弘道館記述義 / 國體以之尊嚴・国体の尊厳と日本の名の由来
國體以之尊嚴。臣彪謹案。赫赫大八洲。基於磤馭盧島。磤馭盧之島。實成於天瓊矛。國威之所由來遠矣。嘉穀農饒。於是有千五百秋瑞穗之稱。武備充足。於是有細戈千足之名。(細戈千足。舊說皆爲戈矛充足之義。近世古學者流。或謂千足者富足之約語。細戈者富足之冠辭。非有關武備也。今案後紀。人名有五百足者。由是考之。千足五百足皆古言而謂物之充足也。如以千爲富之約語。則不知五百足者何等約語。且稱大巳貴命曰八千矛神者。非取於其威武。則亦取於兵備充足。可與細戈千足之義相發也。故今從舊說而述焉。)至若曰浦安國。曰玉垣內國。曰磯輪上秀眞國。未始不由土壤靈秀風氣淳美之故也。(案瑞穗國者。中國之總稱。其他或指今大和。後世遂通用之於總稱猶訓日本爲夜麻登。皇都之稱與國號相通。理固然也。)日本之大號。起於中世。而其所由來。蓋亦尙矣。何以知之。維昔天孫降臨下土也。相朝暾夕暉之所照曜。以爲此地甚佳。乃始營皇居。景行帝幸子湯縣也。以爲是國直向日所出。因命之曰日向。成務帝定國郡也。東西爲日縱。南北爲日橫。神皇愛純陽光明之域。既已如此。且夫以天日經緯國郡。而我處其根本。凡四夷百蠻皆仰我末光。則日本之大號。
新字:国体以之尊厳。臣彪謹案。赫赫大八洲。基於磤馭盧島。磤馭盧之島。実成於天瓊矛。国威之所由来遠矣。嘉穀農饒。於是有千五百秋瑞穂之称。武備充足。於是有細戈千足之名。(細戈千足。旧説皆為戈矛充足之義。近世古学者流。或謂千足者富足之約語。細戈者富足之冠辞。非有関武備也。今案後紀。人名有五百足者。由是考之。千足五百足皆古言而謂物之充足也。如以千為富之約語。則不知五百足者何等約語。且称大巳貴命曰八千矛神者。非取於其威武。則亦取於兵備充足。可与細戈千足之義相発也。故今従旧説而述焉。)至若曰浦安国。曰玉垣内国。曰磯輪上秀真国。未始不由土壤霊秀風気淳美之故也。(案瑞穂国者。中国之総称。其他或指今大和。後世遂通用之於総称猶訓日本為夜麻登。皇都之称与国号相通。理固然也。)日本之大号。起於中世。而其所由来。蓋亦尚矣。何以知之。維昔天孫降臨下土也。相朝暾夕暉之所照曜。以為此地甚佳。乃始営皇居。景行帝幸子湯県也。以為是国直向日所出。因命之曰日向。成務帝定国郡也。東西為日縦。南北為日横。神皇愛純陽光明之域。既已如此。且夫以天日経緯国郡。而我処其根本。凡四夷百蠻皆仰我末光。則日本之大号。
書き下し
国体、之を以て尊厳なり。臣彪謹んで案ずるに、赫赫たる大八洲は、磤馭盧島に基づく。磤馭盧の島は、実に天瓊矛より成る。国威の由りて来る所、遠し。嘉穀農饒なり、是に於て千五百秋瑞穂の称有り。武備充足す、是に於て細戈千足の名有り。(細戈千足は、旧説皆戈矛充足の義と為す。近世古学者の流、或いは謂ふ、千足は富足の約語、細戈は富足の冠辞にして、武備に関する有るに非ず、と。今案ずるに後紀に、人名に五百足といふ者有り。是に由りて之を考ふれば、千足・五百足は皆古言にして、物の充足を謂ふなり。如し千を以て富の約語と為せば、則ち五百足は何等の約語なるかを知らず。且つ大巳貴命を称して八千矛神と曰ふ者は、其の威武に取るに非ざれば、則ち亦た兵備の充足に取る。細戈千足の義と相発すべきなり。故に今旧説に従ひて述ぶ。)曰く浦安国、曰く玉垣内国、曰く磯輪上秀真国の若きに至りては、未だ始めより土壌霊秀、風気淳美の故に由らずんばあらざるなり。