日本伝治乱要決 / 跋・治乱要決三巻を著した師への跋
治亂要決三本は我 師の著はす所なり、日本傳の要此書に盡せり、藏す時は袖裏に收るにたらず、行時は六合に滿て餘りあり 守者これによつてまなびば、我邦の治術戰法掌上に看るがごとく、且つ 健翁守德の大なる、庶くは其一端を窺ふにたらむか、謹跋、寶曆癸未季冬瑞證三宅生英
新字:治乱要決三本は我 師の著はす所なり、日本伝の要此書に尽せり、蔵す時は袖裏に収るにたらず、行時は六合に満て余りあり 守者これによつてまなびば、我邦の治術戦法掌上に看るがごとく、且つ 健翁守徳の大なる、庶くは其一端を窺ふにたらむか、謹跋、宝暦癸未季冬瑞証三宅生英
書き下し
治亂要決三本は我 師の著はす所なり、日本傳の要此書に盡せり、藏す時は袖裏に收るにたらず、行時は六合に滿て餘りあり 守者これによつてまなびば、我邦の治術戰法掌上に看るがごとく、且つ 健翁守德の大なる、庶くは其一端を窺ふにたらむか、謹跋、寶曆癸未季冬瑞證三宅生英
現代語訳
『治乱要決』三巻は、我が師の著されたものです。日本伝(日本の流儀)の要はこの書に尽くされています。蔵する時は袖の内に収めるにも足りませんが、行く時は天地四方に満ちて余りがあります。守る者(守る任にある者)がこれによって学べば、我が国の政治の術と戦法を掌の上に見るようにわかり、また健翁(高山健貞)の守り行う徳の大きさの、せめてその一端を窺うに足りるでしょう。謹んで跋します。宝暦癸未の季冬、瑞証の三宅生英。
解説
師の著作を弟子が締めくくる跋で、小さく収まる書物が、広く世に満ちる働きを持つとたたえています。宝暦癸未(宝暦十三年)の末の月に、三宅英が記したとあります。原文から分かるのは、この三巻が国を治める術と戦法の要を尽くしたとされる点です。現代の管理職にとっても、学んだ要点を手元に収めて持ち歩き、現場で広く使える形にまとめ直し、次の世代へ伝える姿勢が参考になります。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
『日本伝治乱要決』高山健貞三宅英跋師弟学びの継承
関連する章句
-
『日本伝治乱要決』・序・序・師の志と本書が示すもの此書を盡さゞる時は、諸子百家の書を讀む共、何ぞ我朝の裨あるに足らんや、是を盡す時は、雜書といへども見るに從がひ國用ならざる事なし、況や聖老佛等の書をや、能其基立てばなり、惜ひかな百數年日本傳の書を傳るものありといへども作者の眞意に徹せず、理を臆にとつて名と實と符合せず、むなしく兵家の一書となつて唯心術戰法のみとす、嗚呼寶山に入て手を空するが如し、我師健貞剛弼好て數年書をよみひろく和漢の事跡に達し、日本傳の書によつて作者の眞意を操り、我國に於いて治亂の大道たることを悟し、國躰の矩を立、其名によつて其實を示し、初て撰者の器量をあらはす、我朝治亂の要また此書に詳なることを以て諸子に敎導す、其意温厚叮嚀、叉誰か何ぞこゝにしかん、此書の文易簡にして、文字ものを借りて意をなす、これによつて人々近く其微を得しがたし、故に此書に附して今春治亂要決を著作し、外敎をからずして治國制亂の要こゝに出ざることをしめず、我朝數千歳の上より未かくの如き書あることをきかず、嗚呼剛弼我國に功ある哉、これを以てひろく横目の民に蒙らしめ四海に補あらむことを希ふのみ、于時寶曆十三癸未春三月源興晴序
-
