日本伝守行矩 / 本文・治める道に眼をつけて教えを尽くす
道は治道なり、天命自然の國躰につゐて、國家を治むるの外他なし、敎は悉く其筋を說て、治をなすの魚筌なり、初志を起して、修せんとするもの、國を治るの道といふに眼をつけて、敎を盡して其本然を會すべし、豈容易の事ならんや、こゝに心をつけて、修するの時に至ては、敎に筋あり、其目多端といへども、道理を以て其事をしらしむるあり、業を說て行はるゝ所を知らしむるあり、國は國ぎりにして其事理を辨じ、將は將にして其德を辨じ、事々物々、其筋によつて其事の行はる所、其物の盡る所、爰に力を用て見る時は、敎の手すじ、決然として白日に玄黃をわかつが如くならん、しかれども要國躰につゐて、治をなすに心なき時は、徒らに口耳の學となつて、其才を長じ、其德をなして、國用をなすの時なからん、然れば學んで益なく、勞して何の補かあらむ、治道を任として、天命に奉答し、國躰につくの心を以て、右のごとくに敎を盡さば、古の良武といへども何ぞくわへん、修者知らずんばあるべからず、
新字:道は治道なり、天命自然の国体につゐて、国家を治むるの外他なし、教は悉く其筋を説て、治をなすの魚筌なり、初志を起して、修せんとするもの、国を治るの道といふに眼をつけて、教を尽して其本然を会すべし、豈容易の事ならんや、こゝに心をつけて、修するの時に至ては、教に筋あり、其目多端といへども、道理を以て其事をしらしむるあり、業を説て行はるゝ所を知らしむるあり、国は国ぎりにして其事理を弁じ、将は将にして其徳を弁じ、事々物々、其筋によつて其事の行はる所、其物の尽る所、爰に力を用て見る時は、教の手すじ、決然として白日に玄黄をわかつが如くならん、しかれども要国体につゐて、治をなすに心なき時は、徒らに口耳の学となつて、其才を長じ、其徳をなして、国用をなすの時なからん、然れば学んで益なく、労して何の補かあらむ、治道を任として、天命に奉答し、国体につくの心を以て、右のごとくに教を尽さば、古の良武といへども何ぞくわへん、修者知らずんばあるべからず、
書き下し
道は治道なり、天命自然の國躰につゐて、國家を治むるの外他なし、敎は悉く其筋を說て、治をなすの魚筌なり、初志を起して、修せんとするもの、國を治るの道といふに眼をつけて、敎を盡して其本然を會すべし、豈容易の事ならんや、こゝに心をつけて、修するの時に至ては、敎に筋あり、其目多端といへども、道理を以て其事をしらしむるあり、業を說て行はるゝ所を知らしむるあり、國は國ぎりにして其事理を辨じ、將は將にして其德を辨じ、事々物々、其筋によつて其事の行はる所、其物の盡る所、爰に力を用て見る時は、敎の手すじ、決然として白日に玄黃をわかつが如くならん、しかれども要國躰につゐて、治をなすに心なき時は、徒らに口耳の學となつて、其才を長じ、其德をなして、國用をなすの時なからん、然れば學んで益なく、勞して何の補かあらむ、治道を任として、天命に奉答し、國躰につくの心を以て、右のごとくに敎を盡さば、古の良武といへども何ぞくわへん、修者知らずんばあるべからず、
現代語訳
道は治める道です。天命自然の国体について国家を治めることのほかにありません。教えはことごとくその筋を説いて、治をなすための道具です。初めの志を起こして修めようとする者は、国を治める道ということに眼をつけて、教えを尽くしてその本来のあり方を会得しなければなりません。どうして容易なことでしょうか。ここに心をつけて修めるときになると、教えには筋があり、その項目は多端ですが、道理でその事を知らせるものがあり、業を説いて行われる所を知らせるものがあります。国は国として事理を弁じ、将は将としてその徳を弁じ、事々物々、その筋によってその事の行われる所、その物の尽くる所に力を用いてみるとき、教えの手筋は、白日のもとで玄と黄を分けるようにはっきりするでしょう。しかし、要は国体について治をなす心がないと、むなしく口と耳だけの学問となり、その才を伸ばし、その徳を成しても、国の役に立つ時がありません。そうであれば、学んでも益がなく、骨を折って何の補いがあるでしょうか。治道を任とし、天命に応え、国体につく心で、右のように教えを尽くせば、古の良き武将といえども何を加えられましょうか。修める者は知らなければなりません。
解説

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