽の伝えがあります。児屋根・太玉の二神が執り持った神籬・磐境・厳矛があります。また武甕槌・経津主の二神には、従わない者を征した功があります。神武帝が東の夷を征したとき、日を背にして向かうという神策があり、女軍・男軍・煉炭の備えがありました。日本武尊が東西の夷賊を征したとき、あるいは海上の舟に鏡を懸け、あるいは広野の草を薙いで率いる謀がありました。神功皇后が西の地を征したときは、干珠・満珠という奇宝がありました。応神天皇の御代にあたって、文武の学がともに起こり、後世の人民は大いに恩沢に潤いました。尽敬天皇の藤森の神祠は、弓兵政所と称し、飛立足・水銀堆の伝えがあります。以上の諸神を崇め奉って軍神とするといいます。その伝えるところは、みな水土自然の明らかな教えで、
解説
この章句が説くこと
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