日本国風抄録 / 序・自国を尊ぶ心と、この書を著した願い
是みな天のまゝなる性情にして、をのが父母の國をたふとび、其親を親とするのものなり、私に似て私といふべからず、佛も聖もなどか此心をにくしとおぼさむ、其道その敎へにもたがふべからず、もしわれにひとしき人ありて、吾國を國とし、他神よりはわが國神、他道よりはわが道をたふとみあふがむこゝろあらば、かたりあはさまほしく、伊勢人のひがごとをわすれ、山田原の杉村立のほとりの小亭にして、神國につきたるふるきならはしを、古書のうちよりからかへ出し、つと〱かきあつめて、これを日本國風と號く、近世のことは人の傳へ聞べきゆへにおほくはこれをもらすといへども、類にふれて、近きこともまじれるなるべし、わが邑の小さより〱に、これを見て神國をろそかにおもはず、他道にひき倒されざるたよりともならば、幸甚しかるべし、延享五年三月穀旦度會常彰書
新字:是みな天のまゝなる性情にして、をのが父母の国をたふとび、其親を親とするのものなり、私に似て私といふべからず、仏も聖もなどか此心をにくしとおぼさむ、其道その教へにもたがふべからず、もしわれにひとしき人ありて、吾国を国とし、他神よりはわが国神、他道よりはわが道をたふとみあふがむこゝろあらば、かたりあはさまほしく、伊勢人のひがごとをわすれ、山田原の杉村立のほとりの小亭にして、神国につきたるふるきならはしを、古書のうちよりからかへ出し、つと〱かきあつめて、これを日本国風と号く、近世のことは人の伝へ聞べきゆへにおほくはこれをもらすといへども、類にふれて、近きこともまじれるなるべし、わが邑の小さより〱に、これを見て神国をろそかにおもはず、他道にひき倒されざるたよりともならば、幸甚しかるべし、延享五年三月穀旦度会常彰書
書き下し
是みな天のまゝなる性情にして、をのが父母の國をたふとび、其親を親とするのものなり、私に似て私といふべからず、佛も聖もなどか此心をにくしとおぼさむ、其道その敎へにもたがふべからず、もしわれにひとしき人ありて、吾國を國とし、他神よりはわが國神、他道よりはわが道をたふとみあふがむこゝろあらば、かたりあはさまほしく、伊勢人のひがごとをわすれ、山田原の杉村立のほとりの小亭にして、神國につきたるふるきならはしを、古書のうちよりからかへ出し、つと〱かきあつめて、これを日本國風と號く、近世のことは人の傳へ聞べきゆへにおほくはこれをもらすといへども、類にふれて、近きこともまじれるなるべし、わが邑の小さより〱に、これを見て神國をろそかにおもはず、他道にひき倒されざるたよりともならば、幸甚しかるべし、延享五年三月穀旦度會常彰書
現代語訳
これらはみな天然のままの性情であって、自分の父母の国を尊び、自分の親を親とするものです。私心に似ていても私心というべきではありません。仏も聖人も、どうしてこの心を憎いとお思いになるでしょうか。その道、その教えにも背くものではありません。もし私と同じ思いの人がいて、わが国を国とし、他の神よりはわが国の神を、他の道よりはわが道を尊び仰ぐ心があるならば、語り合いたいものです。伊勢人の偏りを忘れ、山田原の杉の木立のほとりの小さな亭で、神国にかかわる古い習わしを古書の中から探し出し、せっせと書き集めて、これを『日本国風』と名づけました。近世のことは人々が伝え聞いているはずなので多くは省きましたが、類に触れて近いことも交じっているでしょう。わが村の若い人々がこれを見て、神国をおろそかに思わず、他の道に引き倒されない手がかりとなれば、幸いです。延享五年三月吉日、度會常彰書。
解説
この章句が説くこと
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『日本国風抄録』・奥書・五巻の書写と校正を終えた奥書此の五巻、常彰神主の自筆本を以て之を写す。時に寛延第二己巳冬十二月、正校し畢る。権禰宜従四位下度會神主経廣。
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『神皇正統記』巻一 神国の名大日本者神国也。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此事あり。異朝には其たぐひなし。此故に神国と云ふ也。
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『明訓一班抄抄録』・序・子孫に教訓を伝える序足引の大和だましひあらむものは、朝となく夕となく、津の國のなには思はず、世の爲國のためよしあしをさたすな、道に心をも用ひ身をもつとむべくなん、そも〱此ふみはじめは吾嬬の左のおほいまうち君にさゝげんとて書つれど、世を遁れたる身には今更にやくなしと思ひなされ、はた祖宗の尊ふとき御敎訓のすぢを述むも、時にあはざらんには中〱に賢き業とふつにおもひ止りぬ、されど、これを丙丁童子にあたへむも本意なければ、聊言葉のてにをはをかえて、子孫に傳へ示すになん、源朝臣齊昭
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『告志篇』・本を思い恩に報いる心がけ告志篇我等淺學不才にて義理文辭とも行屆兼候へども、 存付候事包み居候ては我等の愚意も不相分、愚意なりとてかくすべきにもあらねば、かきつゞりて一冊となし、近侍のものへ爲見候なり、敢て老成人に示さんとにはあらず、少年後進の輩、見及び聞及びにて尤と存相守候はゞ、大幸の事と存候也、人は貴き賤きによらず、本を思ひ恩に報い候樣心懸候儀專一と存候、抑 日本は 神聖の國にして、天祖天孫統を垂れ極を建給ひしよりこのかた、明德の遠き太陽とゝもに照臨まし〱、寶祚の隆なる天壤とゝもに窮りなく、君臣父子の常道より、衣食住の日用に至るまで、皆これ天祖の恩賚にして、萬民永く飢寒の患を免れ、天下敢て非望の念を萌さず、難有と申も恐多き御事なり、然れども、數千年の久しきうちに盛衰なき事あたはず、或は治り或は亂れ、永祿天正の間に至て天下の亂極まりしかど、東照宮三河に起らせられ、櫛風沐雨、辛苦艱難まし〱て、上は天朝を輔翼し奉り、下は諸侯を鎭撫し給ひ、二百餘年の今に至るまで、天下泰山の安きを保ち、人民塗炭の苦を免れ、うまれながら太平の德澤に浴し居候は、これ亦難有御事ならずや、されば人たるもの、かりそめにも、神國の尊きゆゑんと天祖の恩賚とを忘るべからず、又かりそめにも、東照宮の德澤をゆるかせに心得候ては不相濟事と存候、我等愚昧にして士民の上に立べき者にあらねど、祖先の餘蔭により、天朝及び 公邊の恩澤に浴し、乍不肖三位の尊を汚し三家の重きに列して、天下の藩屏とも相成居候上は、
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『神皇正統記』巻一 この書のこと唯我国のみ天地ひらけし初より今の世の今日に至まで、日嗣をうけ給ことよこしまならず。一種姓の中におきてもおのづから傍より伝へ給しすら猶正にかへる道ありてぞたもちましましける。是しかしながら神明の御誓あらたにして余国にことなるべきいはれなり。抑、神道のことはたやすくあらはさずと云ことあれば、根元をしらざれば猥しき始ともなりぬべし。其つひえをすくはんために聊勒し侍り。神代より正理にてうけ伝へるいはれを述ことを志て、常に聞ゆる事をばのせず。しかれば神皇の正統記とや名け侍べき。

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