(案ずるに瑞穂国は、中国の総称なり。其の他或いは今の大和を指し、後世遂に通じて総称に之を用ふ。猶ほ日本を訓じて夜麻登と為すがごとし。皇都の称と国号と相通ず。理固より然るなり。)日本の大号は中世に起こる。而して其の由りて来る所、蓋し亦た尚し。何を以て之を知る。維れ昔、天孫の下土に降臨するや、朝暾夕暉の照曜する所を相て、以為らく此の地甚だ佳し、と。乃ち始めて皇居を営む。景行帝の子湯県に幸するや、以為らく是の国は直に日の出づる所に向かふ、と。因りて命けて日向と曰ふ。成務帝の国郡を定むるや、東西を日縦と為し、南北を日横と為す。神皇、純陽光明の域を愛すること、既已に此くの如し。且つ夫れ天日を以て国郡を経緯し、而して我れ其の根本に処り、凡そ四夷百蛮皆我が末光を仰ぐ。則ち日本の大号は、
現代語訳
「国体、之を以て尊厳なり」(国のありようは、これによって尊く厳かである)。臣の彪が謹んで考えますに、輝かしい大八洲は、磤馭盧島に基づいています。磤馭盧の島は、まさに天瓊矛からできました。国の威光の由来は遠いのです。よい穀物が豊かに実る、そこで「千五百秋の瑞穂」という称があります。武備が充足している、そこで「細戈千足」という名があります。(「細戈千足」は、旧来の説ではみな、戈や矛が十分にそろう意味とする。近ごろの古学者は、千足は富足の約まった語、細戈は富足にかかる飾りの語で、武備に関係はないという。いま考えるに、『日本後紀』に人名で五百足という者がいる。これによって考えれば、千足・五百足はみな古い言葉で、物が十分に満ちることをいう。もし千を富の約語とすれば、五百足は何の約語か分からない。また大己貴命を八千矛神と称するのは、その威武にちなむのでなければ、兵備の充足にちなむのである。細戈千足の意味と互いに明らかにできる。そこで今、旧説に従って述べる。)「浦安国」「玉垣内国」「磯輪上秀真国」などの名も、もとより土地が霊妙にすぐれ、風土の気が穏やかで美しいことによるものでしょう。(考えますに、瑞穂国は、国の総称である。ほかにあるいは今の大和を指し、後世ついにこれを総称に通用した。日本を「やまと」と訓むのと同じで、皇都の称と国号が通じるのは、道理として当然である。)「日本」という大きな国号は中世に起こりました。しかしその由来は、また古いのです。どうして知るのか。昔、天孫が地上に降臨したとき、朝日と夕日の照らすところを見て、この地はとても良いと考え、初めて皇居を営みました。景行天皇が子湯県に行幸したとき、この国はまっすぐ日の出る方に向かっていると考え、「日向」と名づけました。成務天皇が国や郡を定めたときは、東西を日の縦、南北を日の横としました。神である天皇が純粋に陽の光に満ちた地を愛されたことは、すでにこのようでした。そして天の日を軸に国や郡を縦横に区切り、我が国がその根本にあり、あらゆる異民族がみな我が末の光を仰ぐのだとすれば、「日本」という大きな国号は、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『弘道館記述義』・國體以之尊嚴・勇武は忠愛の誠から発する実に此に胚胎す。(案ずるに本なる者は末に対するの称なり。当時、夷蛮の朝貢する者猶ほ少なし。故に未だ国号を建てず。三韓を撫し西土に通ずるに及び、或いは東天皇と称し、或いは日出づる処の天子と称し、遂に日本の号を建てて以て内外本末の分を弁ず。