『日本伝治乱要決』・高山健貞傳・高山健貞の経歴と二つの著作健貞、姓は高山氏、名は正英、字は剛弼又豪弼、通稱は辨左衞門、健貞と號す、常陸の人、矢田部侯源興晴健貞を延ひて其誨を聴くこと年あり、健貞、侯の爲めに「日本傳守行矩」一卷を著はす、寶曆年間に生榮す、又別に「日本傳治亂要決」の著あり、本書中に井上頼圀氏所藏の「治亂要決」「守行矩」各一卷を收載す、
-
『日本伝守行矩』・跋・門人が記す跋と日本伝の規矩我國に自然の大道あり、人の道を得るや敎による、おしへに眞妄あり、敎の眞をうるや、其規矩のたゞしきによる、日本傳は則其眞敎なり、其規矩は則我師の著はす所其正也、世に日本傳を唱ふるもの多しといへども、いまだ其眞を得るものなき歟、かつて其道をとくものをきかず、我 健貞豪彌、末世に出て、能傳意を考究し、古にさかのぼりて、その粹を得る事、古今に卓絶す、於是、我國の大道、炳然としてあきらかなる事、猶雲霧を拂て山嶽に對するがごとし、近ごろ、師、此矩言を著はして、これを指さす、苟も目あるものは、みなよくこれを見る、門に從ふものゝ幸ひのみならんや、我國の人いづちへかゆかむ、實に天下萬人の幸ひなる哉、今歳、矢田部侯、師にこふて、是を剞劂氏に命じ、梓に行はしむ、僕等もとより希ふこと久し、聊かその事を記して、書の後に附す、寶曆壬午春正月門人 三上景德謹識
-
『兵要録抄録』・校刻兵要録の跋澹齋先生の兵要錄一書は、文武を以て一途と爲し、王を尊び覇を賤しむ。其の言は江河の源委有るが如く、下に臨み衆を御し、法度森嚴なること、霽月の寒空に繫かるが如し。其の間藹然として春風の面目に披拂入るなり。豈に特だ兵の云ふのみならんや。然り而して謄寫已に廣く、脫誤眇かならず。我が老侯之を憂へ、家翁安元等に命じて校正せしめ、因りて活刷を以て頒つ。今侯厥の志を繼ぎ、版を鏤りて以て天下に公にせんと欲す。臣安利等 命を奉じて再び校讎し、句讀を正し、訓點を施す。意ふに二侯の盛美を奉揚し、先師の典刑を朽ちざらしめんと欲するは、臣の至願なり。
-
『日本伝守行矩』・序・日本伝の名と実を結ぶ師の教え夫日本天勝速日傳の名目、世に行はるゝ事年久しく、上杉一家の兵學として、專ばら心術を說き、戰法を談じ、雜兵家の雄となるを眉目として、竟に日本治亂の大道たることを辨まへず、此故に日本傳の名目のみ有て、其實行はるゝ事なし、これ理を臆にとり、大道をしらずして、言を傳えて得たりとし、國體につくの眞眼を開くものなければなり、作者の差謬にあらず、世々傳ふる所の者、古人の意に徹せざるによれるか、我師健貞豪彌、數年此書の眞なるを知覺して、其名によつて其實を求め、我國治亂の要を縮る事、日本傳の書に全き事を敎示す、此時に至て其書の名と實と符合して、國家を治る自然の大經、逆敵を制する勝負の活路、現然として白日に黑白を分つがごとし、實に豪彌天 縱の才を震ふの、
-
『日本伝守行矩』・序・守行矩を著し信疑論を添えた序の結び大功によれるのみ、其門に遊ぶもの、三尺の童子といへども、能經濟を論じ、よく虛實に達す、その敎を信ずるもの、其性によつて各其才德をなす、於是、其大道たる事彰々たり、惜かな今世に行はれず、徒らに兵書の名目におちいつて、廣く海内に達せず、嗚呼天命のしからしむる歟、いかんともすべからず、美玉の土中に埋るが如く、日月の雲に掩るゝに似たり、豪彌去年守行矩一篇を著はして、同守にしめす、これ道の根元、敎導の死活を辨ず、此書によつて日本傳を守行なす時は、我國治亂の要を會せずといふ事なし、附して信疑論を著して、守者の一助とす、廣く四海におこなわれ、我國の補あらん事を希ふ、余が微意爰にあり、故に序をなして廣く同志に告るのみ、寶曆十二年壬午正月源 興時