葉隠 / 聞書第十一
一鼎批判に、「御家は中腰にて持ち申し候。昔より歷々には器量有り兼ね候。又勝茂公へ、舍人、内匠、兵部三人は、外樣にても、御居間にて御目見仕り候由。」と申され候。
新字:一鼎批判に、「御家は中腰にて持ち申し候。昔より歴々には器量有り兼ね候。又勝茂公へ、舎人、内匠、兵部三人は、外様にても、御居間にて御目見仕り候由。」と申され候。
書き下し
一鼎、批判に、「御家は中腰にて持ち申し候。昔より歴々には器量有り兼ね候。また勝茂(かつしげ)公へ、舎人(とねり)、内匠(たくみ)、兵部(ひょうぶ)三人は、外様(とざま)にても、御居間にて御目見(おめみえ)仕り候由。」と申され候。
現代語訳
石田一鼎はこう言う。御家というものは中腰で、気を抜かずに支えていくものだ、と。昔から身分の高い歴々の者には、かえって家を担うほどの器量が備わっていないものだ。また勝茂公の代には、舎人・内匠・兵部の三人は、外様の身でありながら御居間でお目通りを許されたという――そう一鼎は評した。
解説
学者・石田一鼎が御家の維持について語った一条です。「中腰で持つ」とは、腰を落ち着けて座り込むのでも、突っ立って身構えるのでもない、いつでも動ける緊張を保った姿勢を指します。組織はこの絶妙な気の張りによって支えられるのであり、安泰と慢心に流れれば崩れる、という含意です。さらに、家格の高い者ほど器量に欠けがちで、むしろ外様の実力者が重用された例を挙げます。地位と実力は必ずしも一致しないという指摘です。現代の組織運営でも、常に適度な緊張感を保つこと、肩書きより実力を見て人を用いることの大切さとして通じます。
この章句が説くこと
葉隠石田一鼎中腰緊張感組織運営家格と実力
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