亦た唯だ往時の胚胎する者を挙げて之を発するのみ。)夫れ日出づるの郷は、陽気の発する所、地霊人傑、食饒かに兵足る。上の人は好生愛民を以て徳と為し、下の人は一意奉上を以て心と為す。其の勇武に至りては、則ち皆天性に根ざす。此れ国体の尊厳なる所以なり。抑も所謂勇武とは、惟だ勁悍猛烈にして以て其の威を逞しうするのみに非ず。蓋し亦た必ず忠愛の誠より発す。請ふ其の略を論ぜん。素戔嗚尊は蛇を斬りて剣を獲、以為らく是れ神剣なり、敢へて私せず、と。大巳貴神は其の平国の矛を献じて曰く、天孫若し此を以て国を治めば、必ず当に平安なるべし、と。是の時に方り、素戔嗚尊は罪を天祖に獲、大巳貴神は将に国を天孫に避らんとす。而して啻に朝廷を怨みざるのみならず、乃ち其の宝器を献じて以て奉上の誠を輸す。其の忠愛の厚きこと何如ぞや。五瀬命の薨ぜんとするに臨みて慷慨し、剣を撫して逆虜未だ滅びざるを以て憾みと為し、日本武尊の疾篤きや、懐ひを雄刀に寓し、情を歌詞に発するが若きは、其の感憤悲壮、従容嫻雅、又た復た何如ぞや。後世に至るに及びても、士は猶ほ廉恥を重んじ、卑怯懦弱を賤しみ、汚名先を辱むるを以て戒めと為し、忠義孝烈の人乏しからず。丹心血誠、天日に誓ひ金石を貫き、其の跡追はずして、流風は馨るが如く、余情は掬すべき者、皆上世の遺俗の然らしむる所なり。之を要するに自ら一種の藹然たる気象有り、海外異邦の企及する所に非ず。蓋し国体は独り尊厳なるを得ず、必ず天地正大の気に資る有り。天地の気は独り正大なるを得ず、亦た必ず仁厚義勇の風に参る有り。然らば則ち風俗の淳漓は、国体の汚隆の繋かる所なり。在上の君子、豈に心を留めざるべけんや。
-
『神皇正統記』巻一 序大日本とも大倭とも書ことは、此国に漢字伝て後、国の名をかくに字をば大日本と定てしかも耶麻土とよませたるなり。大日孁のしろしめす御国なれば、其義をもとれるか、はた日の出る所にちかければしかいへるか。義はかゝれども字のまゝ日のもとゝはよまず。耶麻土と訓ぜり。我国の漢字を訓ずること多く如此。おのづから日の本などいへるは文字によれるなり。国の名とせるにあらず。又古より大日本とも若は大の字をくはへず、日本ともかけり。州の名を大日本豊秋津といふ。懿徳・孝霊・孝元等の御謚みな大日本の字あり。垂仁天皇の御女大日本姫と云ふ。これみな大の字あり。天神饒速日尊、天の磐船にのり大虚をかけりて「虚空見日本の国」との給。神武の御名神日本磐余彦と号したてまつる。孝安を日本足、開化を稚日本とも号、景行天皇の御子小碓の皇子を日本武の尊となづけ奉る。是は大を加ざるなり。彼此同くやまとゝよませたれど大日孁の義をとらば、おほやまとゝ読てもかなふべきか。
-
『神皇正統記』巻一 序神代には豊葦原千五百秋瑞穂国と云ふ。天地開闢の初より此名あり。天祖国常立尊、陽神陰神にさづけ給し勅にきこえたり。天照太神、天孫の尊に譲ましまししにも、此名あれば根本の号なりとはしりぬべし。又は大八州国と云ふ。是は陽神陰神、此国を生給しが、八の嶋なりしによつて名けられたり。又は耶麻土と云ふ。是は大八州の中国の名也。第八にあたるたび、天御虚空豊秋津根別と云神を生給ふ。これを大日本豊秋津州となづく。今は四十八け国にわかてり。中州たりし上に、神武天皇東征より代々の皇都也。よりて其名をとりて、余の七州をもすべて耶麻土と云なるべし。唐にも、周の国より出たりしかば、天下を周と云、漢の地よりおこりたれば、海内を漢と名づけしが如し。耶麻土と云へることは山迹と云也。昔天地わかれて泥のうるほひいまだかわかず、山をのみ往来として其跡おほかりければ山迹と云ふ。或古語に居住を止と云ふ。山に居住せしによりて山止なりとも云へり。
