孟子 / 盡心章句下
孟子曰、不信仁賢、則國空虚。無禮義、則上下亂。無政事、則財用不足。
新字:孟子曰、不信仁賢、則国空虚。無礼義、則上下乱。無政事、則財用不足。
書き下し
孟子曰く、「仁賢を信ぜざれば、則ち國空虚なり。禮義無ければ、則ち上下亂る。政事無ければ、則ち財用足らず。」 <解説> 国の大事として、仁賢・禮義・政事の三者を挙げているが、尹氏云う、「三者、仁賢を以て本と為す、仁賢無ければ、則ち禮義・政事、之に處りて皆其の道を以てせず。」と。乃ち三者の中でも仁賢が最も根本であり、仁者・賢者がおればこそ、国の禮義や政治政策は善く行われるということである。
現代語訳
孟子は言った。 「仁者や賢者を信じて用いなければ、国は人材がおらず、人がいないのも同然となる。国に礼義が無ければ、上下の関係が乱れてしまう。政治政策が正しくなければ、無理な税の取り立てや浪費で、国の財政は足らなくなる。」
解説
組織を良くするためには、優れた人材を信頼して任せることが何より重要です。有能な人がいても、それを活かせなければ組織は空っぽと同じです。また、相手を尊重する「礼義」がなければ秩序は崩壊し、正しい方針がなければ資源を浪費してしまいます。これは現代の会社やチームの運営にも全く同じことが言えます。優れた人材を抜擢し、お互いを敬い合う風土を作り、理にかなった方針を示すことが、組織を健全に発展させる条件です。
この章句が説くこと
人材登用組織運営礼儀信頼
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