日本伝治乱要決 / 應亂卷・平和を保つ帰治と号令の正しさ
歸治第廿六明將天に代つて逆敵を制す、日光の霜雪を照すが如く、其師の至る所和解せずといふ事なし、四海平夷なす時は何をかなさむ、天命自然の姿にかへして尋常を不朽に傳ふべし、良武智を用る所なく、愚民業を樂んで人主を養ふ、自然の筋目の顯はるゝ所爰において見つべし、號令第廿七出て征するより歸陣に至るまで、三軍の衆を帥て一進一退心の手足を使ふが如く、危急の時にして其筋を失はず、閑暇にして勢氣の弛るゝ事なく、始終一致屈する所なきは、唯號令正しきによるのみ、古明將の愼む所、宜なるかな、令の立所上より立て毫も不違、下得て聊も不犯、號令を恐るゝ事敵を見るよりも嚴なる時は、數多の業行はれずといふ事なく、隱微の機見て發通せずといふ事なし、百萬の人數天下に縱橫してあやふき事なきは、號令のよく立にあるのみ、
新字:帰治第廿六明将天に代つて逆敵を制す、日光の霜雪を照すが如く、其師の至る所和解せずといふ事なし、四海平夷なす時は何をかなさむ、天命自然の姿にかへして尋常を不朽に伝ふべし、良武智を用る所なく、愚民業を楽んで人主を養ふ、自然の筋目の顕はるゝ所爰において見つべし、号令第廿七出て征するより帰陣に至るまで、三軍の衆を帥て一進一退心の手足を使ふが如く、危急の時にして其筋を失はず、閑暇にして勢気の弛るゝ事なく、始終一致屈する所なきは、唯号令正しきによるのみ、古明将の慎む所、宜なるかな、令の立所上より立て毫も不違、下得て聊も不犯、号令を恐るゝ事敵を見るよりも厳なる時は、数多の業行はれずといふ事なく、隠微の機見て発通せずといふ事なし、百万の人数天下に縦横してあやふき事なきは、号令のよく立にあるのみ、
書き下し
歸治第廿六明將天に代つて逆敵を制す、日光の霜雪を照すが如く、其師の至る所和解せずといふ事なし、四海平夷なす時は何をかなさむ、天命自然の姿にかへして尋常を不朽に傳ふべし、良武智を用る所なく、愚民業を樂んで人主を養ふ、自然の筋目の顯はるゝ所爰において見つべし、號令第廿七出て征するより歸陣に至るまで、三軍の衆を帥て一進一退心の手足を使ふが如く、危急の時にして其筋を失はず、閑暇にして勢氣の弛るゝ事なく、始終一致屈する所なきは、唯號令正しきによるのみ、古明將の愼む所、宜なるかな、令の立所上より立て毫も不違、下得て聊も不犯、號令を恐るゝ事敵を見るよりも嚴なる時は、數多の業行はれずといふ事なく、隱微の機見て發通せずといふ事なし、百萬の人數天下に縱橫してあやふき事なきは、號令のよく立にあるのみ、
現代語訳
帰治第廿六。明将は天に代わって逆らう敵を制します。日の光が霜や雪を照らすように、その軍の至るところで和解しないことはありません。四海が平らかになった時、何をなすのでしょうか。天命の自然な姿に返して、尋常のあり方を朽ちることなく伝えるべきです。優れた武や智を用いるところはなく、愚かな民は業を楽しんで人主を養います。自然の筋目が現れるところは、ここにおいて見られるでしょう。号令第廿七。出て征してから陣に帰るまで、全軍の衆を率いて、一進一退を心の手足を使うようにし、危急の時でもその筋道を失わず、ひまな時でも気勢が緩むことがなく、始終一致して屈するところがないのは、ただ号令が正しいことによります。古の明将が慎んだところ、もっともなことです。令の立つところが上から立って少しも違わず、下が得て少しも犯さず、号令を恐れること敵を見るより厳しい時は、数多くの業が行われないことはなく、隠れた微かな機を見て通じ発しないこともありません。百万の人数が天下を縦横に動いて危うくないのは、号令がよく立っていることによるのみです。
解説

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