-
『神皇正統記』巻一 序かの国よりは倭と書たれど、返牒には日本とも倭とものせられず。是より上代には牒ありともみえざる也。唐の咸亨の比は天智の御代にあたりたれば、実には件の比より日本と書て送られけるにや。又此国をば秋津州といふ。神武天皇国のかたちをめぐらしのぞみ給て、「蜻蛉の臀舐の如くあるかな。」との給しより、此名ありきとぞ。しかれど、神代に豊秋津根と云名あれば、神武にはじめざるにや。此外もあまた名あり。細戈の千足国とも、磯輪上の秀真の国とも、玉垣の内国ともいへり。又扶桑国と云名もあるか。「東海の中に扶桑の木あり。日の出所なり。」とみえたり。日本も東にあれば、よそへていへるか。此国に彼木ありと云事きこえねば、たしかなる名にはあらざるべし。凡内典の説に須弥と云山あり。此山をめぐりて七の金山あり。其中間は皆香水海なり。金山の外に四大海あり。此海中に四大州あり。州ごとに又二の中州あり。南州をば贍部と云。是は樹の名なり。南州の中心に阿耨達と云山あり。山頂に池あり。池の傍に此樹あり。迊七由旬高百由旬なり。
-
『神皇正統記』巻一 序其後漢土より字書を伝へける時、倭と書て此国の名に用たるを、即領納して、又此字を耶麻土と訓じて、日本の如に大を加へても又のぞきても同訓に通用しけり。漢土より倭と名けゝる事は、昔此国の人はじめて彼土にいたれりしに、「汝が国の名をばいかゞ云ふ。」と問けるを、「吾国は」と云をきゝて、即倭と名づけたりとみゆ。漢書に、「楽浪の海中に倭人あり。百余国をわかてり。」と云ふ。もし前漢の時すでに通けるか。後漢書に、「大倭王は耶麻堆に居す。」とみえたり。これは若すでに此国の使人本国の例により大倭と称するによりてかくしるせるか。大倭と云ことは異朝にも領納して書伝にのせたれば此国にのみほめて称するにあらず。唐書「高宗咸亨年中に倭国の使始てあらためて日本と号す。其国東にあり。日の出所に近を云ふ。」と載たり。此事我国の古記にはたしかならず。推古天皇の御時、もろこしの隋朝より使ありて書をおくれりしに、倭皇とかく。聖徳太子みづから筆を取りて、返牒を書給しには、「東天皇敬白西皇帝。」とありき。
-
『新論』國體中天朝は武を以て国を建て、戎を詰め方に行ふこと、由来旧し。弧矢の利、戈矛の用、既に神代に見え、宝剣は三器の一に居る。故に号して細戈千足の国と曰ふ。天祖中州を天孫に授けたまふや、押日をして来目の兵を帥ゐて従ひ行かしむ。太祖の征戦も、亦専ら来目を以て折衝の用と為し、遂に中土を平定したまふ。又物部を置きて、来目と相参へ、以て宮城を衛り、国土を鎮む。崇神天皇将軍を四道に遣はして、不庭を討平し、皇子豊城命をして東国を治めしめ、而して民をして農隙に射猟し、以て其の物を貢し、以て征役に従はしむ。規制一たび立ち、歴朝遵奉し、土疆日に以て広く、東は蝦夷を斥け、西は筑紫を清め、遂に三韓を平げ、府を任那に建て、以て之を控制す。治強の実、是に於てか見ゆ。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る